
DIALOGUE
美大の学生時代から自身のテキスタイルレーベル「YUKI FUJISAWA」を立ち上げ、アートピースとしての服作りを行うことと並行して舞台の衣装デザインや企業へのデザイン提供など幅広い活動をする藤澤ゆきさんと、父親の日記とアンネ・フランクの日記を携えて旅に出た代表作の小説『親愛なるキティーたちへ』や放射能115年の歴史を紐解きながら国や時代を超えてそこに関わってきた人たちがどう“見えないもの”と対峙してきたかを描いた漫画『光の子ども』を発表しつつ、現代アーティストとして同じ問題意識と向き合う作品を発表し続ける小林エリカさん。一見幅広い活動をしつつ芯を持った2人が考える軸とは。
お二人は今回が初対面だということなんですが、わりと共通の知り合いが多いような印象があります。
藤澤:エリカさんの本を持っていて、すごくお会いしてみたいなと思っていたので、今回は対談できてうれしいです。私、学生時代にanccoちゃんというイラストレーターと一緒にものつくりをしたことがあって、彼女がエリカさんと同じアトリエにいた時にお話を聞いていました。
小林:そうなんですね、うれしいです! anccoちゃんとお友達なんですよね。共通の知り合いがいっぱいいそうだと思っていました。anccoちゃんとはどういう経緯で一緒にものづくりをすることになったんですか?

藤澤:実はネットで知り合ったんです。お互い学生で、当時はTumblr(タンブラー)が全盛期で、作品作ったらアップしてというのをみんなやっていたんですが、すごく可愛い絵を描いてる子がいる!って思ってDMを送って。そうしたらすぐに意気投合して、一緒に何か作れたらいいねって話になったんです。anccoちゃんの絵を私がテキスタイルや洋服にして、ラフォーレで販売したりもしました。
小林:いいですね、そういう出会いや、だれかと一緒にものづくりをするやりかた、すごく軽やかで素敵です!大学ではテキスタイルを学ばれていたんですよね。
藤澤:はい。最初は雑貨のデザインをやりたいなと思っていたんです。中学生の時から雑貨が好きで、勉強は苦手だけどこの可愛い形のシャーペンだったら勉強する気になるという原体験がありました。同じように、誰かが自分が作ったものでハッピーになったら嬉しいなと、文具とか生活に根差したもののデザインをやりたいと思っていたんです。それが最初でした。エリカさんは、どういうきっかけで作家になったんですか?
小林:私は、やはり『アンネの日記』が大好きで、アンネ・フランクみたいに作家かジャーナリストになりたい、と思っていました。でも、そうして作家になったものの、未だこれからどうすればいいのかわからいと、悩むことも多くて。迷うっていうか、あまりに迷いすぎて、このまま一生迷っていてもいいかなとも思っていて。
藤澤:迷うというのは何に?
小林:あらゆることです。40歳にして迷わず、不惑の40代って言うじゃないですか。でも何事にも迷いまくりで。スーパーの買い物から、世界で起きている不条理なことに対抗するやり方まで。子どもの頃は大人になったら、もっと迷ったり悩んだりすることなんてなくなるんだとばっかり思っていたんです。大体、悩み相談とかに答えている大人は偉そうだったし。なので、MilK JAPON webで「おこさま人生相談室」っていう、大人が子どもに悩みごとを相談するコーナーをやっています。というわけで、大人になったいまも、私は迷っている、って感じです。
藤澤:意外です。それこそエリカさんは一本道で来たっていう感じがしていたので。でも私もプライベートな決断では決められず、ぼーっと立ち止まってしまう瞬間がよくあります。
小林:そうなんですか! それこそ藤澤さんは、作品を拝見していても筋が通っているし、NEW VINTAGEの取り組みとか、素敵だしすごく丁寧に仕事をされていっている感じがあるから。
藤澤:丁寧って言っていただけるのは、いつも心掛けていることなのですごく嬉しいです。自分がもし受け取り手だったらこうして欲しいなと思うことは一つひとつ丁寧にやろうと思っていて。例えば、古着を使ったアイテムを作っているので、その小さな綻びを直したり。それは僅かなことかも知れないけど、伝わると思っていて。仕事以外は、抜けているところもところも多いんですけどね。私の丁寧エネルギーはそこに注ぎ込んでいるんです。
小林:丁寧エネルギー(笑)。藤澤さんの作品は、本当にディテールが素敵だと思います。
藤澤:kvina(クビーナ)の存在を初めて知った時に、なんて素敵なんだろう!って思ってすごくうらやましく見ていました。それぞれに活躍する女性たちが集まって、ひとつのお家みたいなアトリエを共有して。あれはどうして始まったんですか?
