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空気の日記

石松佳

  • 10月5日(月)

    上着を、羽織る
    最低気温が昨日よりも下がり
    夕方の風はもう冷たい
    銀杏の匂いはきらいじゃない
    空気が秋らしく乾燥したからか
    今日は
    朝から声が掠れてしまった
    呼びかけることがどこか気恥ずかしく
    呼びかけることをあきらめて
    ぼんやり過ごした
    それは
    風邪を引いたときとは少し違う、
    世界から椅子一つ分だけ距離をとる感覚だ
    子どもの頃に飼っていた犬は
    名前を呼ぶと必ず振り返った
    いつ自分の名前を知ったのだろう
    それはわたしがこれまでに
    会社で、私生活で、映画の中で見た
    呼びかけたら振り返るという
    その姿の原形である
    明日は晴れるが
    最低気温は今日よりも下がるのだと
    天気予報は言う
    公園を駆ける子どもたちがわらっている
    多分だけど
    そう遠くない日
    わたしたちは
    わたしたちの本当の名前で呼びかけ合う

    福岡・博多(冷泉通りにて)
  • 10月27日(火)

    明け方、寒くて毛布を被っていると犬のことを思い出す。わたしたちのひかりの犬のことである。祖父が長い散歩に連れて行くと必ずなかむら商店で魚のすり身のてんぷらを買ってもらえるので喜んでいたあの犬は、いつしか大人びた顔つきになったが、春の眩しい庭で草を刈る母の背中を目指していっしんに駆けたり、雪の降る夜は玄関に入れられそこを守り、そのまま糸のように寝たりと、幼く、だが精悍な本能の眸を持っていた。川。あれから何度も四季が巡ったが、犬は輪転しながら駆け巡った。あたたかい。それは今朝のわたしの毛布まで、そしてこれからもずっと続く、とても長い散歩であると思う。

    福岡・博多
  • 11月18日(水)

    この時期にしてはめずらしく気温が上昇し、
    わたしたちは
    うっすらと汗ばんでいた

    ニュースが
    気温のほかに様々な数字を伝えている
    こうなることは
    前からなんとなく分かっていたが
    実は少しも分かっていなかったのだ

    カミュが『ペスト』に
    「なるほど、不幸のなかには抽象と非現実の一面がある。しかし、その抽象がこっちを殺しにかかって来たら、抽象だって相手にしなければならならぬのだ。」
    と書いたことを
    ぼんやりと思い出しながら
    歩いて帰ると

    繊い月も
    ぼんやりと
    雲の間に出ていた

    ランベールの「あなたは抽象の世界で暮らしているんです」という言葉と
    リウーの
    「人間は観念じゃないですよ、ランベール君」
    との言葉
    彼らの議論が
    夜の空気に
    ささやかに響くのである

    ※引用は全て アルベール・カミュ 『ペスト』 宮崎嶺雄訳 新潮社 2013年 による。

    福岡・博多
  • 12月10日(木)

    Wintering Out
    とは、アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーの詩集のタイトルである
    誰かは知らないが
    この英語を「冬を生き抜く」と訳したのはとても美しいことだと思った

    過酷さならば夏も変わらないのだろうが
    冬にはどこか「生き抜く」という感覚がある
    そういう気がする

    冬の空気は好きだ
    特に晴れた朝の張り詰めた空気の膜に触れながら歩く
    ひとがいないところでマスクを外し
    面白半分に白い息を吐いたりする
    吸い込むとその冷たさで
    わたしの内側にある
    肺の形が分かるほど新鮮だ

    わたしは子どもの頃から
    しっかりとした誠実な人間よりも
    中身のない軽薄で身軽な人間になりたいと思っているのだが
    冬の空気を思いっきり吸い込むと
    人間は空っぽの容器であることを
    感じるのである(確か『空気人形』という映画があったはずだ、今度借りてみよう)

    ふわり、と揺れながら
    空気のわたしたちは
    それでも
    セーターやコートを着て
    冬を生き抜くのである

       死の前に生はあるのだろうか
       これは繁華街の街の壁にチョークで書かれていた文句
       苦痛に耐える能力 いつもでも変わらぬ悲哀 質素な飲み食い
       僕たちは再びささやかな運命を抱きしめる

         シェイマス・ヒーニー『冬を生き抜く』「デイヴィッド・ハモンドとマイケル・ロングリーに捧ぐ」より

    参考文献
    シェイマス・ヒーニー 『シェイマス・ヒーニー全詩集 1966〜1991』 村田辰夫・坂本完春・杉野徹・薬師川虹一訳 国文社 1995年

    福岡・博多
  • 1月1日(金)

    夜、雪が降った

    ひとりで
    6階の自室の窓から見ていると
    風が強いから
    時折、
    雪は下から上に
    地面ではなく
    夜の空の方へと
    あるいはもっと上へ
    舞い上がった
    その光景は
    美しいが
    何かに抗っているようであり
    何かに届こうとしているようにも見えた

    この雪を正視しながら
    新しい年を迎えようと思った

    福岡・博多
  • 1月23日(土)

    朝から昼にかけて
    小雨が降っていた
    このような日は
    街が少し静かになる
    雨音の方が前景化されて
    人々が出す音は目立たなくなる
    そうなると
    軒先に出されたまま濡れている花とか
    雨を走る自転車とか
    自分自身の
    小さく変動する体温とか
    微細なものに気づく
    明日はどんな天気になるのだろう

    福岡・博多
  • 2月14日(日)

    昨日SNSで見かけた
    「世界が元気になったら会いましょう」という言葉
    あの日から
    わたしたちは
    世界の熱を計り
    手指を洗ってあげ
    世界を静かに寝かせようとする
    そんな日々を送っているのかもしれない
    もう1年が経とうとしている
    わたしたちは
    あの日から
    少しだけ髪が伸びた

    福岡・博多
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