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空気の日記

覚和歌子

  • 10月7 日(水)

    からだの左がわに湧き水の気配がする
    1メートル半ほどの龍がいるようだ

    数日前に歩いた関西の山深い村では
    橋に窟に空にまで
    水神の守護がしるされていて
    マスクをあごに引っかけた人たちは
    山伏とインバウンドが減ってねと
    ほがらかに嘆いた
    まっすぐに天地をつなぐ木々が
    途切れない水音をささえて
    透んだ気をとどまらずにめぐらせて

    そこから龍はついてきた
    わたしの詩となって 

    玄関の引き戸から小路へ
    わたしの歩幅に合わせて
    身がゆるく蛇行すると
    金木犀の匂いのなかに
    冷たい川すじがとおっていく

    西洋では人をおびやかす役まわりの龍
    数日で打ち負かしたという老勇者が
    タラップをおりた
    BGMのマントをまとって ※1

    半月前からにぎやかになった壁のカレンダー ※2
    男たちはヒトの指で手帖をめくる

    わたしによりそう龍の気配に
    ときどき目を泳がせながら

    1 : 米国大統領トランプ(当時)、新型コロナから回復して退院する映像を動画に公開。
    2 : この頃から催事興行が徐々に再開。

    東京・目黒
  • 10月29日(木)

    父母は手を繋いで面会室にやってくる
    すべりの良すぎるドアには
    いつまでたっても慣れることがない
    マスクの顔に一瞬戸惑ってから
    あいさつの声でひとり娘だとわかってくれて
    ありがと おかあさん

    元気にしてるの? 
    たっちゃんは変わりないの? 
    今書いてるのはなあに?
    そんなことよりおかあさん
    今日はおとうさんの誕生日だよ
    あらそうだっけ 
    あなたは元気なの? 
    たっちゃんはどう? 
    今なに書いてるの?
    たっちゃんは時どき鰐になってるよ
    なにそれ わかんない
    休みが多いから寝ころんで本読むの
    そうするとだんだん鰐になってくの
    ちょっと おかあさんを混乱させるようなことを
    言うのはやめなさい
    えー、 私だって同じ会話は飽きちゃうじゃん
    ねえたっちゃんは元気にしてるの?
    あなた今どんなの書いてるの?

    いつものループがはじまるまえに
    そろそろ歌おうか おかあさん
    心配いらないよ おとうさん
    アクリル板ごしに向かい合うから 
    小さい小さい声をマスクにひそめるから

    記憶は2分で蒸発するのに
    歌はどこか深いところに
    しみるみたいにしまわれている
    おかあさんが帰りたいあの家には 
    大好きな絵も花器もお茶碗ももうないけど
    知らない誰かがもうすぐ住むけど
    おぼえた歌は なくさないから
    死ぬときも持って行ってもらえるから
    わたし歌を作るひとになってよかったよ

    いつ帰れるの は
    決まっておとうさんを困らせる夕方の質問
    デンセンビョウがおさまるまで
    もう少しここにいてよ   
    おかあさんのたった今がうれしいなら
    わたしいっぱい嘘をつく
    作り話をする
    いっしょに歌う

    制限時間は15分
    夕焼けと
    歌ふたつ分                     

    東京・目黒
  • 11月20日(金)

    靴下もタオルも 
    くちびるも すぐに乾く
    豆を煮つめる小鍋に
    なけなしの湯気が立ちのぼって
    生温かい日和をもてあます

    最多記録の更新は予見のとおりで
    第2波とは桁ちがいの棒グラフも
    とっくに約束されていたこと
    皮膚の手ざわりは世間の不穏とずれたまま

    「イベント」のたび増幅する
    可聴帯域を外れた地鳴りのようなもの
    それをたやすく左右できることばやBGM
    同じ振動数を拾われて
    光の訴えに耳をふさいで
    違うふるまいを選ばずに
    波形のくりかえしに流されて

    ワクチンが登場したあとは
    長いトンネルを抜けたみたいな
    お祭り騒ぎが待つのだろう ※

    父母に学んで身じまいを考える
    子どもを持てなかったわたしたちは
    上下左右をさばく知恵のあるうちに
    おしまいの居場所を決めること
    残して行く全部を
    (かわいい)トカゲたちに割振りすること

    ああオレたちもこんなこと 話し合う日が来るなんてさ
    わたしけっこう楽しいけど
    そうか と言って間をおいて 
    そうだよね と夫は笑った

    みんないつかいなくなるという平等
    からだの声とふくよかに交信しながら
    連続性の眩しさを呼吸として
    近づく死にやわらかく向かい合う
    その日々を未来と呼ぶことを
    わたしはためらわない