小林:最初はたまたまお互いみんな家で作業をしていて。グラフィック・デザイナーでアートディレクターの田部井美奈ちゃんは服部一成事務所にいて、写真家の野川かさねちゃんはホンマタカシ事務所からちょうど独立するタイミングで、イラストレーターの前田ひさえちゃんも場所を探していて。それぞれ作業スペースが欲しいよね、じゃあ共同で借りる?っていう話になって。それで広尾の小さなマンションのひと部屋を借りたの。郵便物とかがごっちゃになるからひとつの名前をつけようってことになって、ちょうど部屋が5階にあったからエスペラント語の5番目のって意味をもつkvinaっていう名前をつけたんです。するとユニットが誕生したと思ってもらったみたいで、次々と一緒に何かやってもらえませんかという話をいただいて。やってみたらすごく息が合う!っていうことに気付いたんです。
藤澤:そうなんですね、なんて素敵な偶然の出会い。
小林:そのままで今も続いているっていう。全員仕事のジャンルが違うから、それが面白い。けれど、好きなものや目指す方向は、案外同じだったりもして。それぞれ独りで仕事をするタイプの職業だったから、他の人がどうやって仕事をしているのかを見たことがなくて、それを見ることができたのも新しかったし、勉強になった。こんな仕事の仕方をするんだ!って。それに、4人集まると、ひとりではできないことも、大概のことは実現できる。それで早10年なんです。
藤澤:え!もう10年!すごいですね。
小林:みんなで60歳になったら還暦展覧会をやりたい!って話もしていて(笑)。女4人で赤い衣装を着るのが、いいなって。たまたま全員年齢が一緒なのも、本当にそれも偶然で。
藤澤:そんな出会い、憧れます。私は、いまは千駄ケ谷のアトリエを借りているんですが、その前は台東区にあるデザイナーズヴィレッジという、廃校になった小学校を利用したアトリエを3年間借りていたんです。そのときは共同アトリエでしたね。
小林:共同アトリエいいですよね。
藤澤:各教室で仕切られてはいるけど、他の部屋には気軽に遊びに行ける作りでした。建物全体が学校のままになっていて。創業支援のための施設なので、期間限定で全員3年で卒業していくシステムなんです。

小林:すごい!ちゃんとしているんですね。
藤澤:村長と呼ばれるマネージャーさんが常駐していて、半期に一度経営計画を相談できるんです。アトリエを貸すだけじゃなくて、どうやって経営していくかを学んで卒業する場所なのでそこに集まる人はジャンルもバラバラ。3年間で一回も喋ったことない人もいますし、共通の友だちがいてすぐに意気投合する人もいました。作業に息詰まると知り合いの部屋の扉をコンコンとして、「お茶しようよ〜」って逃げ込んだり。夜中に帰るときに他の部屋に明かりがついていると、みんな頑張ってるなと励みになったりして。それはすごく心強かったです。私は大学の時から制作を始めていたので、一回も就職することがなかったんです。アルバイトとかはしていたんですけど、正社員になったことがなくて。
小林:確かに、私も経営とかわからない。
藤澤:私は大学1、2年生のときにはspoken words projectでインターンをしていました。たまたまデザイナーの飛田(正浩)さんが、私が通っていた予備校の先生をされていたんです。高校3年時に初めてspokenの展示を見に行ったのですが、こんなユニークなデザインがあるなんて!と感動しました。それで大学に入ってから先生経由で連絡先を教えてもらって、インターンをすることになったんです。spokenでの数年間は貴重な時間でした。今でこそ笑って話せますが、当時の飛田さんは背中を見て学べ、という雰囲気で怖かったんです。
