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空気の日記

白井明大

  • 10月2日(金)

    この日にあったことは
    書けるようなことでは
    ないのです

    へとへとにくたびれ果てて
    それでもどうにか
    難所をくぐり抜けて


    前日雲がかかって見られなかった
    十五夜の翌日の満月を見ようと
    近くを散歩しては
    きれいに出ている月を眺め
    龍潭のまわりを二周
    ゆらゆらとどこにも力の入らない
    足腰をゆらめかせながら歩いた

    この日記の当番の〆切のことなど
    すっかりと頭から抜けていて
    気づいたのはいま日曜の夜で

    おとといの痕跡を見返すと
    こんな言葉をSNSに書き残している

    「いちばんたいせつなものは、目に見えないものだから、目に見えるものは手放そう。そうするしか、一つの指輪を葬る手立てはないのだから。」
    (午前二時頃)

    「というわけで先ほど手放しました。ぶじに火口に溶けていきますように。南無…」
    (午後一時二十分頃)

    すごくすごく長い旅をしていた
    この日は旅のある意味で決着をつけるような日だった
    詩を書いてる余裕は
    なかったんだな

    いつか書くことがあるのかもしれない。ずっとないかもしれない。

    一日の終わりに缶ビール一本飲まないでいられたけれど、思い立って、保存食の箱にしまわれているカップラーメンを取り出し、湯を沸かして、作って食べた。

    沖縄・那覇
  • 10月24日(土)

    おなかがいっぱいです。今夜はおでんでした。沖縄は今朝起きたら、半袖に短パンの寝巻きでは、タオルケットも蹴飛ばして寝ていると、寒くって、足下からひっぱって体にかけて朝寝したんですが、気温は二十度ちょっとくらいだったかもしれません、なので昼窓を開けていても吹き抜ける風が寒くて素足のままではスリッパが欲しくなりました。
    つい三日ほど前だったなら、汗だくになりながら食べていたはずです。今夜は熱々のがんもやこんにゃくやごぼ天や卵に味がしみてるのが、泡盛のロックとよく合うわけです。近所の窯元で、叔父が地元のを飲むものだというからいつもそこで買っている、直営店でしか出してないという甕貯蔵の一升瓶の古酒はおいしくて三千円で数週間は楽しめるから、冷やした端からなくなる缶ビールとはコスパが違います。春のステイホーム中にもお世話になりましたが、今夜はお猪口に氷をつまみ入れては注いで空けてつまみ入れては注いで空けて、おでんとしまーはコンボですね、永久機関です。おかげでおなかがいっぱいで、おまけにほろ酔いのいい気分です。
    ふう。じゃがいもがおいしかったな。メークインは煮てもくずれないで汁を吸っては箸でつまんでほろっとこぼれかけるのを上手にほおばればほろほろと口の中でなだれていくから、辛子をね、ちょちょっと付けるでしょ。やわらかい芋の食感とほんのり効いた辛みのからまりが甘いんです。そこへほら、またしまーでしょう。しまーっていうのは泡盛でね、島酒だからしまーといって、さすがにこっちに住むようになってすぐには恥ずかしくて言えませんでした。しまー。気取ってるみたいで。言い慣れたのはここ三年くらいかなあ。しまー。もう、こののびやかな発声とともに飲む幸せのあふれでる語感がいい。銘柄は瑞泉で。叔父がね、地元のを飲むものだというもんだから……て、話がループに入りそうだから、今夜はこのへんにしておこうかな。餅巾着の大きいのをふたつは多かったな。おなかいっぱいです。今夜はおでんでした。しまーとおでん。そういえば桜坂に悦っちゃんておでん屋さんがあったなあ。髙木さんと行ったなあ。内側から鍵かかってて、とんとんてノックすると開けてくれるカウンターだけのおでん飲み屋さんだったなあ。閉まってもう何年にもなるけど、シャッターわきの壁のところにおおごまだらがとまってた。白い大きな翅に黒いまだらの模様の入った、ゆったりと翅を広げて舞う蝶。ああ、もうあのへんの飲み屋をなんべん何軒はしごしたっけなあ。髙木さん。午後の三時に地ビール飲み屋で待ち合わせて、朝の八時までえんえん飲んで話してあちこち歩き回って埠頭の階段に腰かけたりもして空がとっくに明るくなってて通勤の人たちが行ったり来たりする横で缶コーヒー飲みながら花壇の縁に腰掛けて、じゃあそろそろ、てゆいレールの県庁前の駅のところで解散したっけ。それに比べてみたら、今夜はかわいいものです。お猪口でいま三杯飲んだところ。ちゃんと夕飯の食器も洗いました。あとは、まぁだからもう一杯二杯やって、そんなこんなで寝るかなあ。

