
DIALOGUE
現在東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「ドレス・コード?ー着る人たちのゲーム」展。京都服飾文化研究財団(KCI)が収蔵する衣装コレクションを中心に、ファッションとアートのほか、映画やマンガなどに描かれた衣装も視野に入れながら、300点を超える作品で構成し、現代社会における新たな〈ドレス・コード〉、私たちの装いの実践(ゲーム)を、13のキーワードで見つめ直す展覧会です。
今回の対談シリーズはこの展覧会に出品している現代美術作家、青山悟さんのアトリエを訪問し、制作過程のお話からコロナ禍での日々のこと、美術大学の教育についてまで幅広くお話しました。初対面の前田編集長にも丁寧に作品説明をしてくれる青山さんはここち良い光が入るアトリエで日々制作しています。
東京オペラシティアートギャラリー『ドレス・コード?ー着る人たちのゲーム』
2020年7月4日〜8月30日まで
S:ドレス・コード展では、京都と熊本よりも大きい画面でミシンの映像作品も展示されています。ミシンの機械音も入っていて、実際に動いている映像をフィジカルに観れるというのはやはりすごく感慨深く、展示にも深みがありました。まず最初の展示室に青山さんの刺繍の作品があるのですが、その段階でミシンの「ガタガタガタ」っていう機械音が耳に入ってくるので「あれ、この先に何かあるな」って思いながら足を進めると次の展示室でウィリアム・モリスのテキストとミシンの映像が展示されている。「あ、これだったんだ」って、フィジカルに体験できてすごく良いなって思いました。これはSNSでは伝えられないことだと思います。

青山:空間性というものは、フィジカルでないとなかなか伝わらないですよね。
エマ:青山さんは版画に糸を通しているんですよね。版画は複製性が高くて、ある意味SNS的な要素も含んでいると思うんです。コンセプトだけを伝えようとしたらうまいことストーリーを立てれば伝わるかもしれないけれど、刺繍という物理的な面白さを伝えるのはやはり実際に見ないと伝えられないなって思いました。
S:青山さんはこれからも刺繍で表現していくのでしょうか。これから何か挑戦しようと思っていることはありますか?
青山:自粛期間中、毎日作品を作っていたんです。数えたら60点くらい作ってたんです。朝思いついたことを夜までに作品にする、っていうような生活サイクルでした。今年で僕は47歳になるんだけど、ミシンを始めてからはもう20年以上も経っていてキャリアとしても随分長く続けているんですが、今回立体作品を作ったのはほぼ初めてなんです。

刺繍ってアートの分野ではなく工芸に分類されるんですよ。海外だとアートか 工芸かってきっぱり別れていて、実はそのヒエラルキー論争はものすごいんですよ。特に僕が学生の頃はすごく強かった。クラフトからアートへ乗り越えていく過程の中で、実はクラフトっぽいことは僕は全部避けていたんです。今はワッペンを普通に作っていますが、ワッペンはクラフトに完全に吸収されてしまうからそういったものは以前は作らなかった。刺繍でも絵画として成立するように意識していたし、言ってしまえばオルタナティブな絵画として制作していたんです。刺繍の良さを奪っていたというか、刺繍っぽいことをやらない、と決めていたんですね。でもそれが最近、刺繍らしい部分を僕の中で受け入れるようになって毎日作品を作っていたら、額に入れる必要がなくなったからまずフレームから解放され、自ずと立体作品も生まれ、刺繍時計も生まれた。刺繍時計というのはクラフトの一分野なんですが、あえて避けていたことに挑戦してみたんです。

これからは制作の範囲を狭めていく必要はないと思っていて、やれることはどんどん増えていくのかなって思っています。
エマ:ずっと紙に刺繍しているんですか?布に縫ったことはありますか?
青山:以前の作品は全て布です。布の方が精度は高くなります。一見、絵や写真みたいに見える。刺繍らしさを全部消して絵画として成立させるためには布の方が適していたのかもしれません。パッと見たら刺繍だとはなかなか気がつかないかもしれませんけどね。でも最近はなんでも縫ってみようと思っています。実は紙に縫うって心地よくはないんですよ。ボコボコしてるし。

