執筆者別アーカイブ
四元康祐
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9月16日(水)
青い袋には燃えぬもの(月一回第三月曜日)
黄色い袋にはペットボトルにガラス瓶(月一回第一月曜日)
赤い袋にはそのほかの全てを入れる(毎週火、金)
プラスチックも生ゴミも古紙も
燃えるものなら一切合切
九州は豪放磊落だだがこの世に
燃えないものなんてあるんだろうか?
原初の星の溶鉱炉
水素ヘリウムぺちかと爆ぜて
炭素誕生!フューネラルホーム彩苑は永遠なるイオンの真向かい
担当の林君はどこからともなく現れいでて
重い原子で人の姿を象る「タメタカ様は疫病が流行っても夜な夜な女のもとへ通いつめ
案の定その年の十月に感染、翌年六月にはお亡くなりになりました。『栄花物語』の
鳥辺野巻に『このほどは新中納言・和泉式部などにおぼしつきて、
あさましきまでおはしまつる』とございます」あさましきまで
おぼしつきて果てるは本望
食べれなくなった人はげっそり頬が削げ落ち
皮下注射で水分のみの補給(胃瘻は事前の本人確認により拒絶)
分からなくなった人は
日が暮れるたびに空を仰いで慌てふためき
暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせアリセプト錠石破れて山河あり
corruptという語の訳には
腐敗ではなく畸型と暴走のニュアンスが欲しい
自分たちの苗字の多くに自然が宿っているということを
日本人自身はどう受け止めているのか
NHKの画面上部に流れる災害情報は絶えずして
しかももとの国にはあらず
こんなにも空を見上げて過ごした夏は生まれて初めてだったと
肩を組んで述懐する小学生たち遅かれ早かれ太陽は膨張し
僕らの全てを呑みこんだ揚げ句内側へと崩れ落ちる
一握の炭素の吐息だけをキラキラさせて
究極の赤いゴミ袋だナ
燃えるものならなんでもかんでも放り込む
プラスチックも生ゴミも古紙も
皮も肉も血も涙も青いゴミ袋には何入れようか
言葉、重力、それともあさましきまでの愛……?
骨壺の値段について(五寸か六寸、全て有田焼でございます)
しめやかに語る林君の淡い影を見ている
福岡・東区 -
10月8日(木)
さ、も行かんと。
まーさか、コロナなんかであるもんか、
いつまでもここにおったってきりがなかろうが。
旨いもんも綺麗なもんも、ありすぎて味わいきれんのだから
どっかですぱっと見切らんと。
どこへ行くか、て?
それはわしの胆管癌が知っとうたい。
剥離した網膜も溶けたキヌタ骨も圧迫された脊椎も血糖値にも分かっちょる。
ココロだけがまだうろうろおろおろしとるが
なーに心配せんでよろし。
ほっといたら後から勝手についてきよるわ。
大体このココロちゅうもんは
コロナに似とるね。
どっちも目には見えんじゃろ。それでいて
生きたカラダのぬくもりがないとすぐに消え失せてしまう
そう思えばカワイイもんじゃ。
さ、こんな話しとったらきりがない。
わしは行くぞ、今度こそほんとに行くぞ。
なんで泣くことがあるか。
最近どこにでも垂れ下がっとるビニールの暖簾みたいなのがあろうが
あれをひらりと捲るだけっちゃ。
こっちからみたらあっちがあっちじゃが
あっちからみたらこっちがあっちであっちゃこっちゃや。
人間はちと大きすぎるがね
クォークだのレプトンだのはしじゅう往ったり来たりしとるわい。
さみしゅうなったら線香でも焚火でも
立ち昇る煙の渦の動きをなぞって全身で踊りんさい。
だがなによりも大切なのは、手洗い、うがい、マスクの着用。
あもうみとったらいかんよ。
バイ、バイ。鹿児島・串木野 -
10月30日(金)
父が死んでから
毎朝線香をあげるようになった
いとこの映子ちゃんが送ってくれた美麗香
特選白檀を、東急ハンズで買ってきたミニ香台に立てる立ち昇る煙は、ロブスターの
殻だけが垂直に立って身を揺らしているように見える
背中は透明で両端が青白く光っている
それがそのまま二本の触角みたいに伸びていって漂うクラゲになったり
幾重もの花弁を重ねるバラになったり
かと思えば三次元画像処理された
誰かのデスマスクみたいなものが浮かび上がったりするがじきに言葉は尽きてしまう
あとはただもううっとりと放心しながら
渦に呑まれてゆくだけ、文字通り
ケムに巻かれて息を潜めていると
