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空気の日記

河野聡子

  • 4月14日(火)

    数字だけを眺めるのが好きだ。積みあがっていく数がいい。日々変化する数。気温、為替、金利、ゴールド、日経平均、原油、大豆、トウモロコシ、コーヒー、放射線量。最近これに感染者数、死亡者数が加わった。毎日眺める数は雄弁で、世界の多くを物語るから、余計なものはいらない、言葉もいらない、数字に語らせていればいい。街を歩く人の数、電車に乗る人の数。いつもの山手線は300%だがいまの山手線は100%だと聞けば、300%の時に窒息しかけていた人について想像する。知りたい数字はたくさんある。調布駅や虎ノ門の交差点でビッグイシューを掲げていたおじさんの現在の販売額はいったいどうなっただろう。

    数字にとっては私がどこにいようがたいして関係のないことだ。ストロングゼロのアルコール度数はどう考えても高すぎるし、はたちの頃にストロングゼロが存在しなかったことに私はいま、心の底から感謝している。当時ストロングゼロがあったなら、私の存在はいまごろゼロだ。あのころ酒というのはつつましく、せいぜい形容詞で「大きい」と語るくらいだった、つまり大五郎とかビッグマンとか。しかしおや、大五郎には「五」が入っているではないか! 4リットルのくせに。24歳の頃は毎晩、ストロングでもゼロでもない4リットル20度を、同じ寮の友達と湯のみでお湯割りにして飲んでいた。適切な濃度の液体を多量に摂取した人体は、自分の本やCDを他人の部屋に忘れ、そもそも持ち込んだことすら忘れて翌日笑われることになる。あのころは毎日、タクトタイム60秒、または72秒、または56秒で複写機を組み立てていた。腰曲げ3秒ルールの世界だった。

    3秒以上腰を曲げてはならない。人体は3秒以上の腰曲げに向かない。タクトタイムより2秒早く工程を完了すれば、この2秒は永遠に等しい退屈となる。退屈のあいだに3分の歌をうたう。計算が合わないが、そういうものである。有線のデイリーチャート20曲、今はきっとSpotifyにとってかわったことだろう。5本の指はテーピングでかちかちになり、強張った筋肉の痛みをゆるめるために毎晩サロンパスを貼った。うっかり入院でもしようものならその月の収入はゼロになり、その後国民年金保険料に悩むことになるのだった。私は今年48歳で、あれから数えて倍になった。今日、私に1円を給付し、明日2円を給付し、あさって4円を、その次の日は8円を。倍に倍にしていって、私が生きた年数だけくりかえしてもらえないものだろうか。何しろお札というものは物質的には紙であり、言葉と同様、記号としての意味しかないのだと、みんなよく知った方がいい。重要なのはモノだ! 物質だ! しかし、ほんとうに?

    一時期、お札がただの紙に見えてしまうときがあった。ある人にその話をすると「脳の機能がおかしくなっているかもしれないから、気をつけた方がいい」といわれ、それ以来私はお札がただの紙ではなくお札と感じられるか、ときどき自分に確認することにしている。しかしお札でもコインでもないマネーというのは、結局ただの数なのだ。お札をつくるにはパルプとインクと深遠な技術が必要だが、マネーにそんなものはいらない。必要なのは流通経路だ。通じさえすればいい。マネーは言葉とよく似ている。交換可能で、変幻自在で、グローバルに世界をかけめぐる――かけめぐる? ウイルスよりも速く? ウイルスは純情報体だ、彼らは複写を続ける情報である、マネーのように。言葉もまたそうである。そしてここに同じような言葉ばかり再生産する私がいる! 私! 私! 私……だが、私は同じような言葉や同じようなモノの再生産を愛している。人類だって結局、同じようなものの再生産だが、私はそこに微小な差異を見出して愛する。同じようなものバンザイ!