エマ:でもうまくいかないところも面白いんじゃないんでしょうか。すごく時間をかけて作られて、例えば数ヶ月の間、朝から晩まで制作していて何か考えた事はありますか?
青山:意外といろいろ思いつくんだなって思いましたね。無尽蔵に作れるんですよ。例えばマーティン・グリードはとても多作な作家なんだけど、自分の作品全てにナンバリングしているんです。それこそ何千も。それって常に天からアイデアが降ってくるのではなく、ある種のシステムに当てはめていけばいくらでも作れるということだと思うんですよね。種明かしすると、横軸を現代の事象、縦軸をアートの文脈にする、つまり世の中に起きていることに、過去に作られたアートの遺産を組み合わせれば作品ってできるんですよ。例えばコロナとゴッホを組み合わせたら何かしらの作品は作れるんです。一言で言えば「リサーチした結果」なんですよね。だからこの路線はいくらでもできるぞ、って思ってます。

エマ:1つの旗にどのくらい時間がかかるんですか?
青山:長い時間をかけて制作する作品なんですが、1日にできる旗は1~2つくらいなんです。
エマ:作業の時間がどのくらい膨大なのか、体感としてなかなかわからないですね。
青山:ジョージ・フロイドのあたりで2日くらいかけています。僕、実は絵が苦手で。だから刺繍をしているのかもしれないですが。それにしても日本の美大生は絵画を描かされるよね。
エマ:私も絵を描くのは苦手です。今の時代に上手に絵を描けることって、もちろん描く尊さや観る面白さはあるものの、描けること=偉い、ということでは全くないと思うんです。
青山:石膏デッサンのようにアカデミックに描ける必要はないですよね。でも、それをやっていた人の強みはなんだかんだあるとは思いますよ。僕は実技をちゃんとやってなかったから人を雇わざるをえないんだけど。このネルソン像なんか、教え子に描いてもらっているんですよ。多摩美で非常勤講師をしていた時なんかは、学生に教えてもらいながら絵を描いてました。(笑)
エマ:私は制作がすごく早いんです。
青山:作品少し拝見しましたけど、感性が先に出てるような作品ですね。

エマ:工作のようにただ手を動かすということが好きで、それの延長で作品を描いてます。写真も撮るんですが、撮るのはシャッターを押す一瞬ですよね。制作するスピードとその人が持っている特性との関係性が面白いなっていつも思っています。版画を制作している友人は、何日も前から計算して何回も重ねる作業をしてすごいなって思いますね。
青山:版画は面白いですよね。僕と同年代の風間サチコさん、すごいですよ。
エマ:学生を教えることで自分も教わることってたくさんあると思うんですが、コロナをこれから経ていく今の学生について、青山さんはどう思っていらっしゃいますか?私は震災の時に卒業間近の高校三年生だったんですが、「これから美大に行くんだなぁ」「大人たちって何しているんだろう」「アートは何をしてくれるんだろう」という問いがありました。私の弟は今美大に通っているんですが、ずっとオンライン授業で実技ができない。今の美大生たちってこれからどうなってしまうんでしょうか。今までの美大生と少なからず変わっていくところはあるのかなとは思うんですが、青山さんはどう思われますか?

青山:僕は美大で今は教えていないけど、周りからいろんな話は聞きますね。美大批判も含んでしまうかもしれないけど、まず美大は先生たちが変わる必要があると思う。例えば、震災の後数年の間、非常勤だったので震災について直接的な課題を出そうと思っていたんですが、一部の先生の中には世の中に反応しない方が良いというような意見もありました。もちろん違う意見の先生もいますけど、昔ながらの先生っていうのは今の時代や社会や世界から切り離されているんですよね。今だって美大生はコロナの時代でオンライン主軸の生活に変わっていっているんだから、教育も変えてコロナという課題を出すべきだと思いますよ。実技については、デイヴィッド・ホックニーがiPadで作品を制作したことを参考にしたいですね。オンラインでしかないのであれば僕だったら油絵科の学生一人ひとりにiPad渡してホックニーのようにデジタルの課題を出して講評したいです。オンラインでは伝わらない油絵を描かせて、それをなんとなく講評する、というのは無責任な気がするよね。でもそういうことは先生たちも皆考え始めていると思います。教育の外側から言いたい放題ですね(笑)