    沖縄・那覇
  • 11月15日(日)

    首里城の敷地に沿う歩道を
    城内へと続く道で曲がり
    日曜で観光客の珍しく多い城内の公園のわきを
    守礼の門 園比屋武御嶽石門
    歓会門を横目に見ながら久慶門へとゆるやかに下る
    円鑑池の周縁の坂を県立芸術大学へと
    当蔵の交差点で左に折れて
    龍潭のほとりの道を
    バリケンが水面に波紋を広げ
    薄の穂が白く咲いて揺れ
    白鷺が細い脚を伸ばして休む姿を
    立ち止まっては眺め見送り
    城西小学校の校門下を抜けると
    首里中高の制服がショーウィンドウに並ぶイケハタの角で左折する
    天ぷらの安さんの前を過ぎ
    長らく城前ストアのあった丁字路で信号を渡った
    玉陵 首里高校 琉染 ポケットマーニーを通り過ぎていく
    観音堂までの下り坂を途中で細い路地に入り
    手を合わせると
    六年前まで住んでいた部屋を懐かしく見やって
    赤マル荘通りを歩く
    石畳に出れば下りていき
    村やーを過ぎ越した
    大通りとぶつかったら左へ坂を上り
    金城ダムに着くと
    水門を渡って貯水池まで階段で下り
    池の周りを一周する間
    魚にえさをあげる父子を見かけ
    また水門のふもとから階段を上った
    元来た道を戻り
    石畳をえんえん上っていく
    マスクをしていると息苦しくなり
    赤マル荘通りまで上り切ったところで
    浄水器の売店わきで外して大きく息を吸い込み
    坂を上っていくとき
    すれ違う人と少しの距離を開けつつ
    芭蕉を育てる県立芸大の畑や
    金城キャンパスの前を過ぎていった

    事実を記すことは難しいだろうか
    記した事実に基づいて数を数えることは
    数えた数を記録し統計を取ることは
    取った統計に従って予測を立てることは
    立てた予測に照らして対策を講じることは
    難しいだろうか

    この冬の危機は予測されていた
    予測されていた危機をできうるかぎり未然に防ぎ
    防ぎきれなかった場合に備えておくことは
    難しかったのだろうか

    おそらく
    難し過ぎたのだろう
    利権を経ずに
    箸を上げ下げすることが
    人の命を危険にさらすよりよほど
    難しいことなのだろう

    ゴールデンウィーク

    次は年末年始の休みまで
    止めるつもりがないとしたら
    予測は結果となってさらに押し寄せてくるだろう

    事実を認めることは
    なぜそれほどまでに難しいのだろう
    不都合だというだけで

    沖縄・那覇
  • 12月7日(月)

    『詩七日』
    (詩なのか)
    という詩集があるけれど
    (平田俊子はおかしみを含ませながら
     言葉を鋭く研ぎあげる)

    やっぱりぼくも
    その崇高なる詩表現にあやかって
    ぼやきたい気持ちでいっぱいで
    もう十二月七日
    (十二月なのか)
    とため息をついてみる

    今日は
    琉球新報の詩時評のゲラをやりとりしていた
    話題は
    詩集三冊
    とその前に
    書いておかなくては、と書いたこと

    十一月末の時点で
    沖縄は一〇〇万人あたりの
    累計感染者数も
    亡くなられた人の数も
    全国ワースト一位

    こんなに蔓延してるのに
    病院が逼迫して
    札幌や大阪が白旗を上げたGoToを
    沖縄はいまなお継続中で
    まだまだウイルスとがまん比べするらしい