    ※ 11月、関東では異例の高気温が続く。PfizerとBioNTechが米国はじめ数カ国でワクチンの緊急使用承認申請。

    東京・目黒
  • 12月12日(土)

    二番弟子でございます。持ち前の色白の肌に映える真紅の着物をアイコンにしております。この難しい色を品良く着こなす私のセンスったら。弟子うちで着るものに気遣うのも、おかみさんの服飾をほめる孝行ができるのも私だけです。

    月に二度、師匠のお宅に伺って朝ご飯をいただきます。芸人の現場で風邪っ引きは犯罪ですから、念入りな手洗いは入門時からの躾です。今さらハッピバースディ2回分でもない。今朝のおかずは焼き鮭と春菊の白和えと湯豆腐。

    歳末のこの時期、師匠のお宅にはたくさんの到来物があります。酒と米。佃煮詰合せ。菓子折。季節の果物。積み上がるさまは笠地蔵の勝手口さながら。これらはほぼ弟子が腹におさめます。目上の方の指令のままに。それが伝統芸能。

    おかみさんは私たちを見るたびに必ず太ったとか痩せたとか言います。時下の体調をお気遣いただいてのことと承りますが、多少、そう。ははは。うざ。食と天気が誰にも共通する当り障りのない話題だと考えてるのは年寄りだけです。

    おかみさんは弟子の食欲を歓迎してくれる反面、見た目が大事な人気商売ゆえダイエットせねばという私たちの気持ちにも理解はある。よって食わせたい、でも食わせたくないという二つの間でご自身も引き裂かれているのだそう。

    今年は高座の本数が激減したので、在宅中は新作をたくさん書きました。弟子の中で古典一辺倒でないのは私だけ。かつてはヒップホップなんかに手を染めたりもしたので、おかみさんとは創作という点で分ち合えるものがあります。

    ともに大好物の都市伝説で話がはずみ、気づけば三時間を過ごしていたこともありました。入門初日に着てった上着の黄緑色がおかみさんの超贔屓の色だったとかもあるし、でもカードの暗証番号まで偶然同じじゃなくていいと思う。

    最近書かれてる詩の中で、私たち弟子はトカゲなんだそうで。おかみさん爬虫類は苦手じゃなかったっけ。託して言いたいことでもあんのか。正直、歌詞じゃない詩は誰のも読まないしわかんねえ。芸の肥やしとかにも出来なさそう。

    化けるとしたらきみが抜き手を切るだろうね。おかみさんにはそう言われています。化ける、は、いい意味で芸が生まれ変わることを指します。達者というのと違う私のようなタイプはある時期突然の変容をするのです。ああ化けたい。

    真赤な着物は四年前の二ツ目昇進の折に誂えました。そう、クリスマスの色でもあります。今年は硝子のコップの内側から眺めている人の世の、そこかしこに点滅し続ける警告灯の色。そして鮮血、私の中にいつか目覚める鬼の色です。

    ※ 二番弟子、入舟辰乃助。
    ※ 病床ひっ迫5都道府県で「ステージ4」。 

    東京・目黒
  • 1月3日(日)

    グレゴリオ暦というヒトに不調和な太陽暦が
    新年を連れてきても
    わたしたちの身体は まだ
    2020年にぶら下がっている

    感染がピークをむかえる中を
    夫が初席に出かけていく
    観客は集まらなくていいんだ 
    誰も出かけないに越したことはないんだから

    寄席には年中無休という矜恃があるらしい 
    (3.11の時すら休まなかったのだから夏の中止は前代未聞)
    緊急事態宣言も再発出かというのに

    高座があるならそこに座るよ 
    辞するという選択があってもしない
    遣わされた地点で
    そのときできることを

    縁起ものという言葉では足りない
    笑いを祓いにしたいひとたちが つかの間
    不安じゃないものでむすびつく
    とどこおる息がマスクの中で爆ぜて
    そのにやどるのは
    予言通りの
    あたらしい青空であればいい

    紋付袴にインバネス
    ひるがえす裾で 風を起こしてよ
    不穏の包囲を
    散り散りにするための

    ※ 1/2 一都三県が政府に緊急事態宣言発出検討を要請。
    ※ 初席は正月十日までの寄席。

    東京・目黒
  • 1月25日(月)

    濃厚接触はどこからが濃厚な接触なんだろう
    クラスターはなぜ6人じゃなくて7人からを言うんだろう
    極細の長い綿棒を舌の上にあてながら考えた
    もしも陽性だったら何が変わるんだろう