エマ:この先、その生徒がそのツールを使おうが使わまいが、時代を見るための物差しになりますよね。
青山:そうですね。あと、なんだかんだ言ってもデジタルで描いたものをもう一回油絵に移行するっていうのは実はとてもいいことだと思っているんです。予備校は混ぜて混ぜて泥みたいな色になって終わる、っていうことが多くて、泥というよりは「鴨みたいな色の絵」ってよく言ってたんだけど(笑)、若い人たちは色のセンスがあるんだからiPadで絵を描いたら良い作品ができるかもしれないって思うんだよね。服だってすごくおしゃれに着てるのに絵画になった瞬間に何で鴨になるんだよと(笑)。
iPadで描いて、それを忠実に絵画で再現した方が多分綺麗に描けるんじゃないかな。

エマ:教授たちもホックニーのあのスタンスについていけないのかもしれないですね。乗りたくない、批判したい、という気持ちもあるのかもしれないですね。
青山:そうかもしれないですね。でもびっくりしたよね、iPadになってもホックニーはホックニーなんだよね。
エマ:展示みましたけど、ホックニーでしたよね。彼のペインティングのマチエールが好きだからデジタルと聞いて「え!?」と思いましたが、実際行ってみたらさすがだなって思いました。
青山:別にiPadだからってわけではなく、ちゃんと画面が光っていたしね。教育に話を戻すとオンラインやデジタルになったからといって「これができない」っていうことを前提に考えるんじゃなくて、その時代だからこういう表現方法になっている、っていうことをちゃんと意識しながら課題を出したり制作するのが良いと思いました。
エマ:美術教育に関しては中途半端な感じはありますよね。一流のアーティストたちが大学で教えられる環境を整えるか、または技術的に卓越した人が先生になるか、いずれかであればまだ救いようがあると思うのですが、日本の美術大学は中途半端な環境なのではないかなと思っています。すごい速さで動いている今の時代にコミットしていない教授たちに教わざるをえない、という現状。東京都写真美術館の「写真とファッション」展(2020年6月2日〜7月19日)に出品している友人が、学生の時からずっと服を作っていて、卒制の時にファッションブランドをやりたいと言っていたんです。講評の時に担当教授が「これはアートなの?ファッションなの?」と問いかけたんですね。友人は「ファッションです!」と答えたんですが先生が「ここは美術大学だから、ファッションなのであれば単位なんかあげないよ」とお話しされたんです。そんなバカな、先生に泣き叫んだことがありました。なぜそこで先生がファッションとアートを分けるのか、疑問でした。
青山:そうやってジャンルを分けていくのなら、そもそも「画壇系や団体系にいる先生たちの作品はアートなのか?」っていう疑問はあるよね。そこはやっぱり更新していかなくちゃいけないと思います。アートはこれまでもずっと更新されてきたものなんだから。教育だけではなくて社会全体に言えることだけど、コロナで更新できる部分は更新すべきだよね。本当に必要なものと必要じゃないものは見分けるべきだと思うよね。未だにハンコ文化とかあるしね。

エマ:東京オペラシティアートギャラリーの展示ではアートもファッションも並列してみることができる。これが一番自然な本来のあるべき姿なのではないでしょうか。ドレス・コード展のように網目になっていることこそが普通の世界なのかもしれないなって思ったんです。だから卒制の時のあの先生の発言はやっぱりおかしいな、と今でも思っています。
青山さんはイギリスの大学でテキスタイルを勉強されていたんですよね。青山さんがテキスタイル科について言及されていた記事を読ませていただいたんですが、私が想像してたテキスタイル科とは全然違ってびっくりしました。
青山:例えばターナープライズだってもう10年以上も前にグレイソン・ペリーが壺の作品で大賞をとって、工芸やアートやジャンル横断が当たり前で更新されているのに未だにメディアに固執して美大も学科分けて…というのはどうかな、と思いますよね。ゴールドスミスのテキスタイル科はジェンダースタディーに特化した学科で、最近のBlack Lives Matterと一緒で構造的な差別から生まれた学科だったんだけど、フェミニズム運動と一緒に発展して、ある程度のところで役割が終わってファインアートと合併したんです。フェミニズムの問題はまだもちろん全然残っているけど時代と共に運動の内容も変わってきていて。フェミニズムってもはや女性だけのものではなくて男性の問題でもあるし、エマ・ワトソンが国連のスピーチで平等を望む人たちが皆フェミニストなんだって言ってたけど、そういう意味じゃ僕もフェミニストなんだよね。男性も自分のロール・モデルを変えていく段階にある。そういう中でゴールドスミスカレッジのテキスタイル科っていうのは更新されなくてはいけなかったんだと思います。女性による女性のため学科だったから。それが合併されたっていうのは美大が更新された、という証でもあるんだよね。自分の卒業した学科がなくなることは寂しけどね。 それと同じように日本の美大も更新されて合併できるところは合併した方がいいのかもしれない。そうじゃないといつまでたっても古臭い意見がまかり通っちゃうよね。