    多分、いや、寡聞にして
    理由はわからないが
    最近
    県知事は熱を出し
    PCR検査を受けて(結果は陰性)
    肺炎で
    公務をお休みしている

    県の専門家会議は
    議事録を作らずに感染対策を推しすすめる一方で
    同じく県の保険医協会理事会などが
    情報をオープンにしてくれ
    無症候者や軽症者にも検査を広げてくれ
    と要請していて

    ゴジラ対メカゴジラではないけれど
    ウィズコロナ対脱コロナのたたかいは
    そのままこの島に住む人間の
    命にも関わる問題なのだから

    皆で生き延びる道へ

    とゲラに赤字で書きつけて戻したら
    再校で時評欄の真ん真ん中に
    いちばん大きな活字でレイアウトされていた

    沖縄・那覇
  • 12月29日(火)

    四月四日に書きはじめたとき
    こんな年の暮れを
    想像していたっけ?
    と思い出そうとしても
    うまく思い出せない

    秋冬に第二波が予想される
    というのは春から聞いていた気がする

    どれほどのことが起こるのだろう
    と思ってみてもうまく想像できなかったけれど
    じっさいその場にいま身を置いてみると
    今日は
    新しい詩集の
    いくつか先にできあがった分を
    予約してくれたひとや
    秋に世話になったひとや
    親しく付き合っている知己や
    実家の父母に送った

    昼は
    米粉とトウモロコシ粉をまぜた
    パンケーキ?トルティーヤ?を
    きみがホットプレートで焼いてくれて
    家族三人で食べた
    なかなか焼くのに時間がかかって
    焼き上がったら固い生地で
    シーチキンやアボカドやキノコやレタスをのせて

    どれほどのことが起ころうと
    できる仕事があればしたいし
    食事時にはちゃんと食事をしたい

    郵便局まで出しに行った帰り道
    近所にある泡盛の蔵元で
    これは正月用にと
    十五年ものの甕仕込みの古酒に
    二十年ものをブレンドしたという触れ込みの
    ここでしか買えないとっておきの小瓶を一本買って
    細長の紙袋にぶら提げて帰った

    夜は
    香川に住む友人と
    久しぶりに電話で話した
    ぼくが吉祥寺に住んでいた十年前は
    向こうも国分寺に住んでいて
    そういえばいまごろは
    よく公園口の飲み屋で飲んでいたっけ

    今年の春にだって
    この冬の状況をうまく想像できなかったのに
    まして十年前のぼくなんて
    ほんのこれっぽっちでも今日の日のことが脳裏を掠めたはずないのだけれど
    2010年と2020年とじゃ
    ほとんど何もかも変わったんじゃないかって思うぐらいだけど
    電話でちょっとしゃべっただけでも
    やつと話してるときの心持ち、て
    あのときもいまもあんまり変わんないなあ

    (近くの 目の前の
    理不尽なことばかりを見ていると
    だんだん心が縮こまってしまいそうなときは
    うっかりすると忘れてそうな
    たいせつな 場所や 時間に
    思い馳せてみても いいのかもしれない
    心の平衡感覚をとりもどせるように
    じぶんがどんなのんきな場所に
    ほんらい居られるはずなのか
    ちゃんと思い起こせるように)

    そういえば
    四月じゃないけど
    三月になら沖縄の新聞に書いたっけ

    ──検査が不十分では無自覚の市中感染者による見えない感染拡大を招きかねませんし、感染の実態すら把握できません。

    とか

    ──私たち自身が人間の価値を低めることが、いまの日本社会の人命軽視を許しているように思います。

    とか

    食卓でこれを書いてたら
    子がやってきて
    ぼくのノートパソコンの
    右手のひらを乗せるところに
    バーバパパのシールを貼ってった

    *「時評2020 詩」(「琉球新報」三月二十四日)より

    沖縄・那覇
  • 1月20日(水)

    県芸で芸学専攻の学生たちとの
    詩作の実技研究が先週と今週に連日あり、
    六日目の今日は柄にもなくこの十年の現代詩について話そうと
    昨夜どうにか資料を作り、今日の午前中に原稿にまとめていた。

