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山田亮太
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10月4日(日)
図書館へ行く。滞在時間を一時間以内とする制限は相変わらず設けられたままだが、座れる場所は以前よりも増え、利用者の数も通常時とさして違わないように感じる。先月まであった感染症特集コーナーはなくなっていたが、いまだオリンピック関連本は階段横の特設棚にそれなりのスペースをとって陳列されていた。小脇に抱えた本が12冊になったところで、選別をはじめる。図書館では10冊の本を借りると決めている。この図書館は20冊まで借りられるのだが、20冊では持ち帰るには重すぎるし、8冊とか14冊とかだと、いったい何冊借りたのだったか返却時にわからなくなりがちだ。それでちょうど10冊。12冊の中から借りるのをやめる2冊を選ぶ。この作業にはいつも時間がかかる。一度は借りたいと思った本の中から、ここからの2週間手元に置いておきたい本としてよりふさわしくないものを、全体のバランスやボリュームも考えながら、選ぶ。最後の1冊がなかなか決まらない。最終候補の三冊のそれぞれの冒頭を読み始めると、どれも諦めるには惜しい気がして、また別の本に目移りしてしまう。大丈夫。まだ時間はある。まだ一時間たっていない。
集団を構成するものがすべて同質だった場合、集団の中の一個体の安全を脅かす危機が訪れたとき、他の個体も同様の理由で危険にさらされるだろう。そのため集団が全滅する可能性が高まる。したがって内部に多様な質の構成員を抱えた集団の方が、そうでない集団よりも強い。当初は多様な構成員からなる集団であったとしても、集団の中に他の個体に対していちじるしく強い影響力を持つ個体がある場合、時間経過とともに集団内部の同質化が進行する。しかしこのことがただちに集団から多様さを奪うとは限らない。集団の中にはときに、他の個体からの影響を受けない異質なものが存在するからだ。それら異質なものたちによって、集団の存続は支えられている。けれどもしも、異質なものたちを、異質であるといいう理由で排除する機構を当該の集団が備えていたならば、全面的な同質化はたちどころに完了するだろう。
図書館で借りた寺山修司のエッセイ集を読む。冒頭のエッセイで寺山は「一人で戦争を引き起こすことは可能か」というタイトルの自作の詩について言及している。その詩がどこかで読めないか調べるが、わからない。少年時代の作だというから未発表の詩なのかもしれない。あるいは、そんな詩は書かれておらず、寺山が論旨にあわせてでっちあげた可能性もある。
※調布市立中央図書館の新刊棚にあった寺山修司『ぼくが戦争に行くとき ―反時代的な即興論文―』(中央公論新社)を借りた。
東京・調布 -
10月26日(月)
ソン・イェジンが出演するドラマや映画はあらかた観つくしてしまったので、もう一度「愛の不時着」を最初から観る。字幕を韓国語に設定する。音と文字の対応はかろうじて覚えたつもりだが、早口だとまだ追えない。セリフの意味は記憶をたどるよりほかないが、まれに聞き覚えのあるフレーズが耳に残る。いま、カムサハムニダって言ったよね。北と南の軍が対峙して銃口を向け合う。そういえば序盤にこんな緊迫したシーンがあったんだったなと思い出す。
週末に訪れた新大久保の街は、路上も店内も多数の観光客でひしめいていた。大半は10代から20代の女性たちだが、しばしば年長者のグループも見かける。ときおり外国語も聞こえてくる。彼らはやはりみな居住者なのだろうか。大きな通りに面した、チーズタッカルビを提供する店はどこも行列をなしていたから、路地に入ったところのシックな韓国料理屋で昼食をとる。キムチがおいしいと感じたのは初めてだった。この店のキムチが特別においしいというわけではなく、きっと私の味覚が変化したのだろう。知識は人間の嗜好を変える。
化粧品やアイドルグッズを売る店の店内は、肌のきれいな男女のスターたちの写真で埋め尽くされていた。場違いなそれらの店をくまなく観察すると、いたるところでヒョンビンに出くわした。役作りのために彼は、北朝鮮の方言を2ヶ月半ほど練習したという。ヒョンビンがおすすめするシャンプーセット(ポスター付き)を買うべきかと一瞬だけ迷ったが、思いとどまった。私があともういくらか若く、女性だったならば、きらびやかなこの世界のとりこになるのは必定であると思えた。
