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DIALOGUE

2020.08.27

槇文彦(建築家)× 前田エマ

  • 対談:前田エマ、槇文彦
  • テキスト:SPINNER編集部
  • 撮影:深堀瑞穂

今年、創立35周年を迎えるスパイラルは、1985年10 月、株式会社ワコールが「文化の事業化」を目指して東京・青山にオープンした複合文化施設。スパイラルを設計した建築家・槇文彦さんは、当時どんな思いでつくったのでしょうか?小さい頃から、槇さんが設計した代官山ヒルサイドテラスやスパイラルを訪れていたという前田エマ編集長が、建物をめぐるストーリーから人生の「軸」についてまで、お話を伺いました。

前田:槇先生、今日はよろしくお願いします。先生は、このコロナ禍のあいだ、どのように過ごされていましたか?

槇:家にいる時と、たまに事務所に行く時と。両方ありますが、家だとすることがあまりないから、本を読んでいたり。

前田:最近はどんな本を読むんですか?

槇:自分の書いた本だとか、いろいろありますけどね。

前田:先生はご趣味は何かありますか? 読書以外に。

槇:なんでしょうねぇ。テレビで将棋を見たり、スポーツを見たりはします。出かけてまでは見に行きませんけどね。

前田:私も将棋は好きです。指せないんですけど、見るのが好きなんです。好きな棋士はいらっしゃるんですか?

槇:やっぱり強い人がいいですよね。

前田:羽生さんとかかな?

槇:ハハハ。

前田:先生のように健康でいるには、どうしたらいいですか?

槇:やっぱり、親のDNAじゃないですか。

前田:努力じゃなくて?

槇:努力なんかしてないですよ。

前田:先生は、スポーツや散歩はされないんですか?

槇:昔はテニスをやってたんですよ。やめちゃいましたけど。

前田:そうなんですね!私もテニス部でした。あまり興味はないのですが…。

ところで、今年スパイラルは35周年。それを記念して『SPINNER』という新しいwebマガジンが始まり、私がその編集長を務めることになったんです。

槇:今年が35周年なんですか、そうですか。何年かなと思ってたんですけど。できてから35周年?

前田:そうなんです。最初にスパイラルを設計された時、どんな気持ちで臨まれたんですか?

槇:亡くなられた(ワコール創業者の)塚本幸一さんから、青山通りでこういう建物をつくってくれってお願いがあって。何年ぐらいかかったんですかねぇ、設計と工事で。できたのは35年前だけど、実際に塚本さんからお話があったのはその4、5年前だと思うんですよね。正直なところ、そんなに良い場所ではなかった。奥が深いけど幅はそんなにない、両側にはもう建物が建っている。

スパイラル建設前の敷地

だけど、塚本さんからは、自由にいろんなことを考えてほしいとリクエストがありました。ここで商売はしない、むしろこれからの文化が生まれる場所にしたい、と。それで、エキシビションができて、3階まで行けばちょっとしたステージがあって、パフォーマンスもできる。そういう案でどうですかと言ったら、それで結構だと。先程も言ったように、ここの敷地は非常に奥が深い。しかも、奥まで正面と同じ高さでは建てられないという制限が(当時)あった。

どうしたらうまくできるかと考えた時に、人間も昆虫も、光のあるところに向かう習性がありますから、奥の方へ明るい場所をつくると良いんじゃないかと思いついて。奥にスカイライト(天窓)を設けて、エキシビションスペースにして、手前にカフェを持ってくることにしました。さっき入ってくる時に見たら、今でも結構お客さんが入っていますね。

エントランスよりカフェ、アトリウムを臨む(撮影: 北嶋俊治)

前田:そうですね、いつも賑やかです。私は今27歳で、東京造形大学で油絵を学んでいたんですけど、学生時代も友人と週末にここへ来たりしていました。

槇:アーティストのたまり場みたいになっていると聞いたことがありますが、今でもそうですか?

前田:若いアーティストの作品や、面白い雑貨に出会える場所ですね。

槇:ここで会って話をしようとか、ちょっとお茶飲もうとか。カフェがあって、まわりにエキシビションスペースがある。そういう場所は、(建てた当時)東京にあんまりなかったんですよね。ですから、こういう独特の形状をした土地には、ちょうどよかったんじゃないかと思います。

前田:スパイラルは、美術館とは違いますよね。

槇:塚本さんのリクエストとして、少しは物を売るスペースも欲しいということで、2階に(スパイラルマーケットを)入れて。当然マネージメントのオフィスもいる(4階)。それから、5階はレストラン、一番上(8−9階)は会員制クラブにしようと。5階は周囲に何もないので、印象的なガーデンをつくろうと考えました。庭園は、青山通りから一歩入っただけで、東京にはない静けさを持っているんです。あまり大きくない建物にいろんな要素が混ざっているのは、当時、非常に珍しかった。複合建築の先駆けみたいなものだったと思います。

