
DIALOGUE
伝統芸能と音楽。分野は違っても表現するという点で共通点が多い二人の対談は、共感しあうことも多く、お話の中で何度か出てきたキーワードは「ネガティブ」。決して暗いイメージではないこの言葉を、二人は人生の軸にしているのでしょうか。
塩塚:梅川さんは音楽、聴きますか?
梅川:聴きますよ。踊りというものは音楽があってはじめて踊りがあるから、いろんなジャンルの音楽を聴くんです。
だからこの対談が決まった時も早速、羊文学の曲を聴きましたよ。
塩塚:ありがとうございます!
梅川:僕はもともとクラシック音楽を聴くのが好きでバレエを始めたんです。最初に東京バレエ団に入団したんですが、東京バレエ団で海外ツアーに行くようになって、自分が日本のことを全然知らなかった、という疑問が出てきたんですね。そこで歌舞伎をやってみようと思ったんです。
その後タイミング良く歌舞伎の養成所に入れたり、海外のバレエダンサーやオペラ歌手などの素晴らしい方々との接点もありました。
そんな中、養成所の2年目に、板東玉三郎先生に出会ったんです。その時に衝撃を受けてしまって。日本にこんなにも世界に通用する人がいるんだ、ということを初めて知りました。
そこから玉三郎先生に日本舞踊を教えていただいて、そこから踊りがすごく好きになって歌舞伎俳優になったんです。歌舞伎俳優になってからは中村獅童さんの弟子になりました。
でもやっぱり僕は踊りが好きで、特にことばのない世界というのがとても好きで、ことばのない世界での身体表現の可能性というものをすごく感じていたんですね。
そして今から4年前に独立して日本舞踊の舞踊家としていろいろなジャンルの方々とコラボレーションしたり海外でも公演をしたりしています。

塩塚:私は適当な学生で 笑
実は今日卒業が決定したんです。
全員:おめでとう!
塩塚:中学3年生の終わりに5人組のコピーバンドを組んでいたのですが、高一の夏から本格的に曲を作り始めました。メンバーは途中で変わりましたが、8年、続けています。ただひたすらバンドをしています。
梅川:羊文学って、ネーミングが個性的ですよね。どういう意味があるんですか?
塩塚:中学3年生の時につけたんです。当時、sheep(羊)がつくバンドがいて、羊がつくバンド名ってすごくいいなと感じていたのと、音楽よりもっと大きいことをしたいな、と思って。文学って「文学部」もあるし、音楽よりもっと大きな何かを越えた概念があるのかなと思っているんです。
私はキリスト系の学校に行っていたので、よく読む聖書にも羊がたくさん出てきました。羊って、聖書では生贄にする意味で出てきますし神様に捧げる大切な動物なんです。そんなところが興味深くてバンド名にしました。
梅川:中学3年生当時のモエカさんが見えてきますね。
塩塚:梅川さんがバレエから歌舞伎に移ったのはどうしてですか?ジャンルが全然違いますよね。
梅川:性格がものを言っていたのかな。僕はやるんだったらきちんとやろう、中途半端にちょっとやるくらいならやらない、というタイプなんです。大分県の奥深い場所に住んでいたので華やかな世界に憧れていた、というのもあったのかもしれない。
僕は海外の世界がカッコよく見えていたので、外ばかりに目が向いていて、いったいどういうジャンルがあるのか、知る由もなかったんです。でもそんな時に福岡にミュージカルを観に行ってすごい衝撃を受けました。こんな華やかな世界があるんだ、と。そこからバレエの世界に飛び込んだんです。
バレエのツアーで海外に初めて行って、こういうところでバレエが生まれたんだと、衝撃を受けるんですよ。
でもそこにもの寂しさというか何か引っかかるものがあって。
日本に帰ってきた時に、自分は日本のことを何も知らないじゃないか、という自分へのショックを感じました。
では「日本とは何なのか」それを知りたいという自分の意欲が湧いてきたんですね。それで、ちゃんとやるなら日本のことをやらなくちゃ、って思った。そうこうしているうちに、3年に一度しか入るチャンスがない歌舞伎養成所に入所することができて、玉三郎さんに出会うことができた。
これって導かれたのかな、と自分で良いように解釈しましたね。
塩塚:導かれたんですね!
梅川:玉三郎さんは歌舞伎の頂点の方ですし、100年に一人の女方と言われているのですが、そういう方と出会い、繋がって、修行させていただけるというのはきっと運命だったのかも知れない、と自分で解釈しています。
塩塚:私も海外や洋楽への憧れがありました。
海外と日本の音楽の間に立てるような活動をしたいと思ってバンドを続けています。
日本だと10代の恋愛の歌とか、手を振り上げて盛り上がるような歌が主流で、明るくて前向きじゃないとダメみたいな空気が流れているんですよね。でも、洋楽を聞きはじめた時に、例えばニルヴァーナやスマッシング・パンプキンズのように決して明るくはないけど、歴史的なバンドとして認められているバンドがたくさんあるって知って。日本でもそういう表現が認められるようになったら面白いのにな、と思っています。少しずつ変わってきてはいると思いますが…!
一方で、海外が至上だと信じてそれを追いかける日本っていう図式に疑問を抱く場面も多くて。
梅川さんは自分にとって日本というものをどう捉えていますか?