それは馴れ馴れしく近づいてきて
ワームホールめいた通路の奥を覗きこませてくれる
冥途のうねうね坂もこんな感じなのかしらん無数の小さな点の集積が
線を描き面を成して
裏と表、内と外を絶え間なく反転させる
そこから全てが始まったのだネジを回す右手の親指
歓びにうち震える鰐のように
派手な飛沫をあげて寝返りうつ日本列島
爆風の止んだあとの真空のベイルートをノーネクタイのワイシャツ姿で
昂然と歩いてゆくのは、あれは
ゴーンじゃないか
その膝関節のなかの歯車煙の終わりは消えるというより
瞬間接着剤の糸くずみたいに解けてゆく
何も見えなくなっても
まだここにいる横浜・久保山霊堂前 -
11月21日(土)
頭のなかでも声を出さずに
完全なる沈黙のうちに記された言葉と
認知の茶の間に闖入するマカDXのインフォマーシャルの
恥しらずな声で喚いた言葉を
区別できるかい、
同じフォントの活字で印刷されていたとしても?7階にはLoftや無印
8階はスポーツウェアや子供服なんかがあって
海と緑の食祭空間「ダイニングパーク横浜」は10階、それをそらで
言えるくらいには君のことを分かっているつもりだけど
9階のあのがらんと殺風景な空間を
「市民フロア」と呼ぶのはどうなんだろう関内マリナードの地下街にいる人たちって戸籍ないんですよいろんな事情があって
だから寿町にだっていられないのよどうなんだろう、そうなんだろう、はい、じゃあ
お口を開いてみましょうか、彼はどんな
断定も命令もしようとしない
優しさとはひたすら痛くないであることと心得て、ふわふわのタオルで
視界を覆おうとする、おおおうとする、おおお
うおぅ菅義偉様首相就任して、
おめでとうございます!!!!!
「して」が余計だけど、ここは半分日本じゃないからね
人種や国を越えた素朴な純情(拍手)
その隣でずらりと鈎の先から吊り下げられて
整列する首なし死体は奴ら、それとも俺たち?
毎日夕方の雲が素晴らしいから
空ばかり見上げていますがキョービの抵抗の合言葉だそれから夜がやってきて
大岡川の川面に角海老の巨大な触角が揺らぎ始めると
誰かが成層圏の一番の上層の
きらびやかな氷窒素のあたりから
バスクリンをぶちまける、すると羊歯の胞子か
白亜紀の海岸の砂粒のようなあの黄緑色が音もなく爆発して
浜風に乗ってあたり一面に蔓延してゆく、
舌先に凝固する*宮沢賢治からの引用があります。
横浜・黄金町 -
12月13日(日)
アムスの中央駅の
裏から出ている無料の連絡船
シテ島の花市場の手前の
いつもひっそりしている三角形の小さな広場
マクシミリアン橋の袂から川辺に向かって降りてゆく草の斜面
これらはわたしの
大好きな場所のほんの一部ですまるでそこで生まれ育ったような足取りで
我が物顔に歩き回っていた
それでいて瞳孔だけは普段よりも一回り大きく開いて
人類の大半は土地にしがみつくように
生きているという事実には見て見ぬふりで
難民センターの前を通るときだけは
伏目がちになってもみたがア・コルーニャの町はずれの高台で吸いこむ潮風
リフトから見下ろす雪原の
翼の輪郭みたいな自分のスキーの陰影
メムリンクの聖母の目の縁の、赤い顔料から滲みでた雫の透明
オムレツの輝くクレタの砂浜
これらはわたしの
大好きな場所のほんの一部ですどんなにワクチンが行き渡っても
帰ることのできない処がある
同じ町で暮らしていても
二度と会ってはならない人がいるように
自分が自分であることにやり切れなくなったら
大好きな場所を思い出してみるんです
すると少し気分が晴れますあの石段のあの段の
剥がれかかったペニスの落書き
脱衣場のロッカーの鍵の
まだ奇跡的に濡れていない赤いバンド
地下鉄の座席でタッパーウェアから直接食べる
ツナサラダ……註 Oscar Hammerstein II「My Favorite Things」からの引用があります。
横浜・久保山 -
1月4日(月)
知事らは政府に
宣言の検討を要請したのだそうだ。
政府は専門家の
意見を踏まえるのだそうだ。
一方で政府は知事らに
要請前倒しの対策を要請していて
各知事も応じる構えを見せているという。不思議の国の日本へようこそ。
誰が誰に
何を求めているのか、
求めた者と応じた者のどっちが
決めたことになるのか、なぜ宣言ではなく
宣言の「検討」なのか?いや、そもそも強制力のない「宣言」って何なのだろう?
