
DIALOGUE
「あやちょ」の愛称で親しまれ、アンジュルム及びハロー!プロジェクトに15年在籍し、2019年6月に卒業。同年8月からソロ活動を始めた和田彩花さん。和田さんは、西洋美術が大好きで大学院で美術史を専攻し、美術を人に伝える連載なども担当している。保坂健二朗さんは、国立近代美術館の主任研究員を務める、美術のエキスパート。同美術館では「フランシス・ベーコン展」(2013)をはじめ建築展などを多く手掛ける他、美術館外でもアール・ブリュットや建築、現代美術の展示に幅広く関わる。美術を広く人に伝える雑誌連載なども多数抱えている。物事をバシッと決断する和田さんと常に悩み続けている保坂さん、対照的な2人が共通する美術をキーワードに軸について語ります。
お二人の共通点は「美術」。和田さんは大学院で美術史を学ばれたそうですが、美術に触れるきっかけは何だったのでしょうか?
和田:仕事の時間を間違えて空き時間ができたときに、母と一緒に美術館に入って。そこで見たマネの展示(「マネとモダン・パリ」展、三菱一号館美術館、2010年)で、衝撃を受けてしまったんです。当時15歳だったんですが、私の中での絵画のイメージってキレイなもの──お花畑を描いているような、だったんですが、黒い絵の具をたくさん使っていたり、キレイなだけじゃない世界がマネの絵画にあったのが面白かったんです。そこからいろんな展覧会に行き始め、美術史に触れるようになりました。
保坂:最初はマネで、その後も西洋美術が好きなんですか?
和田:いろいろ見ましたが、基本的に好きなのは西洋美術です。高校生の時は近代以前、オランダ絵画とかが好きでした。最初は違った文化に触れる楽しさがあったんですが、その後は絵画の筆の使い方や色に魅せられていることに気付いて。そこからはずーっとマネが好きです。
保坂:マネがずっと好きで、大学院の修士論文のテーマは何にしたんですか? ちょっと採用面接みたいになってますが(笑)。

和田:いえいえ、大丈夫です。マネの作品《ベルト・モリゾの肖像》について書きました。大きくは、その肖像の主題とか描写とかの再検討という風に進めていって、マネとモダンアートは切り離せないので、最終的にはそこに落ち着かせました。
保坂:すごい、全然軸がぶれてない。逆に僕はぶれぶれなんです。学生時代はずーっとカンディンスキーが好きだったんですが、卒論を書く時に指導教授から美術の仕事に就きたいんだったらカンディンスキーはやめろって言われたんです。カンディンスキーは先行文献が多すぎるのと、彼はロシア生まれでドイツとフランスに住んでいたことから、語学が堪能じゃないと論文が書けないと。それを言われて、あっさり対象を変えたんです(笑)。それで、論文を書きやすい画家は誰だろうと調べてみたら、日本でフランシス・ベーコンってほとんど研究されていなかった。だからベーコンをやれば日本国内では第一人者になりやすいんじゃないかと思って、ベーコンで書くことにしたんです。その後めでたく美術館に就職できて、ベーコン展の企画もできたので指導教授には感謝しているんですけど。和田さんは修論まで書き上げて、その後はどうするんですか?
和田:私は美術史の勉強はしましたが、その前からアイドルとしての表現活動があるので。学芸員とか研究の方向に進むのではなく、美術にあまり興味がない人に向けて、美術の楽しみ方を発信していける立場でいたいと思います。
保坂:表現というのは、ステージ上でのパフォーマンスということ?