    いつもの年なら歩いて五分ほどの当蔵キャンパスで
    おたがいの顔を見合わせて話すはずがオンラインでするのは
    ちょうど今日から沖縄が県独自の緊急事態宣言を出すと
    何の冗談なのか布マスクをつけた県知事が昨夕会見した通りで
    昨日も今日も島嶼県で感染者が百人を超える状況ではほかにしようがなく
    ちょっと重たい話にもなるから学生の様子が気になったけれど
    間にインターバルを入れつつ二時間ほど話したことを
    学生たちはよく聴いてくれていた、気配が伝わってきた、気がする。

    午後一時に始まった実技研究は夕方五時半に終わり、
    きみが作ってくれた夕食を食べて七時半過ぎくらいだっただろうか
    エネルギーが空っぽでスイッチが切れたように眠気に誘われて、
    まだ今日じゅうにやることがあるからすまないけど九時に起こしてと
    頼みながら布団にもぐり込むなり眠ってしまった。

    「***が来てるよ」
    きみの声が眠りの向こうから聞こえて目を覚ましたのは
    ちょうど九時だった。誰だろう? とぼんやりと思いながら、
    訪ねてきたのは親しく付き合っている詩の仲間で、
    「さっきから電話も鳴ってたよ」
    そう教えてくれるきみに促されるように
    パジャマの上にウィンドブレーカーを羽織り、
    窓辺に干していた不織布マスクを付けて玄関のドアを開けたら
    彼は廊下に立っていて、人とこんなふうに対面するのはいつ以来だろう、
    街ですれ違うとかでなく久しぶりに人と対面で会った驚きに
    半ば勘の戻り切らないもどかしさで挨拶をすると、
    これをと差し出されたのはムーチーだった。

    「……ハチムーチー……」
    相手の言葉も寝起きの頭で聞き取れた単語がそのひとつあれば十分で、
    ああ、今日はムーチーだったんだと思い出した。
    旧暦十二月八日は沖縄では月桃の葉に包んだ餅をいただく日。
    甘くて月桃の薫りのする餅をムーチーと言うのだけれど、とくに、
    その一年に生まれた子の健康を願う(ついでに大人たちの健康も願う)
    初餅がハチムーチーという縁起ものだ。

    先日きみとスーパーに行ったときムーチーがあったから、
    「買う?」
    と訊いてくれたのに、ううん、と買わずにいたムーチー。
    店で買うのは味気なくて、叔母がたくさん作って持ってきてくれたり、
    町内会のムーチー作りできみとうたがこしらえた年もあったりして、
    そこから遠ざかってはますます店で買う気になれなかった今年だったのを
    ハチムーチーだなんて晴れやかな祝福のお裾分けが舞い込んできて、
    ぼんやりした頭で受け取った袋を手にぶらさげたまま、
    「おめでとう。ありがとう」
    うれしさをぎこちなくしか伝えられなかったつかのまの後で、
    「ハチムーチーをいただいたよ」
    きみとうたに見せたら二人ともうれしそうに声をあげた。

     沖縄・那覇
  • 2月11日(木)

    今朝
    詩集を詰めた箱を渡した
    相手は
    この町で二年以上の間
    詩のワークショップに参加してくれた人で
    みんなで読んでね
    、て本棚から選りすぐりの
    おすすめ詰め合わせにしたんだった

    古いマンションの
    玄関の傍らには
    ヒカンザクラの木が
    毎年一月に花を咲かせて
    この島では
    スミレもイチハツも
    年明けには会えて

    咲いたら
    散っても
    ほのかな名残りが感じられて

    引っ越しはからだがくたびれるから
    ビタミンをと
    柑橘や
    向こうでよかったらと
    この町で作っている辣油や
    そして小さな手紙を添えた
    クッキーの入った紙袋を受け取り

    マンションの一階の窓ごしに
    車で走り去るところを
    見送った

    これが
    この詩が
    沖縄に暮らしながら書いて
    この島にいる間に発表する
    最後の詩になるなんて

    別れ方というのは
    むつかしい
    また来るから、て
    いくら思ってもそう言っても
    いなくなる

    さよなら 沖縄

    十年も住んだ
    この詩が空気の日記のページの一隅に載る日に
    ちょうど機上だ

    沖縄・那覇
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