1階のエキシビションスペースは、今でも多目的に使われている。アーティストが展覧会をやったり、美術系の大学が卒業制作展をやったり。いろんな風に使われているっていうのが非常にいいと思います。

前田:1階でダンスのパフォーマンスを見たことがあるのですが、高い天井が活きていて、とても面白かったです。

槇:ダンスもやっているんですね。スロープをつくったので、そこからスパイラルっていう名前が出てきたと思うんですけどね。

前田:スパイラルっていう名前になった時はどんな気持ちでした?

槇:あの名前は誰がつけたんですかね?僕だったかな?

前田:塚本(能交)さんだそうです。あのスロープを見てスパイラルと名付けたと。

槇:塚本さんがスパイラルにしようっておっしゃったの?それはよかったですね。名前は大事なんですよ。スパイラルはアメリカ建築家協会が選定する「R.S.レイノルズ賞」をもらって。あの時は、塚本(能交)さんも一緒にアメリカまで行って、賞状をもらいましたね。

このスパイラルで自分にとって最も印象的なのは、1階から3階のホワイエへ行く窓沿いの「エスプラナード」です。

ここは、いつ行っても誰かが椅子に座って外を眺めたり、ゆっくり本を読んだりして。この35年間変わっていない唯一の場所ではないかと思います。ああいう自分で孤独をなんとなしに楽しむ場所っていうのは、なかなか他にない。例えば百貨店であれば、椅子を置いておくとそれがトイレの前であろうと必ずみんなが座って待ちますよね。そういう機能ではなく、孤独をエンジョイできる場所として、いくつかの椅子を置きました。人は変わっていっても、椅子はそんな変わっていない。だから、あの場所っていうのは一番記憶に残る。エスプラナードは窓沿いなので、外からも見えるんですよね。ドイツの哲学者・ニーチェが、孤独は私の故郷だと言っている。オタクはみんなひきこもって家の中で何かやっているけれども、パブリックスペースにそうした孤独を楽しめるところがあるっていうのも悪くないんですよね。

前田:先日エスプラナードも使って、私が選んだ若手作家による展覧会「Spinner Markt」を開催したんですよ。

槇:そうですか。

前田:私も出展したのですが、窓をモチーフにした絵をエスプラナードで展示できたので、凄く嬉しかったんです。

槇:それはすごくよかったですね。皆さんが好きなことができるっていうのが大事なんですよね。こういう都会の中で。

前田:そうですね。
東京って、日本だけでなく世界からたくさんの人が集まってくるじゃないですか。さっきおっしゃった「孤独を感じられる場所」っていう考え方がとても素敵だなと思いました。今の東京を見ていて感じることって何かありますか?

槇:やっぱり今、孤独を楽しめるような場所がもっとあったほうがいいんじゃないかなと思います。例えば代官山ヒルサイドテラスの隣に代官山T-SITEができたんですが、つくる時に大きな木を残してくれってお願いして、建物を後ろにずらしたんですね。奥へ。その結果、歩道と建物の間に新しい庭ができて、そこにベンチが置かれると、何かしゃべったり何か食べたりという場所が自然に生まれた。設計はクライン・ダイサム・アーキテクツがやったんですが、非常に良かったと思いますね。そういう場所が、こういうざわざわした都会の中にあってもいいんじゃないかなと思います。

前田:私はヒルサイドテラスもスパイラルも、小さな頃から遊びに来ています。どちらも、窓から光が差し込んでパッと明るくなったり、逆に急に日陰の部分がやってきて真っ暗になったり…。いっぱい人がいるのに急に一人ぼっちになる感覚が迷路みたいでとても楽しかったんです。建築をつくる上で、子供の存在ってどういうものですか?

槇:そうですね、僕も幼稚園や小学校の設計をやりましたけど、子供のbehavior(振る舞い)は、国によってそんなに違わない。大人になると、段々いろんな点でそれぞれ違うことをやるようになるけれど、子供は世界中どこの国でも、こうしたら喜ぶんじゃないかということをやると、喜んでくれる。そういった意味で非常に一般性を持っていると思います。ヒルサイドテラスやT-SITEでも子供連れの人が多くて、それが全体の雰囲気をつくっていると思います。

前田:子供は、意図したものに喜んで反応してくれる。でも、大人はそうもいかないですよね。さっき、木をずらして建物をつくったT-SITEに、結果としてとても良い空間が生まれたというお話がありましたが、そういう偶然の面白さは、どのくらいまで考えて建物をつくるんですか?

