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連載:フィンランドの景色を通して

2020.09.10

第3回 フィンランドでやってきたこと Part 1


はじめまして、フィンランドのヘルシンキに在住しています、星 利昌(ほしとしあき)です。
12年前の2008年、日本からフィンランドに渡り、今までやってきて気付いたこと、感じてきたこと、発見したこと、これからやっていきたいことなどをここに綴っていきたいと思います。このSPINNERを通して、フィンランドで生きる人間が何をどのように普段感じているか知ってもらいたいです。質問もしてください。

最初のお店の店内

フィンランドでこれまでやってきたことを少し説明させてもらいたいと思います。

僕はフィンランドのヘルシンキという街で、Ravintola Hoshito(ラヴィントラホシト)という料理屋を営んでいました。7年3ヶ月の間、たくさんのお客さまに来ていただきました。

レストランをどうやって作ったかというところから話しますと、最初はヘルシンキ郊外のVallila(ヴァッリラ)という地域で14席のお店から始めました。2011年の8月下旬にオープンしたのですが、この改装期間にあたる7月と8月は、フィンランドはホリデーシーズンでした。改装業者を何件かあたっても、ホリデー中だというところが多く、なかなか見つけるのは大変でした。
ようやく知り合いを通して、改装してもらえることになりましたが、開始一週間くらいで改装業者が再起不能の腰痛になり、改装を一旦中止することになりました。違う業者を探してもすぐ来てもらえる業者などなく、空家賃を払っている状態の中途半端な店舗を見つめて、途方にくれていました。それでも開店させたかったので、必死にもがいていると知り合いが新たなとても良い改装業者を紹介してくれました。その頃は全てが決まっても完成するまでは何も達成していないという覚悟でいて、不安で毎日頭が割れそうでした。ぎりぎり割れなかったですが。

お店の場所も改装業者も、教えてくれたのは、以前働かせてもらっていた職場のお世話になったフィンランド人の方々でした。世の中何十億と人がいる中で実際に出会った人が自分にとって生きた情報を与えてくれたので、そのご縁を大事にしたいですし、本当に感謝しています。自分で探して電話で問い合わせても基本は「サマーホリデーが終わってから話を聞きます」と言われ、それ以上こちらは何もできませんでした。

父が「お店をオープンさせるまでは簡単で、オープンさせてからどうやっていくか」というように言ってくれていたので、その言葉を信じて、頭が割れそうになりながらもオープンさせましたが、今考えてもオープンまでの道のりは全然簡単じゃありませんでした。
役所に提出するいくつかの許可をとるための書類は全てフィンランド語かスウェーデン語で書かなければならず、自分で理解しなければ意味がなかったので、やるしかありませんでした。当時は車もなく、役所の場所もそれぞれの許可書ごとに違っていたので、全て回るのは本当に大変でした。衛生管理とお酒の販売資格の試験は英語で受けることができ、取得しました。お酒のライセンスの試験では筆記テストが一度不合格になり、二回目も不合格になり一瞬絶望を感じました。
回答用紙がもらえず、何が正解していて何が間違っているのかも知ることのできない試験でした。
二回目の合否発表の次の日の朝、全ての問題を頭で掘り返してみたところ、絶対に合格に達しているという確信があったので、現地までいって問い合わせてみました。すると一回目の時点で合格点に達していたことが発覚して、えげつない不祥事を乗り越えて、ライセンスを取得しました。などなどお店を開けるまでは言葉や文化の壁もあり、苦戦しました。

お店を開けるまでいけたら、どうにか出来ると思っていたので、開けてからはBGMはなしで抜群の臨場感の中で普通に料理を作っていました。3日目にはお店は満席になり、それからたくさんのお客さんが来てくれるようになりました。一週間に2、3回来てくれるお客さんもいてくれたので、完璧にはいかないことばかりでしたが、料理の味には不安はなく、料理は料理で今まで通りに冷静に作れていました。
目標の売上を達成して、どんどん売上が上がっていくと、人生で初めての感動を覚えたと同時に、異文化の人に自分の何かが受け入れられることって本当にあるんだという喜びを感じました。
現実が理想を越えていく不思議な体験をしました。フィンランド人や外国人、日本人の方に料理を食べてもらい、その光景をみていると、毎日自然に頑張れましたし、成長もしていけました。

お店の位置がヘルシンキ郊外にあり、レストランとしての装備も整っていなかったので、7年以内にはヘルシンキの中心部にお店を移す目標で最初からいましたが、3年くらいで移せることになり、お店の拡張とキッチンの設備を整えることができました。

フィンランドでやってきたことについてはこれだけでは書ききれていませんが、自分が今までやってきたことはお店を経営しながら、料理を向上させていくということを念頭に置いてやってきました。

お料理屋というのは、いろんな方が訪れて下さり、いろんな方と話すことができ、今でも大切にしているご縁も頂きました。やりがいもかなりありますし、やっていなければ今の生活はありません。

自分の料理概念やフィンランド食材についてはまた次の機会で書かせて頂きたいと思います。
独立する前は、神戸で2年程日本料理の修行をした後に、フィンランドに渡り、五つ星のKämp Hotelや当時世界でも評価させていたミシュラン2つ星のChez Dominique、フィンランド料理のAtelje Finneといったところで修行をさせてもらいました。
独立する上で、現地の味、フィンランド人の味覚なども知っておく必要があったので、毎日研究していました。いろんなレストランや料理人の料理を食べることによって、ある共通点があることに気付きました。このことはまた次回書かせて頂きます。

PROFILE

  • 陶芸家・料理家
    星利昌

    1985年生まれ、兵庫県出身。ヘルシンキ在住。
    神戸で日本料理の修行後、2008年フィンランド・ヘルシンキに移り、HotelKämp、Chez Dominique、Atelje Finneといった現地のレストランで料理の経験を積む。2011年からRavintola Hoshitoを開業し独立。2016年からもともと興味のあった陶器制作を始める。2018年自身のお店を一旦閉める。現在作品は、ヘルシンキのSamujiやLokalで取り扱っており、Michelin一つ星のRestaurantOraでも使用されている。

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