青山:前田さんは今何歳ですか?
エマ:27歳です。
青山:ちょうど僕がデビューした頃の年齢だな。20年経ったってことだね。20年前に活動していて消えてしまったアーティストってあんまりいないと思わない?ほぼ同じ歳くらいのアーティスト、結構いるんだよね。そう思うとそれほど厳しい世界ではないのかな、なんて思ってしまうな。(笑)
エマ:続けていくことがアーティストにとっては重要だからじゃないですかね。
青山:続けている人は20代からずっと続ける雰囲気は持っていたよね。
エマ:大学の頃からそういう雰囲気の同級生はいたような気がします。
青山:でも大学でこの先続けていきそうな人って卒業と同時にぱたっとやめちゃったりするんだよね(笑)。卒業しても続けそうな雰囲気の人は、今でも続けている。自分の学生時代の友達でいうと、キュレーターだけど、ロジャー・マクドナルドやロジャーの弟で画家のピーター・マクドナルド、土屋信子ちゃん、森田浩彰くんとか彫刻家の鈴木友昌くんとかいるけど、みんなアート活動だったり制作活動を変わらず続けているよね。大御所はまだいないけどね(笑)。
S:森村泰昌さんが1998年に東京都現代美術館で個展「空想美術館 絵画になった私」を開いたのが47歳だったんですよ。そう考えると、青山さんもそろそろ大きな美術館で個展を…なんて勝手に考えてしまいますけど。
青山:それよりも毎年生き延びることを考えなくてはいけないよね。国内は意外とアートマーケットは動いているようだけど、アートフェアも当分復活しそうにないしね。
エマ:芸術祭も、今年開催予定だったものがほとんど来年に延期していますよね。もともと2021年に開催予定だったものを含めると来年は相当数になりそうです。お客さんも積極的に集められないし海外からも招聘できないし、どうなるんでしょうか。
青山:芸術祭は若手の発表の場という側面もあるんだよね。予算がない中で美術館が若手の展覧会を開催しなくなったり、コマーシャルギャラリーもそんなに人数を入れられない中で芸術祭でデビューしていた若手作家って多かったと思うんですよ。だからそこの受け皿は心配ですね。日本の芸術祭は予算が減って縮小してついには消えてしまうものも多いよね。でもそこからまた新しい動きや組織が生まれてくるとも思うから、それはそれで楽しみですね。
エマ:スパイラルのイベントで展示のキュレーションをしたんですが、自分で作るよりも作っている人たちを見ているのがすごく好きでそのワクワク感をどうにか維持したいという気持ちがあるんです。

青山:キュレーションってどんどんやるといいよね。スパイラルで2017年に開催した「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS企画展 ミュージアム・オブ・トゥギャザー」は、ロジャー・マクドナルドがキュレーションして、僕の昔からの友達も勢ぞろいっていう感じの展示だったんだけど、面白い展覧会だった。香取慎吾さんが出品していて大行列になっちゃって(笑)。

エマ:「ミュージアム・オブ・トゥギャザー」展に、今回私が選んだ川内理香子さんも出品されていました。彼女とはアトリエがずっと一緒だったんです。
青山:僕の20年来の友人たちの中に川内さんがいたのをよく覚えています。 川内さんもずっと続けていきそうですね。
エマ:20年後もみんなの作品をずっと観ていたいですね。
青山:そのためには例えばオンラインとフィジカルとを上手く組み合わせたり、時代と共に自分自身を更新し続けていかなければですね。自戒も込めてです。
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