「人間宣言」
のようなものだろうか。
それとも「春の交通安全宣言」の方が近いか。どちらにしても「法律」ではないという点では同じで
強制力がない代わりにそれを拒否したり
承認したりする術もない。歌のように、空に向かってただ詠みあげられるだけの言葉たち。
ひらひら、はらはらと
舞い散ってくる暗黙の花びらの下で
男と女が
生まれたまんまの
白無垢の無名性にくるまれて抱き合っている。ウィルス一粒すら
もぐりこむ余地もないと言わんばかりに
肌と肌をぴったり重ねて。
肋を軋ませ。男の胸に顔をうずめて
うっとりと抱かれているのが知事で
仰向きに薄ら笑いを浮かべて
小鼻をひくつかせているのが政府だなんて想像するだに
身の毛がよだつが案外、そのどちらかが
(ことによっては両方ともが)自分だったりするのかもしれない。
汝、自身を知れ、は難しい。まして、
しっかりと目を見開いて
自分で自分の寝顔を眺めることは誰にもできない。花びらに打たれるごとに
ふたりの柔肌に真紅の痣が咲いてゆく。床の間で、死は、
冷たい汗をかいている、
去年の売れ残りの柿の実みたいに。愛欲と腐食の入り混じった
なんとも言えない匂いが胎児のように育ってゆくが障子を開けても、窓は嵌め殺しだ。
横浜・久保山 -
1月26日(火)
年明け早々、古代のイギリスへ攻め入ったバイキングか
それより何万年か前、氷河のなかで
マンモスを取り囲んで叫んでいた原始人よりも
もっと野蛮な男や女が
壮麗な建物の扉や窓を打ち破って闖入してゆくのを観た。かと思ったら今度は、奴隷の末裔で、
シングルマザーに育てられたという痩せっぽちの黒人少女が、
長じて、かつてその座に就くことを夢見た場所で、
今その座に就いた男を寿ぐために
詩を読み上げるのを聴いた。そのふたつは、正反対の光景だったが、
どちらも「we」という主語で話していた。英語の「I」には
誰がなんと云おうと私は私、という強烈な自己主張が感じられるが、
「we」と云った途端、共同体の意識が立ち上がる。
「we」はそれを構成する「I」とも、他の「we」とも対立的な緊張を孕んでいる。私が住んでいる島国には「we」がない。あるのはただ「私たち」とか
「我々」で、どちらも「I」の寄せ集めに過ぎないが、
その「I」もえてして省略される。自ら「みんな」のなかへ隠れてしまうのだ。
「みんな」は一人称複数のように見えるけど、実は三人称単数で
時に王となり神と化して「私」を圧し潰す。戦争が始まった時だけは、この島国にも
敵という「外部」が出来て、お陰で「we」が生まれた。「日本人」とか
「天皇の赤子」とか名乗る「we」が。それまで不遇をかこっていた詩人たちは、
「we」の口舌と化す機会を授かって大喜びだった、『辻詩集』。
戦争が終わったら、みな知らんぷりだったけど。コロナも「敵」ではある。だが人類全体の敵なので、
「we」の方でも身に余るのか、今のところ立ち上がる気配はない。
「I」と「I」の間はスカスカで「不安しかない」し、「頭のなかは真っ白」らしい。
富裕層と貧困層、都市部と田舎、資本と労働力の「分断」は
巧妙に隠蔽されていて、「対立」もない代わりに「団結」もない。それでも箱のなかのアマオウたちは一糸乱れず整列している。
ガラスの密室に監禁したペットの仔猫の世話をするお姉さんは慈愛の眼差しだし、
アベノマスクで口を塞がれ、Go toのはした金で横ッ面を張られても
国会議事堂へ殴りこみをかける者はひとりもいない。
猫も杓子も「おうち」でほっこり。パンはひたすら甘い菓子と化してゆき、
「~させていただきます」の連発で語尾は長くなるばかり。
コロナで死ぬより、生き延びて「人に」迷惑をかける方がずっと怖い。
画面越しなら笑顔でメッチャいいを連発しても、
リアルで目と目は合わさない。組織への所属や所得の階層や消費行動のセグメントはあっても
この島に鬩ぎ合う部族たちの形が見えない。
闘いと祝祭の雄叫びが聞こえない。
そのことが平和の証なのか閉塞なのか、進歩なのか頽廃なのかは知らないが、
「we」のない人生はコロナが何十年も続くに等しいのではあるまいか。夕方、道路沿いの公園で、大勢の子供たちが飛び跳ねていた。
まるで目には見えない巨きな波が、未来から
打ち寄せてきたかのように、息を合わせて。ただ一つの歌の調べに
身を委ねるように、ある者は笑いながら、また別の者は生真面目に前を睨んで、
同じリズムで跳び上がっては、一斉に屈みこんでいた。車の中までは届かなかったが、
きっと誰かが、どこかで、数を数えていたのだ
青でも赤でも、白でも黒でも黄色でもない透明な波長を響かせて。
私は、いかなる種類であれ、「we」を主語として詩を書こうとは思わない。
でもその声になら、喜んで私の「I」の弦を共振させよう。
横浜・久保山
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