韓国食材を売る店で、じゃがいも麺と調味料、そしてなぜか置いてあった「愛の不時着」下敷きを記念に買って帰った。下敷きなんて買うのは小学1年生のとき以来だ。
言語のオプションに韓国語を追加し、でたらめにキーボードを叩く。子音と母音、パッチムが組み合わされてその都度ひとつの文字が出現するのが心地よい。だがキーボードと音素の対応がわからないので、狙った文字を出すのは難しい。結局、ソフトウェアキーボードに頼り、私は初めてハングルで文を書く。
안녕하세요
사랑해요
손예진※「愛の不時着」は2019年12月から2020年2月にかけて放送された韓国のテレビドラマ。Netflixで視聴できる。ソン・イェジン、ヒョンビンは同作の出演者。
東京・調布 -
11月17日(火)
東京オリンピック・パラリンピックの公式キャラクター――白地に紺色かピンクの市松模様の、丸顔に角の生えた二人組――が結構好きだ。夏の間、彼らが描かれたスポンサー企業の広告を街中でよく目にした。期待された効果を果たせないまま自らの役割をかたくなにまっとうする彼らの姿に哀愁を感じたものだった。パッケージに彼らがプリントされたお菓子を何度か買った。
TOKYO2020のLINEから通知が来ている。観戦チケットの払い戻しについての案内だ。キャラクターのスタンプが欲しくて友だち追加をしたのだった。この半年は彼らのスタンプをよく使ったが、先月スマホがクラッシュして買い替えたため、スタンプは消失していた。もう一度ダウンロードしようとあれこれ試すが、見つからない。いまはもう提供していないのかもしれない。
来日中のIOC会長が各関係者と会談を行っているとの報道。リモートでやれよという気持ちと、そうはいっても来ることに意義があるのだろうという気持ちが半々。行うという意思表明はいつであれ覆りうるが、行わないと決めたことの再考はできない。
チケットの払い戻し申請の受付期限は11月30日午前11時59分まで。チケットを一枚も所持していない私には関係がない。あなたはどうしますか? いくつもの抽選に参加し、やっとの思いで手に入れた、そのチケットを、あなたなら、どうしますか?
※その後、公式キャラクターのLINEスタンプはまだ使えることが判明した。十二月に母から送られてきたスタンプからたどってダウンロードできた。
東京・調布 -
12月9日(水)
空港に降り立つとたてこんでいるから迎えにいけないと母からのメッセージ。
同じ便に乗っていた弟2家族と一緒にタクシーに乗り込む。
行き先を告げると意気揚々と運転手はしゃべりまくる。
車内での会話は控えめにお願いしますの掲示を完全に無視している。
GoToで少し盛り返したけれどここ2週間はめっきり乗客が減ってしまった。
街中を3時間走ってもひとりもつかまらない。
給付金100万円もらったけど全然足りない。
大きなタクシー会社はあえて走らせない場合もある。
個人タクシーはどうにもならない。
観光客も激減したし忘年会も絶望的だ。
年末年始に毎年来ていた孫の顔も今年は見られない。
いい乗り心地でしょこの車、去年買ったんだ。
感染者が出てるのは病院だけなのにね。
市中感染なんてまったくないのにね。
ああそういう認識の人かと思う。
でも気持ちはわからないでもない。
1万円札を渡すとお釣りを20円おまけしてくれる。
想定以上の出費だがこの人の生活の安定に貢献したと思えば悪い気はしない。「旭川 コロナ」で検索をかけるようになって2週間。
なじみの基幹病院でクラスターが発生したとの報道に触れたのがきっかけだった。
しばらくは帰省などできないと思っていた。一足先に着いていた弟1が祖父の椅子に腰かけ、長いからだをだらりと伸ばしている。
名古屋から旭川への直行便は現在運休中だから、札幌経由の移動に半日かかったらしい。
妻子を伴って来るかを巡って争った結果ひとりで来たという。
親族が続々と集まり、やがて湯灌師が到着する。
口紅のお色を選んでください。
お着物はこちらでよろしいですか。
ほかに棺に入れたいものはございますか。
扇子はどう? ほら、舞踊をやっていたでしょ。
十円玉を入れてもかまいませんよ。
顔のあざはすっかり目立たなくなった。
驚くほど軽い祖母のからだを4人の男で持ち上げる。
女たちはいちばん鮮やかな扇子を選び祖母の上にのせる。
玄関が狭いので寝室の窓から運び出す。
長いこと使っていなかったベッドの底が抜ける。とびきりの笑顔でピースサインをしている。
こんな遺影があっていいのか。