和田:そうですね。私は小学校4年生からアイドルとして活動をしていて、歌とかダンスとか、身体を使って表現することが好きなんです。それは変わりません。今までは作詞家や作曲家がいて、プロデューサーがいてというスタイルで、わりと受け身の姿勢でやってきたんですが、グループを卒業して一人になって、これからは自分の曲の詩は自分で書きたい。また、エッセイのお仕事をさせていただいたりと、自分の言葉をきちんと持った上で自分の活動を成り立たせていきたいなと思っています。
保坂:その時に美術史をやっていた影響というか、蓄積が詩に表れる感覚はあるんですか? 絵を見た経験が詩に表れるような。
和田:自分が身体を動かして何かをつくったり、詩を考える時って運動的というか感覚的で、美術史でやっているような考察する思考とは少し違うような気がします。でも、影響するかと言われると、しているような気もします。例えば、考え方とかは美術から影響を受けていることが多い。

保坂:僕はとにかくさっき自分はぶれぶれだと言いましたが、それは学芸員の仕事でも同じで、絵画を専門にやっているはずなのに、最近担当している展覧会はむしろ建築の方が多いくらいで。今年は建築家の隈研吾さんの展覧会をやる予定だし、数年前には『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』(2017年)っていう住宅の展覧会をやりました。絵画はみんなが着手するから、人がやっていないことをやろうという気持ちがあって。日本の建築って世界中から評価されているのに、日本の美術館ではあまり建築展をやらない。じゃあ僕がやりますと言って担当しているんです。建築はもともと好きではあったけど専門じゃない。でも担当をしてみたら、絵画の視点で建築を見ることができたり、建築の考え方が絵画に応用できたり、いろいろわかって面白い。
和田:お互いが影響するということなんですね。
保坂:そう。絵画が好きだから最後には絵画に戻ってくるんだけど、うーん、そこは大切にとっておこうという感覚があって。好き過ぎて、大事過ぎてそれを展覧会にするのはちょっと大変だなというのがあります。
与えられたテーマが意外に面白かったということだったり、偶然の出会いから本質が見えてくるようなことはありますよね。保坂さんがご担当されている展覧会を拝見すると、美術ってこんなに範囲が広いんだということがわかるような気がします。
保坂:前にお金にからむ展覧会をやったことがありまして(『現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより』2014年)。美術作品の市場価格を提示して、何故その作品の価格が高くなっているのかという考察をしたり、あなたがいいと感じる絵とその価格は合っていると思えるかという疑問を投げかけたり。美術作品の市場価値というのは様々な理由によって変動するから、「信じるべきなのは自分が好きだということなんだ」というメッセージを展覧会で伝えようとしました。会場には解説を2つ書いて、いわゆる美術史的なものと市場原理から見た作品についてと。鑑賞する人は、どちらを通して作品を見てもいいですよという展覧会でした。
和田:すごい挑戦的な展覧会ですね。
保坂:美術の価値というのはすごく難しい。和田さんが好きなオランダの絵画は僕も大好きなんですが、フェルメールと同時代にピーテル・デ・ホーホという作家がいて。フェルメールが没後忘れられていく中で、一時期はデ・ホーホの方が人気があって、それだからか、フェルメールの作品なのにデ・ホーホという偽のサインが書かれて売られた作品もあります。それってみんなは何を見ているのかというと、絵じゃないですよね、名前で見てる。その後、19世紀後半からフェルメールの再評価が始まるのですが、20世紀前半に、すごい贋作問題が発生しました。そこで登場するのがハン・ファン・メーヘレンっていう画家です。当時の美術館や批評の世界では、アバンギャルドじゃない作品は評価されなかった。ファン・メーヘレンはフェルメールのようなクラシックな絵が好きで描いていたんですが、全然評価されない。古臭いと。そこで彼は、フェルメールが過去に描いた絵を想像で描いて、それを美術館に持ち込んだんです。コピーとしての贋作ではなくて、オリジナルのない贋作です。そしてロッテルダムにあるボイマンス美術館には、その作品がフェルメールの初期作品として収蔵されてしまいました。美術館にとっては黒歴史ですよね。
ファン・メーヘレンのその絵を今僕らが見ても、絶対にフェルメールだとは思えない。でも、当時の美術館の人はフェルメールの初期作品を自分が発見したいとか、フェルメールは確認されている作品点数が少ないからもっとあるはずだとか、きっとそういう思いが目を濁らせてしまったんだと思います。後日談として聞くと、彼らは何を見ていたんだろうって笑い話にしてしまいがちですが、「見る」っていうのは本当に難しいことで。美術業界にいればいるほど、本当に純粋な目で絵を見ているのだろうかと、常に自問自答しています。和田さんの日経新聞の連載「美の十選」を読んで、すごく心打たれるものがありました。
和田:ありがとうございます(笑)。私はそういう美術業界のことにとらわれていないからですね。

保坂:書く時はどうだったんですか? 早く書けました?