槇:やっぱり喜んでもらえるっていうことが建築家にとって一番大事なんですよね。施主やそこを利用する人だけじゃなくて、社会がOKするっていうことが大事。九州の中津に葬祭場をつくった時に、これで我々も安心して死ねますということを言ってくれて。そういうコメントは建築家にとって非常に珍しいし、嬉しく思いました。

前田:今、東京の街はどんどん変わっていっていますが、この先どうなっていくと思いますか?

槇:最近『アーバニズムのいま』っていう本を鹿島出版会から出しまして。そこにいろいろ書いているんですが、やはり東京の面白さの一つというのは、ざわざわしているけど、どこか穏やかなところ。この穏やかさっていうのは、日本、そして東京特有のものなんです。それから小さなものに対して興味を持つところ。実際に街を歩いていると、店や家の細かいところにいろんな工夫がされているんですね。生垣1つにしてもいろんなものがあったり。そういう細かいことへの強い意識っていうのは、ある程度日本特有なんですよね。それと、東京の緑化っていうのも非常に様々で、散歩していると小さな工夫に出会ってまた楽しい。例えばドイツあたりの街並み・緑化は非常に整然としている。でも、細かい工夫といったものを見られるのは、やはり日本、東京の特徴なんじゃないかと思います。

前田:最後の質問です。この対談は『SPINNER』というWebマガジンに掲載予定なんですが、この「スピナー」は軸という意味。毎回、みなさんにとっての「軸」を聞いています。槇さんにとって、人生の「軸」とは何ですか?

槇:ハハハ。別に、僕は人生に軸なんかないんですよ。ただ、好きでこういう職業に就いたので、できるだけその場所にふさわしい、何か新しいものがつくれればいいなと、今でもしょっちゅう考えています。やっぱり「考える」っていうことが、自分の軸じゃないかって思いますね。何かにつけてでも。

前田:考え続けるっていうことは、好奇心を持ち続けるということでしょうか?

槇さん:それはありますね。ヒルサイドテラスで、あるお店の同じところにいつも座って外の風景を眺めている人がいたんです。必ず小さな赤ワインを注文する。赤ワインがグラス半分になると、サンドイッチを食べる。食べ終わったら、コーヒー。いつも同じ。

画像:槇文彦氏提供

一体あれはどなたですかって尋ねたら、近くに住む牧師さんだったんです。彼には、さっき話題に挙がった「孤独」に、自分なりの儀式があったわけですよね。いつも同じ場所から同じところを眺める。外を行き来する人は変わるけど。一度、彼が食べている様子を写真に撮って、さっきのニーチェの孤独の話を書いたことがある。それを彼にあげたら、非常に喜んでくれたんですよね。後々、最近見られないですねと言っていたら、お亡くなりになられましたと。そういうことがありまして。人間っていうのは小さな孤独だけど、常に自分なりの儀式みたいなことをしようとしている。我々の齢になると、いろんなこと、細かいことをしなくてはならないけど、やはり毎日が儀式だとも言えるんですよね。ヒルサイドテラスという自分の気に入った場所で、気に入った風景を見ながら、気に入った食べ方をしてきた。それは、その人のひとつの小さな儀式だったって言えると思うんです。そういう儀式をいろんなところで行える人は、自分たちにとっては想像のつかないようなことが起きても、あなたがエスプラナードで絵を展示されたように、人生楽しくなるんじゃないかなと思います。

前田さん:ありがとうございます。とっても楽しいお話で、嬉しかったです。

PROFILE

  • モデル
    前田エマ

    1992年神奈川県出身。東京造形大学在学中からモデル、エッセイ、写真、ペインティングなど幅広い分野での活動が注目を集める。
    現在は雑誌、WEB等でアート・服など様々なジャンルをテーマに連載を担当している他、ラジオパーソナリティも務める。

  • 建築家
    槇文彦

    1928年、東京生まれ。建築家。1952年に東京大学工学部建築学科を卒業後、アメリカのクランブルック美術学院及びハーバード大学大学院の修士課程を修了。1965年株式会社槇総合計画事務所を設立。1993年建築家にとって最も名誉あるプリツカー賞を受賞。2011年AIAアメリカ建築家協会から贈られるゴールドメダルを受賞。ヒルサイドテラス(東京・代官山)、京都国立近代美術館(京都・岡崎)、幕張メッセ(千葉・幕張)、東京体育館(東京・千駄ヶ谷)、マサチューセッツ工科大学新メディア研究所(アメリカ・マサチューセッツ)、4 ワールドトレードセンター(アメリカ・ニューヨーク)など代表作多数。

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