孫の顔を見ても誰が誰だかわからなくなってからもよく笑う人だった。
カメラを向けるとすぐにピースをした。
サンキューベリマッチが口癖だった。
20年前の、親族が一堂に会した最後の日の写真。
その中央にいる祖母もやはり笑っている。一定の間隔で並べられた椅子。
マスクをしたままお経をあげる坊主。
普段より短いスピーチ。
すべての扉が開け放たれた食堂。
マスクをつけたり外したりしながら食事をする人。
遺体の隣に敷かれた布団で眠る。
ベルトを忘れた弟2は父のそれを使う。
ネクタイをなくした弟1は父のそれを使う。
三兄弟が並ぶと威圧感があるねと久しぶりに再会した叔母に言われる。
喪主である祖父の名が呼ばれるが本人はここにいない。祖父もまた今年の春から入退院を繰り返していた。
七月以来、一度も家に帰っていない。
許された面会時間は5分間だけ。
それも先月、禁止になった。
恐らくは少なくとも冬が終わるまで、この措置はつづくという。
妻の死を彼はまだ知らされていない。火葬場では昨夜、通常営業時間外に4人のからだが焼かれた。
だからできるだけ場内をうろつかない方がいいと注意される。
あんなにたくさんいれたはずの十円玉は6枚しか残っていない。東京へ戻った日、電車内ビジョンで旭川のニュースを目にする。
大規模感染が発生した病院に自衛隊が派遣されるという。※慶友会 吉田病院での累計感染者数は214名(2021年1月20日時点)。旭川厚生病院での累計感染者数は計311名(2021年1月26日時点)。
北海道・旭川/東京・調布 -
12月31日(木)
深大寺まで徒歩で行く。
分散初詣を推奨するこの寺は2月14日(旧暦1月3日)までを三が日と同様のご利益がある期間としているらしい。
おみくじを引くと「生死(いきしに)は十に八九死(し)すべし」と出る。
2020年が終わる。※例年は正月三が日に約二十万人が深大寺を訪れている。
東京・調布 -
1月22日(金)
悼むよりも先に声高に叫ぶ克服の証としてわずか二ヶ月後に人間そのものの悪が語られる科学的に論理的に考えてありえた事実を見ないようにして安全な場所へ移動する祈るしかないのだと言ってもよい具体的な作業の積み重ねだけが希望になる。
東京・調布 -
2月13日(土)
今日のホームルームでは学級委員長を決めます。学級委員長とは、このクラスの代表、みなさんの代表ですから、みなさんと議論をして決めていきたいと思います。どんな人が学級委員長にふさわしいと思いますか。
教師からの問いかけに教室は静まりかえった。自らが指されることを避けたい一心の生徒たちは一様に目を伏せている。その様子をにやにやしながら教師が眺めている。その顔が腹立たしかった。廊下側、いちばん後ろの席にいた私は、手を挙げて発言した。
女子がいいと思います。
なぜそんなことを言ったのだろう。学級委員長の仕事とは、クラスの代表とは名ばかりで、教師からの頼まれごとを引き受けたり、学校行事で生じる面倒ごとを差配したりといった雑務が大半である。そんなつまらない役割は女に押し付けてしまえばいいと思ったから? いや当時の私にそこまで巡らせた考えがあったはずはなく、ただ単に、誰かが何かを言わなければ議論が進まないと思ったから。仮に自分の発言によって候補が女子に絞られてしまえば、自分が選ばれることもなくなるだろう。その程度の思惑だったのだろう。私の発言の直後、窓側のいちばん前に座っていた西村さんが、私の方を振り返ってぎろりと睨み、それから手を挙げた。
男子がいいと思います。
私と西村さんの発言をきっかけに、学級委員長にふさわしいのは女子か、男子か、喧々諤々の議論が巻き起こった、はずもなく、教室は再び静まりかえった。ここまでに出揃った意見はただ二つ。女子がいい。男子がいい。何も進展していない。しばし重い沈黙の時間が流れたのち、私の二つ前の席にいる湯本くんがおそるおそる手を挙げた。今度はなんだ。みんなが湯本くんに注目した。
ぼくがやります。ぼくがやってもいいでしょうか。
教室中が無言の歓喜の声で満たされた。湯本くんすごい! 是非湯本くんを学級委員長に! このクラスをまとめられるのは湯本くんしかいない!
こうして無事に学級委員長は湯本くんに決まり、その後、どういう経緯だったかは忘れたが、私と西村さんが副委員長を務めることになった。以上は二〇年以上前のエピソードだが、ふと思い出したので書いておく。
東京・調布
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