和田:文章のテーマが決めやすい作品を選んでいるので、書く内容を決めるのはそんなに時間はかかりませんでした。でも、悩んだのは文体です。いままではインタビューを書き起こしていただいていたことが多いので、一から自分で文章を書くということが初めてに近かったんです。どういう書き方をしたらいいのかっていうことがわからなくて、すごく苦戦しました。いまだに手探りな状態です。でも、その時に大学院の先生から教えてもらったことがかなり大きいなと実感しました。
大学院で教わったのは美術の知識だけじゃなくて。特に私の指導教授は言葉を大切にされる方でした。例えば授業中に発言をする時も、その言葉が適切じゃなければ何度も言い直しをさせられたり。そういう学び方だったので、話す時にも文章を書く時にも、常にこの言葉は合っているんだろうかと思いながら言葉を使うようにしています。そういうことを教授から学べたのはためになったなと思います。
保坂:発言する時、というのは、スライドを見ながら話すんですか? もし印象的なエピソードがあったら教えてください。
和田:美術館での見学授業もあるんですが、話をするのはだいたい教室でスライドを見ながらですね。印象に残っているのは、例えば女性のヌードが描かれた絵について「女らしい」っていう言葉を使っちゃった時とか。その言葉を使うことで、どういう問題が生じるか、どう受け取られるのかという議論になり、「女らしい」という言葉でも様々な解釈ができるということを学びました。それからジェンダー問題に関心を持つようになって。でも、その後ジェンダー的な視点を絵画の解釈に入れ過ぎてしまった時には、それは美術史じゃない、絵画を見るということはそういうことじゃないと言われたり。
保坂:そうですね。美術館におけるジェンダー問題というのは、まさに今、日本の美術館で働いている人たちが直面しているところです。単純にコレクションに女性作家の作品数が少ないこともありますし、キュレーターの数は女性の方が多いのに、館長の数で見ると圧倒的に少なかったり。うちの美術館では僕が女性の作家を増やす運動を勝手に担当していまして。例えば、今回はこの一室は全員女性のアーティストにしますとか、ハイライトっていう、目玉の作品を展示する部屋で女性の比率を上げるとかやっています。僕らキュレーターがものを見る時、その基準を美術史にしていたが故に女性の作家が排除されてしまった歴史があるので、その反省からこうしたことをやっています。最近リニューアルオープンしたアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)は、セザンヌやルノワールなど印象派のコレクションで知られる美術館ですが、かなり意識的に女性作家の作品を新しい所蔵品として購入しています。何が言いたいかというと、コレクションを持つ美術館の役割のひとつとして美術史の軸を見せることがありますが、その軸は常に変わる可能性がある。ところで和田さんは日本画には興味があるんですか?

和田:正直、強い関心はありません。でも、違う分野のことは知ると楽しいので、知りたいです。教えてください。
保坂:いまうちの美術館では、小倉遊亀(おぐらゆき)という日本画の女性作家の作品を展示しています。それは《浴女 その1》という作品で、女性の日本画家で初めてヌードを描いたとされるものなんです。それまでの作品で男性が女性のヌードを描くと、どこか優美さが強調される。先ほど「女らしい」という価値観の話がありましたが、要はそういう言葉のもとで美しい線を描こうとする。ただ、当然のことながら、すべての女性の体の線が、あるいはすべての人間の体の線が優美なはずがない。小倉遊亀は、もっと違う価値観でヌードを描くべきだと考えて、浴槽に入っている女の人を描いたんです。お湯に浸かっていると、その水面下にある身体の線は変わりますよね。そういうのをあえて描こうというモダンな意識を持って描いていました。
和田:すごい。面白いですね。
保坂:日本画は「線の表現」だって言われることを逆手にとって彼女はそれをやったんですね。日本画の世界では女性を優美さという観念でとらえていたところに、歪んだ線をあえて用いて、女性を違う角度から描いた。一方、洋画というか油絵は線よりも「ボリュームの表現」に適してるのでそうしたことはなかなかできないのですが、でもひとつ良い例があって、うちの美術館が最近購入した丸木俊さんの作品があります。1947年に描かれた《解放され行く人間性》というすごいタイトルなんですが、これはヌードの油絵です。本当にボリュームがある堂々とした女性が描かれている絵なんですが、穿った見方をすると男性がこれを描いたら怒られただろうな、女性が描いているからありというか、すごく意味を持つんだろうな、と。でも、そう思ってしまうこと自体が……、なかなか複雑な問題ですよね。
PROFILE
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- 東京国立近代美術館主任研究員
- 保坂健二朗
1976年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学)修了。担当した主な展覧会に、「The Japanese House: Architecture and Life after 1945」(ローマ国立21世紀美術館、2016)、「Logical Emotion: Contemporary Art from Japan」(チューリヒ・ハウス・コンストルクティヴ美術館、クラクフ現代美術館他、2014)、「フランシス・ベーコン」(2013)、「Double Vision: Contemporary Art from Japan」(モスクワ近代美術館、ハイファ現代美術館、2012)など。主な著書に、『キュレーターになる!アートを世に出す表現者』(住友文彦との共同監修、フィルムアート社、2009)、『アール・ブリュット アート 日本』(監修、平凡社、2013)など。
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- アイドル
- 和田彩花
1994年8月1日生まれ。群馬県出身。
2009年4月アイドルグループ「スマイレージ」(後に「アンジュルム」に改名)の初期メンバーに選出。リーダーに就任。2010年5月「夢見る15歳」でメジャーデビューを果たし、同年「第52回日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞。2019年6月18日をもって、アンジュルム、およびHello! Projectを卒業。アイドル活動を続ける傍ら、大学院でも学んだ美術にも強い関心を寄せる。特技は美術について話すこと。特に好きな画家は、エドゥアール・マネ。好きな作品は《菫の花束をつけたベルト・モリゾ》。特に好きな(得意な)美術の分野は、西洋近代絵画、現代美術、仏像。趣味は美術に触れること。
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