小林:そうだったんですね。確かにすごく繊細なイメージの方ですけど、きっと昔はもっと近寄りがたかったんでしょうね。
藤澤:アトリエの扉を開ける瞬間、今日は飛田さんになんて挨拶しようかと悩んでしまう位、緊張する存在でした。
小林:私の場合、そういう存在は心の中のアンネ・フランクですね。
藤澤:でも、いまそういう存在はいるかと言われたら自分自身でしょうか。自分自身に問いかけて、納得できないと思うことはしないようにしています。
小林:わかります。最初の頃は、こうしたら誰かが喜んでくれるかなとか、こうしたら誰かに伝わりやすいかもって考えながら小説を書いたり、作品を作ったりしていたんですが。あるとき、2011年頃だったと思います、その“誰か”って誰なのかわからないって思ってしまったんです。結局、自分が面白いと思う、自分が読みたいと思う、自分がやりたいと思うことしかわからないんだなって思って。それから人がどう思うかを考えるのを止めました。
普通に考えたら『光の子ども』とか私の描く漫画って漫画としては余白が多すぎだし、これは漫画なの? って自分でも思った時期もありました。文章にしても、文学らしい文体って何だろうとか考えてみたり。でも、作家って、いわゆる文豪といわれるドストエフスキーとか夏目漱石みたいな人だけしかいないわけじゃない。私が好きなのはアンネ・フランクだ!て思って。アンネ・フランクは日記の作家だし、日々のことを丁寧に綴って、それを作品にしていた人なんです。彼女は日記を書くのと並行して、絵も描いていたし童話も書いていて、さらに《隠れ家》に潜んでいたときにも壁をコラージュして可愛い部屋を作ったりするというようなこともやっていて、それが素晴らしいと思ったんです。それと同じように、小説だからといって、いわゆる文豪のように、みたいなことを目指したり、そこにこだわろうとしないで、人生は一度きりなのだから、自分が好きなことを、好きなようにやってゆく方向に進もうって思いました。

藤澤:私も最初の頃は、デザイナーなのかアーティストなのか、自分の肩書きについて考えていました。今はテキスタイルデザイナーと名乗っているんですけど、皆さんが想像するテキスタイルデザイナーって須藤玲子さんとか皆川明さんのような、布地の展開をメインにしている方々ですよね。でも、私の場合はヴィンテージの素材を使用するアートピースもあれば、クライアントワークでデザインを提供する場合もあります。もちろん私はどちらもやりたいんですけど、その二つは離れていて、デザイナーかアーティスト、どちらを名乗ればいいの疑問に思っていました。美大にいた時はアーティストは崇高な存在で、気軽にアーティストとは名乗れない意識がありました。
小林:そうなんですね。
藤澤:自分でアーティストって名乗るのはすごく恥ずかしくて、デザイナーって言っていたんです。でも、今は自分のことは何て呼ばれてもいいですね。私の中の軸はテキスタイルなので、クライアントワークのときはデザイナーに近い気持ち、自発的に作品を作る時にはモノに寄り添うような気持ちで。デザインをするというよりはモノから発するひかりを掬い上げるようなイメージで制作をしています。最初はデザイナーだったらビシッとしなきゃ!と気負っていた部分もあったんですが、最近は気張らなくてもいいのかなと思うようになりました。でもなかなか力を抜抜くのは難しいんですが(笑)。
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