梅川:僕は海外に行くと、舞台に立った時の自分を第三者として観るようにしています。
僕は古典の世界の人間なので、もっと昔の時代に流行っていた長唄(今でいうとポップスですね)と今の時代を自分がつなぐ役割なのではないかなと感じています。
ちょっと話が逸れますが、まずそこに立てたことに対する師匠への感謝というのも日々感じています。
自分が頑張ったというのももちろんありますが、様々な方が関わってくださって、その上に自分がここにいる、というのはやっぱり師匠があっての自分なんじゃないかな、師匠もきっと誰かに教えてもらっている、ということは教えが繋がって自分がいる。細い糸のようなものが時代をつなげているのかもしれないです。
そういうことが連綿とつながって、日本の伝統文化として表現しているんですね。
塩塚:古来から受け継がれたものや師匠との繋がりの連鎖から日本文化が成り立ってきたのですね。
わたしは、日本人ってもともと繊細な生き物だと思うんです。大学の授業で博物資料としての茶器の扱いについて習った時に、茶器を包む袋や木箱が何重にもなって残っているのを見ました。海外ではそれを捨ててしまうケースが多いそうですが、日本人はそれを「茶器の歴史」と捉えて大切に保管しているそうです。繋がりを大切にする、梅川さんのお話に通づることもありますが、そんな繊細なところは日本の素晴らしい部分だと思います。
一方でその繊細さゆえの損な側面も感じます。海外の友達とのやりとりの中で海外の人に対しては感情だけでなくはっきり言葉で伝えないといけないシーンがよくあるのですが、海外の人ってズバッと言わないとわかってくれないですよね。でも日本だとはっきり言うと失礼かな、とか察してくれないかな、とか思ってしまう。そういう面で世界と日本は全然違いますよね。
それだけ違うのに、途中から欧米に憧れちゃったから頑張らなくちゃいけない、という固定概念が日本にあるんじゃないかな。
梅川さんの過去のインタビューで、師匠から「もっとネガティブになりなさい」と言われたという記事を読みましたが、そのことについてお話しいただけますか?
梅川:元々華やかなイメージのある海外のバレエ界が最初だったからか、僕はポジティブなんですけど、日本はどちらかというと暗いイメージがあるな、と思っていました。それがちょっと気になっていたんですね。西洋に憧れていたからポジティブになっていたのかも知れません。でもやっぱり僕は古典の世界にいるので、「暗い」とか「察する」とか「言わない」とか、さらには手土産の菓子折りやお手紙なんか、その人のことを考えた上での行動なのに、すごく大変だと思うだろうし、最初は理解できないですよね。でもその人を自分が思うこと、敬うこと、尊敬すること、を表現していくことにつながることなんだな、とわかるようになってきました。常に自分の生活の中に「どこかに気持ちがある」というのが日本人のとてもいいところだと思います。
大変だな、と思っていたことが実は全てに繋がっていくところ、それってすごいスペシャルじゃんって思ってる。古典だからまずは形式的に決まりごとを守る中から感じてくんだけど、教わりながら、実践しながら昔の時代の人たちも同じことをしていたんだと気づいたんです。
モエカさんが言うネガティブの感覚はすごくわかるし、自分もそういうことを思っていた。でも僕はこういう古典の世界にいたからこそ、日本のネガティブと思われることの良さがわかってるのかもしれない。
塩塚:なるほど、日本のネガティブは、相手を敬う美学にも通じるんですね。自分が日本人として表現できることってなんだろう、と考えるときに、重要なヒントになりそうです。
ところで、わたしは昔から魔術とか目に見えない不思議な力に興味があります。わたしが歌を好きなのも、身体から空間を変えてしまうような大きなパワーが溢れる感覚になるからだとおもうんです。「踊る」という動作にも同じようなイメージを受けることがあるのですが、梅川さんは踊るときに身体に対してどのような感覚を持ちますか?

梅川:踊りは基本的に音楽で踊るもので、その音や歌詞に自分なりに感じたものを表現する「もの」なんです。
踊りで空間を埋める、音楽をなぞる、という感覚もありますね。
だから僕にとって身体は奏でるもの・道具なんでしょうね。
海外に行くと、もっと細やかな表現に集中できるんです。例えば顔を少しだけずらすことでそこに意味が生まれる、とか。細やかさを表現できること、は僕にとってすごく快感。もっとそこを追求したいですね。
塩塚:梅川さんは踊っている時、何が見えていますか?
梅川:意外と「無」の時が多いんです。ただ、「無」に行くまではたくさん稽古をしないといけない。稽古の最中は模索をしているけれども本番の時は無が多いです。そういう時こそお客さまの反応が良かったりするのがとても嬉しいです。
PROFILE
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- 音楽家
- 塩塚モエカ
1996年、東京生まれ。3ピースバンド羊文学のギターボーカル。全楽曲の作詞・作曲を務める。
2017年『トンネルを抜けたら』でデビュー。現在までにアルバム1枚、EP4枚、シングル&配信シングル各1枚づつリリース。今年2月5日には新作EP『ざわめき』を発表。恵比寿リキッドルームでファイナルを迎えたワンマンツアーは全てソールドアウトに。
ソロ活動では、羊文学とは異なる楽曲を、時にボーカルエフェクトも使いギター弾き語りで演奏。浮遊感のあるパフォーマンスが特徴的。
そのアイコニックでフォトジェニックなキャラクターから、ファッションブランドや広告でのモデルを務めたりと活動の枠を拡げている。
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