    悲しいことに、同じようなものは、同じものではない。

    東京・つつじヶ丘
  • 5月7日(木)

    高校一年生のときに読んだカール・セーガンの本のおかげで、プトレマイオスのイメージはずいぶんひどいものになってしまった。プトレマイオスは占星術の親玉であり、彼の悪影響によって地動説という科学的推論が広まるさまたげとなり、人はいまだに星占いを信じている、そんなことをカール・セーガンが書いていたかどうかはまったくさだかでないけれども、その後二十年以上、私はプトレマイオスという人についてこれ以上の事柄を知らなかったし、ヤフーのデイリー占いでさそり座が十二位だとがっかりする人生をおくっている。
    一年前に思うところあって地図に関する歴史を調べた。驚いたことに、最初にプトレマイオスに再会したのである。ここに登場するプトレマイオスは二十年以上にわたり私が抱いていた非科学的な印象とは真逆の人であり、地図製作に科学的方法を導入した人物として、しかし実際のところ実像はほとんどわかっていない人物として紹介されていた。実像がほとんどわかっていないにもかかわらず千年単位で影響できるというのはいったいどういうからくりなのか。
    ともあれこれは、星占いをチェックする時はヤフー占いだけでなく、めざましテレビや京王線八幡山駅からみえる電光掲示板も比較検討すべし、という事実をあらためて思い出させる出来事だった。朝の京王線に乗るときは各駅停車をえらび、かつ車両を注意ぶかく選択しなければならない。すると八幡山駅で特急通過を待つあいだ、窓のすぐ外の電光掲示板でデイリー占いを確認できるのだ。しかし私は三年以上朝の電車に乗っていないから、この知識もプトレマイオス同様まちがっている可能性は高い。知識はアップデートするべきものだ。正体のわからないウイルスのようなものはなおさらで、幸いCovid-19は頻繁にこのことを思い出させてくれる。ウイルスの変異を時間経過で示したうつくしいグラフとGIFアニメ、赤いドットの散った感染者マップを眺めながら、今年の三月に買った地政学地図が今後数年で書き換えられるのを予想する。

    東京・つつじヶ丘
  • 5月30日(土)

    今日はワインを一滴も飲まなかった。
    今日はコーヒーも一杯も飲まなかった。
    今日は音楽を聴かなかった。
    今日は映像を見なかった。
    今日は運動をしなかった。
    今日はインターネットを見なかった。
    今日はまったく涙が出なかった。
    今日は一度も怒らなかった。
    今日は宅急便がひとつも来なかった。
    今日は部屋を片付けなかった。
    今日は起きてすぐに着替えて顔を洗って歯を磨いた。
    今日は本をたくさん読んだ。
    今日はなんでもかんでも楽しくこなした。
    今日は体によいものを楽しく食べた。
    今日の犬は昼まで寝ていた。
    今日は自分以外の誰かの役にたつことをしなかった。
    昼過ぎに犬を起こすと、吠えて、歩いて、丸くなって、寝た。
    レモンの木に小さな実がついていた。
    鳥がベランダを訪れている。
    今年はアゲハの幼虫をみかけない。
    犬と鳥とレモンの木は夜を枕に眠りにつく。

    東京・つつじヶ丘
  • 6月22日(月)

    インターネット諸行無常。
    このアカウントはベン図や数直線や二次関数や、真っ白の床の上でたっぷりペンキを含んだ刷毛で、描くことができます。おめでとう、11年前の今日、あなたはこのアカウントを開設しました。あなたのアカウントの中心からはキノコの傘が広がっている。わたしの菌糸はあなたのキノコをめざしている。雨がやむと傘がひらき、胞子がポコッと飛びだして、ほかのキノコの上におちる。枯れるキノコ。消えるキノコ。一度消えてよみがえるキノコ。眠るキノコ。ひとりで立っているキノコはさびしい。森でキノコをみつけた時、とてもたのしい気持ちになるのは、キノコがキノコというくせに樹ではなく、虫でもなく、ねずみでも、ねこでも、いぬでもなくて、小さな家や洞窟に似ているからです。キノコは故郷に似ている。たしかに昔は、湿ってしっかりした、いい匂いのする木に菌糸をのばして、ちゃんと立っていたはずなのに、いつのまにか摘みとられて、赤ずきんのカゴに入っている。狼に食べられた赤ずきんのカゴは家の床に落ちて転がり、七人の小人のひとりに拾われ、白雪姫はおばあさんがくれた毒林檎をカゴに入れてひとくちかじり、ガラスの棺に入ってしまう。眠る美女は誰にもリプライを返さずに、ワーカホリックの王子様が起こしにくるまでそのままでいます。たくさんのキノコがポコポコと暗い森の底に菌糸をのばし、田舎道で点滅する信号機のように光っています。わたしの菌糸。あなたの菌糸。最近、あなたの胞子が降ってこないのですが、お元気ですか。あなたがどこの誰なのかわたしはまったく知らないから、たずねるのも憚られるけれど、あなたの言葉の胞子をときどき摂取できると、わたしはほっとするのですが。雨がやむ。胞子の傘がひらく。森に太陽がのぼり、しずみます。今日は2020年6月22日。夏至はもう過ぎました。

