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連載:ZIPPEDを振り返る

2021.03.30

接触のざらつきを求めたかった/インタビュー 石川佳奈 Vol.4

  • 聞き手:秋山きらら(編集部/ZIPPEDフェスティバルディレクター)

オンデマンド配信中の「無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル『ZIPPED』」。スパイラルが挑戦する、新たなパフォーミングアーツのかたちとして、マイム、演劇、ダンス、美術など多様なフィールドで活躍する気鋭のアーティストによる、「無言」を多角的に捉えた8作品をご紹介しています。
言語の違いや物理的な距離を越えて交流ができるいま、コミュニケーションの本質を捉え直し、新たな可能性を見出す機会であるとも言えます。まだご覧いただいていない方はぜひ、『ZIPPED』のパフォーマンスを通じて、身体が内包する豊かな「無言」の言語に触れ、身体の声に耳を澄ませてみてください。

今回はこのフェスティバルの模様を、参加アーティスト、観客、ライター、カメラマンなど、それぞれの視点から、ZIPPEDの本番や、開催までの各フェーズでは何が起こっていたのかを振り返り、パフォーミングアーツと配信の未来について考えていきます。

無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル『ZIPPED』(オンデマンド配信中)
https://www.spiral.co.jp/topics/spiral-hall/zipped

―― 早速ですが、石川佳奈さんの最近の活動について教えてください。

石川:この数年は主に映像インスタレーションの作品を発表しています。街でゲリラパフォーマンスやインタビューをしたものを映像にすることが多いです。

―― どういったことを考えてそのようなアウトプットになったのですか?

石川:2016年ごろから作品制作で取り組んでいるのは、インターネットが生活を網羅する時代において起きる「群と個」のコミュニケーションへの違和感や抗えなさみたいなものを探ることです。
それは、「私」はどこに帰属するのか?とか、社会と自分の境界はどこにあるのか?みんなの中にいる自分は自分なのか?みたいな大きい問いでまとめられるのかもしれないのですが、きっかけとしてはいつもすごく身近で個人的な何かに対する不安感や違和感のようなものが自分の中に渦巻いている状況があって、それが原動力になっているのかなと思っています。

個展『まちがう手 ぶれる指』パフォーマンス(2020) BUoY photo: ただ

―― 石川さんのここ数年の発表を追っていると、作品制作をしながら探っている問いが、軸を持ちながらも変化していっているように思います。今までどのような変遷を辿ってきているのでしょうか。

石川:もともと美大の工芸学科で織物を学びながら、学外でミュージカルスクールやダンスの稽古に通っていた影響で、舞台などの時間芸術と、絵画や工芸など時代を超えて実物が残るものとの違いを考えていた時期があって、インスタレーションという技法が自分にとってそのどちらの良さも取り入れられるのではないか、と自然と選んでいくようになりました。今回『ZIPPED』で発表した作品もそうなのですが、私の作品は同じ作業の繰り返しを羅列しているものが多く、もしかしたらそれは同じ作業を重ねていくことで完成させる織物の作業工程の影響もあるかもしれません。

ミニマルな形で表現するための実験

―― 私が拝見したところでは、SICF19グランプリ「どう生きたら良いのか(スペース)分からない」ではヒリヒリとした映像が、「まちがう手/ぶれる指」@北千住BUoYの個展では接触することでのコミュニケーションが印象的でしたが、今回の作品はその延長線上にあるのでしょうか。

石川:はい。今回の作品は、昨年12月のBUoYでの個展の延長線上にあると思っています。制作期間が展示直後の1ヶ月位だったということもあり、個展まで考えていた接触というテーマを継続して考えることにしました。
「どう生きたらいいのか(スペース)分からない」は2018年に制作したゲリラインタビュー作品で、内容としては「どう生きたらいいのか分からないのですがどうしたらいいと思いますか?そんな時はありますか?」とインタビュアーの格好もしていない普通の私が街にいる普通の人に話しかけ、こっそり録音した29人分の回答をまとめた映像作品です。回答は数秒〜数分程度でしたが、そこからある人の生活を垣間見れたり、宗教の勧誘やナンパと疑われたり、笑っちゃうような個人的なアドバイスなど色々な態度があり、どこで展示しても約30分の全編通して見る方が多くて、自分にとっても救いになるような作品でした。
ゲリラインタビューで接触のざらつきを求めたかったと考えれば、強引に今回の延長線上に位置付けられるかもしれないとも思いつつ、当時は初動に自分の中のかっこ悪さやどうしようもなさ?どうにもならなさ?みたいなものがあったので、きっかけとしては今回の延長線上には無いと思っています。