    わたしの後ろに並んだ鰐は
    必要以上に口を大きく開けて検査員をまごつかせている
    それでもぎょっとされたりしないのは
    三人あとに行儀よく並ぶ小柄な鰐を見てもわかるように
    鰐化する向きがここへきてもうそれほど珍しくないからだろう

    空いたテーブルをてきぱきと消毒している検査員は
    「検査結果は今日時点だけのことです」とおしえてくれた つまり
    潜伏期間に関しては諸説あって正しい知見はない つまり
    明日陰性の結果が出ても明日はもうあてにならないということ 
    検査の意味あんのかな

    でもまあね 
    陽性を今わかっておくだけでも
    余分な迷惑をかけないですむという場面は増えるだろうから 

    検査場に来る途中
    水の流れの両脇に薄い氷を張る川の
    小さな橋を鰐と渡った

    わたしと濃厚にかかわるひとたちは 感染しちゃった親しいひとも 
    それぞれ厄介ごとの圧倒的な闇を抱えながら 
    同じだけ大きくて強い光を育てている
    そのことはいつでもわたしの誇りで
    それを眩しすぎると感じない自分にも本当は胸を張りたい

    身体は弱いしHSP ※ だしそのせいでむかし鬱にもなったし母は認知症だし
    それなりの不安も執着もわたしにはあるけれど
    ただひとつ 
    死ぬことの恐怖だけは手放せている
    きっと死んだからといって終わるものはなくて
    いのちというエネルギーは途切れないだけの意味を宿している
    その意味を考えることは面白いから面白い方をわたしは選ぶ
    死んでも死なないその先が本当にもう楽しみでしかないせいで
    日々はそれまでの手強くて甲斐のあるダンスフィールドだと思ってる
    なんてことは誰にも言えずに
    細長い綿棒で舌をそっと押さえつけてる

    検査場からの帰り道
    小さな橋のたもとの薄氷は溶けてしまって
    流れの音が浅すぎる春をうたっていた
    いつでも本当のわたしは向こう岸にいると思う
    そこから自分とこの世を見ているわたしは ひとのかたちをしていない
    守らなければならない 責任を持たなければならない誰かがあるあなたは
    いくつ心があっても足りないだろう

    ややこしいのは鰐が陰性でわたしだけが陽性だった場合だな
    二人とも陽性だったら家から出かけないでいればいいだけのことだけど
    もし入院できなかったら鰐を感染させないために生活空間をどう分けようか
    いくつか高座がある鰐を八ヶ岳に行かせることは現実的ではなくて
    かと言ってわたしは移動できないわけだから
    しばしの間 家の中でマスクをして黙食して黙動するんだな 筆談とかも
    おしゃべりなのはわたしの方で 鰐はそれほど不具合がなさそうだけど
    いつでも少し緊張し続けているのはかわいそうだな

    というほとんど同じことを鰐も考えていたと
    二人ともに(今日限定の)陰性結果が出たあと知って
    わたしたちはマスクの中で吹き出した

    「誰もがそれぞれの葡萄の樹の下に 無花果の樹の下に座り
    何にも恐れたりしていないところを思い描きなさい」
    アマンダ・ゴーマンが引用した聖句をわたしは別の解釈で引用したい
    それぞれの数だけ それぞれの選択の数だけ宇宙があって
    わたしたちは自らのそれを豊かにも荒ませることもできる
    心を尽くした具体的な想像は 現実を動かせる物理的な力であると知りなさい     

    ※HSPは近年提唱されるHighly Sensitive Person (反応過敏傾向)の略。1/20米国詩人アマンダ・ゴーマンがバイデン米国大統領就任式で自作詩を朗読。

    東京・目黒
  • 2月16日(火)

    ひとつの雲もない空の奥へ
    鰐がのそりと出かけていき
    温まった尻尾で戻ってくる

    すこし前から山にいる
    鰐は端末に小説を仕込んで
    わたしは〆切を二つ持って

    木づくりのベッドの居心地
    腹ばいと壁の光跡と蓮花香
    ときどき音を立てる膝関節

    検温計に前髪を上げるたび
    35度しか出せない体からも
    詞の蒸気はうっすらと立つ

    輪郭が霞む冬枯れの山から
    春の方角へ寝返りをうつと
    窓いっぱいに広がる野焼き

    わたしたちずっと冬だった
    焼き払われた地面の下から
    じき新芽たちは立ち上がる

    ひとつの詞も
    旋律さえ持たない
    ただ光がふるえるばかりの
    うたを
    やしないとして

                          

    八ヶ岳
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