    東京・つつじが丘
  • 7月15日(水)

    不要不急の寿司屋で細胞分裂した犬を手に入れた
    行くように推奨され、行かないようにお願いされる水曜日
    みんなの利益を守るために誰かの指示を待つことが
    ほんとうに必要であるかのように
    思いこんでいる

    東京・つつじが丘
  • 8月7日(金)

    旅行も帰省もできないということで、東京都内の高級ホテルに泊まっている。自宅よりも広いスイートルームには、6人くらい眠れそうなふたり用のベッド、6個椅子が並んだダイニングテーブル、たがいちがいに2人横になれるカウチ、壁にはふたつの巨大なテレビ。バスルームには大きな丸い鏡がふたつ、シャワーブース、バスタブ、スチームサウナがある。カウチに積まれたたくさんのクッションの配置を変える。ボタンを押すと開いたり閉じたりするカーテンのボタンを押して、開いたり閉じたりさせる。アフタヌーンティーにケーキとサンドイッチ、クロワッサン、チョコレートを食べる。チョコレートにはきれいな絵が描いてある。水ようかんとお団子、お抹茶のお点前。水のボトルの横には切子硝子のコップ。午後五時、スパークリングワイン、カナッペ、スモークサーモン、ハモ、じゅんさい、枝豆、西京漬のチーズ。午後七時、サラダ、ステーキ、ホタテ、カラメルソースのプリンとフルーツのデザート。ジェットバスのボタンを押すとシューっと音を立てて泡が出る。抹茶を点てた先生に倉敷デニム製のマスクをほめられる。フロントの女性は夏の着物をさらりと着こなしている。ことし庭の鐘は鳴らず、川沿いの桜を見た人も少ないが、ここではいたるところに吉祥文様がちりばめられている。わたしたちは幸運を呼ぶまじないで世界を防御する。必要なのは絆と繁栄のしるしだけ。

    東京・目黒
  • 8月29日(土)

    100 均でシールを買う。ノートに貼るためである。私はいろいろなシールを持っている。猫、犬、パン、ヒコーキ、ゾウ。シールは何事かをなしとげたときに貼ることになっている。最初にシールを貼りはじめた頃は、家事その他の日常タスクをひとつこなすたびに貼っていた。現在はまとまった文章を書いて公開するたびに貼ることにしている。シールを貼るのは赤い表紙のノートで、実験音楽とシアターのためのアンサンブルのツアーでベルリンに行った時、自分用のお土産として買ったものである。この文章を書き終えたあとも私はシールを貼るだろう。10 日ほど前からは、寝る前に飛び跳ねないダンスを踊りおわった時にもシールを貼ることにした。何事かをなしとげたときのしるしがあるのはいいものだ。日常はものごとを平坦にする。平坦さにのまれる前に人類はシールを貼るべきである。我が家にはテレビがないので政治番組をみるときは YouTube ライブをプロジェクターで壁に大写しにするのがここしばらくの習慣である。昨日の夕方は内閣の記者会見も YouTubeで鑑賞した。けなげさやもろさというものは武器や防具になりうると思ったし、それらをいかに表出できるのかは、生まれつきの属性や社会的立場ではなく訓練と才能によるものではないかと推測した。けなげさやもろさが武器や防具になるのは相対的に強い力に守られている場合のみだが、いざ目撃したときはそんな些末なことは忘れているものである。けなげさ、もろさというエンターテイメント。ライブがおわっても日常はつづく。

    ※この日記の前日の八月二八日、安倍晋三首相(当時)が首相官邸で記者会見し、辞任の意向を表明した。

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