―― 今回『ZIPPED』では、初の舞台上演作品ということで「媒体」を発表いただきましたが、これはどのような作品ですか?

石川:今回、舞台上でしていたことは、出演者である私が観客席にいる人や配信用カメラを見て目があったと認識した時に、私が手に持っているボタンを押して「間違ってます」という声を再生する、ということです。
「間違ってます」という声は、10代〜60代の約20名の方に協力していただき事前に録音をしたもので、舞台上では上演時間の7分間をかけて冒頭では「間違っ」とトリミングされた声から、「間違ってます」と徐々に語尾まで聞こえるような構造になっていました。
手に持っていたスイッチは実際にBluetooth接続で音声が再生されていたのですが、スイッチを押している動作があまりに小さかったためスイッチを押しているようには見えず、その点が非常にわかりにくくなってしまったと感じています。
テーマとしては、同調圧力の持つ力や自分もその力に加担しているのでは、と感じていたことがきっかけです。

ZIPPEDでのパフォーマンス「媒体」 Photo: Hajime Kato

石川:コロナ禍でSNSをこれまで以上に見るようになっていたのですが、そんな中でタイムラインに流れてくる誰かの言葉に触れて、知らず知らずのうちに誰かの言葉を自分の言葉として話していたり誰かに伝達していたり、それがある形にまとまると同調圧力になったりするのではと思っていて、それをミニマルな形で表現するための実験をしたいと思って制作を始めました。「間違ってます」という言葉は、発言主の正しさを提示する言葉だと思い選びました。
昨年末のBUoYでの個展では、マッサージを体験できる作品など実際に物理的に触れることを扱っていましたが、「媒体」では物理的な接触ではなく声での接触について探っていました。それは個展で展示した作品の中で、あるセラピストの方に「コリとは何か」について質問した際に、物理的に接触しないエネルギー治療のことを伺ったことが影響しているかもしれません。
少し経った今考えると、「媒体」では私の体自体をTwitterのリツイート機能みたいに扱いたかったのだと思います。

上演中の自分を自分では見られない

―― なるほど。今まで映像作品やパフォーマンス、ワークショップという見せ方はずっとされてきたと思いますが、上演作品という面で普段と異なったことはありましたか。

石川:いつもゲリラパフォーマンスを映像に収めたりしていたので、その映像になる前の段階をそのまま見せている感覚でいれば普段とあまり変わらないかな、と当初は思っていましたが、やってみたら違うことだらけでした。特に、会場が出来てからのリハに関わる技術スタッフさんの多さだったり、照明、音量、場当たり、などをテンポよく進めていくことなどが難しく感じました。あとは、映像作品を作る時はお客さんが見る最終形態を自分で確認してから発表できますが、上演作品で自分が出演する場合は自分がどう映っているのか分からないということは大きな違いでした。作品を自分は見られないのだな、と。
うまく伝わるかわかりませんが、お客さんが作品を見ている間、客席にずっといる、ということも違いでした。映像インスタレーションの場合、映像の時間の拘束はありますが、「この作品はこんな感じか」「先に次を見ようかな」などと鑑賞者に鑑賞の自由さがあるけど、パフォーマンスは自分の動きで鑑賞者を前に留める力のあるものなのだな、と。
普段からパフォーマンスをメインにしている人にはどれも当たり前のことだと思うのですが、私にとっては新鮮でした。

―― ちなみに、クリエイションの仕方としていつも決まって行うことというのはあるのでしょうか。

石川:作品ごとに制作過程は違いますが、本や新聞、ネットの記事の切り抜きなどを常に集めていて、作品のアイデアを出す際にその中の気になる出来事や言葉から探っていく、というのはいつもしている方法です。

ZIPPEDでのパフォーマンス「媒体」 Photo: Hajime Kato

―― 今年1月の緊急事態宣言により、オンライン配信のみの実施に変わりましたが、その際に何を考え、どのように作品を変えていったか教えてください。

石川:当初、会場にいる人とのっぺらぼうの面をした私が目を合わせた瞬間に誰かの声が聞こえる、という現場での緊張感を生み出したいと考えていましたが、配信に変わったことで、配信を見ている人に向けたカメラ目線を入れる、という形で演出を変更しました。あと、音の出し方に違いをつけることで、配信を見ている人にも臨場感を感じていただけるような工夫をしました。観客席にも関係者の方が入っていたので、配信だけに振り切る、という風にはしませんでした。
昨年4月の緊急事態宣言の時に、ちょうど個展と重なっていたため会場での開催を延期し、代わりにオンライン個展を開催しました。入場料を払っていただき、限定URLをお送りし、会場となるWEBサイトで映像作品を観ていただく形でしたが、その時は北海道や九州など普段作品が届くことのない方に観ていただけたり、ギャラリーだと緊張するけど家の方がリラックスして観れた、という感想も印象的でした。今回は同じオンラインでも「生」配信ということで、ライブ感はどこに出るのか?ということについて考えていました。今やっていることをそのまま配信するだけでライブの価値は出るのか?とか、でもモニターやデバイス越しに見るとしたら収録映像との違いは出るのか?とか、質問受付など見る人と同じ時間に相互にコミュニケーションを取るならライブでなくてはいけないな、とか思うと、ライブ=コミュニケーションなんですかね?みたいなところで結局まだ答えは出ていません……!

―― 配信についてはどのような思いがありますか?

石川:現場での見え方と配信の見え方は全く別物で、2つの作品を同時に作っているような難しさがありました。今回はカメラが3台あり、配信業者さんが入っている形だったので、どういう風に撮ってスイッチングしたいかを伝えることが特に難しかったです。絵コンテを準備していても、配信業者さんにも今まで培ってきたセオリーがあるので、イメージを伝えることに時間がかかりました。ライブをそのまま配信に、と気軽にできるものではないと思いました。
アプリでも気軽にライブ配信できる時代なので、ライブ感はどこに発生するのか考えた上で、今後の作品で配信という技法がしっくり来れば配信を使う、みたいな形で、配信か現場か、現場に集められないなら配信しかない、みたいな感じではなく付き合って行けたらと思います。

―― 今後の活動や、配信の今後、もしくはコロナの世界があと1〜2年続きそうですがその中でのアーティストとしての態度など、これからのお話を聞かせていただければと思います。

石川:この1年間で個展の延期、オンライン個展、会場で個展開催、『ZIPPED』でのオンラインパフォーマンス、などコロナ禍でなんとか発表できる方法を試してきました。でも、もっと長い時間軸も大切にしないと、このまま目の前のことに溺れてしまうんじゃないか、という不安があって。昨年アウトプットの方法を探ることに時間を割いてきた分、今年は今だからしたいインプットの方に時間をかけたいと思っていて、世界史と医学史を勉強し始めたところです。目の前の現実がどんな時間や人々の上に成り立っているのか知りたくて人類の誕生や旧石器時代にまで遡って始めてみていますが、改めて勉強するとかなり面白いです。これが今後の制作にどう繋がるか分かりませんが、コロナ禍どうするか、だけではなく、自分が今後の数十年で制作を通して何を知りたいか、それをどこの誰に共有していきたいのか、という気長に将来を見つめる視点も持っておきたいなとコロナ2年目の今は思っています。

PROFILE

  • 石川佳奈

    <大人数>対<個人>での関わり合いと<一対一>でのそれとの差に関心があり、個人がどのように周囲と接点を持ち、その接地面がどう伸縮するのかについて制作を通して探っている。主にインタビューやゲリラパフォーマンスの手法を用い、2018年には情緒的なことまでググっている自分への違和感を起点に、山手線を一周しながら街の人に話しかけた《どう生きたら良いのか(スペース)分からない》でSICF19グランプリ受賞。

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