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空気の日記

鈴木一平

  • 9月22日(火)

    目が覚めて、LINEに温度感の高い仕事の話が来ているのに気がつく。午前中は「日記」の制作。昼頃に中華料理屋へ行って、麻婆豆腐とビール。追加で餃子とハイボールを注文する。奥に座っていたおばあさんが、炒飯を半分残したお皿を持ってレジに向かう。店員の人が、――いつもありがとうございます! といって、おばあさんを見送る。しばらくして、おばあさんが空になった皿を持って店に戻ってくる。
    高校の同期からLINEが来て、多磨霊園に集まることになる。産休で休んでいるべつの一人にも声をかけたという。急いで家に戻って風呂に入る。元TOKIOの山口達也が、酒気帯び運転の疑いで逮捕される。待ち合わせにニ十分遅れることを連絡すると、――なんもない駅だよ、と返事が来る。新小金井駅に着くと、本当になにもない駅で、旅行に来たような気分になる。同期の記憶を頼りに道を歩くと、公園が見えてくる。
    ――(同期)虫いたら帰るからね。
    ――(作者)あいつ(もう一人)いつ来るの?
    ――返信来なかった。てかさ~、コンビニどこにもないじゃん!
    ――え、なんも持ってきてないの。
    ――マクドナルドでポテトのL買ってきた。しおしおになったやつ食べる。
    しばらくして、多磨霊園ではなく野川公園であるのに気が付く。川に入ってなにかを採取している親子や、犬を連れて散歩している人が目立つ。遠くで、白い人間が四つん這いで歩いているとおもうほど巨大な犬を連れて歩いている人がいる。テントを張っている人も何人かいる。――これから雨ふるのにけっこう人いるね、とつぶやくと、同期が露骨に帰りたそうな顔をする。曇り空と青空が均等にまざったような空で、あまり見ない天気だとおもう。コンビニを探して歩きまわっているうちに、多磨霊園とは完全に逆方向の道となり、武蔵野の森公園をめざすことになる。
    コンビニでお酒とつまみを買って、空を見上げながら歩く。武蔵野の森公園に着いて、調布飛行場を横目に見ながら芝生のある場所を目指す。遠くで飛行機が何台も並んでいる。蝉が弱々しく鳴いている。ミヤシタパークの屋上で見かけた看板がある。さっきよりも犬の数が格段に増えて、すれちがいざまに近寄られる。自転車に乗った子どもが、――気をつけてください、自転車に乗っています、といいながら去っていくのが、同期のツボに入る。芝生のある広場に着く。レジャーシートを広げて酒を飲む。遠くの木の近くに座っていた子ども二人が、交互にこちらの方に走ってきて戻っていく。途中でやたらと大きい人が走ってきたかとおもうと、おそらく二人の父親らしく、同期のツボに入る。フリスビーを飛ばしあう二人組がいて、片方のコントロールの良さに感動していると、もう片方がどんどん公園の奥へと離れていく。そのうち、数百メートル単位の距離でフリスビーを飛ばすようになり、同期のツボに入る。ゆっくりと暗くなってきて、あたりをコウモリが飛び交うようになったので、公園を出ることにする。同期がトイレに行っているあいだに、残ったハイボールを飲む。足もとでビニール袋がガサガサと音を立てている。生ゴミといっしょに閉じ込められたネズミが、袋を食いやぶって顔を出していた。袋を足で動かすと、ネズミはすこしだけ身をよじり、空を見つめたままガサガサと足を動かすだけで、逃げずにいる。帰るまでに雨がふらなくて、よかったとおもう。
    「日記」を完成させて、後輩(添削担当)に送る。前回の「日記」を掲載した日から今日までのあいだで、カレーを食べた日に起きた出来事について書いたもの。後輩から、作中に登場する「みんなのミヤシタパーク2」(注:9月13日にミヤシタパーク前で行われたデモについての詩)内の引用部分に関する確認と、それとはべつの箇所で、プライバシー保護の観点からいくつかの指摘をもらう。数日にわたって書いたので、題名を「9月22日(火)へ」に変えて、松田さんに送る。酒を飲んだせいで眠くなり、一時間ほど寝る。しばらくして、松田さんから原稿の再考について返信が来る。
    ・「日記」は《昨日でも明日でもない、今日の空気の記録》を主題として参加を呼びかけた企画であり、それについてはこだわりたい
    ・数日にわたって書くのも感覚的に理解できるが、記述の時間の幅があると、他の担当者と重複する部分が出てくる
    ・(注:数日にわたって書いてしまうと?)全体がばらばらになっていく感じがあるので危うい
    ・今回の「日記」が「前回の日記の空気」をそのまま引き継いで書いていて、《今日の空気》とはちがう力点が置かれている
    ・そういうところがタイトルの表記にも出ているとおもう
    まとめは作者の判断なので、誤解がある可能性は否定できないものの、以上の理由から原稿を再考してほしい、といわれる。他にも同様の依頼をして、再考を許諾してくれた人がいるらしい。素材を増やすために、できる限り毎日カレーを食べていたことを後悔する。
    後輩(添削担当)にその旨を連絡すると、笑いながら電話がかかってくる。
    ――(後輩)あ~、そんなのあるんだね。よかったじゃないですか! 検閲を受けたって書けますよ。
    ――(作者)怒られるかな。
    ――だめだったら欠番になるだけなんじゃないですか? やりにくい詩人だとは、確実におもわれるでしょうね。
    ――え~、嫌なんだけど。
    ――やりやすい詩人になりたいなら書くのやめたら? だいたい、日付割り振られてるのにカレー食った日のこと何日も書いて、おかしいとおもわないのがおかしいとおもいます。
    べつのところから、ひと月寝かせていた原稿の催促が来て、対応する。
    ――(後輩)今回の「日記」についての話は、日にちの問題もそうですけど、「《今日の空気》が入ってない」と暗にいわれてしまったところがいいですね。
    ――(作者)《今日の空気》って、もうすこし日にち的な幅があるとおもってたんだよね……。
    ――べつに日数の問題をいわれてるわけじゃなくない? 《今日の空気》が強く感じられていれば、もしかしたら問題なく載ったのかもしれない、とかね。ちょっと話題ズレますけど、情動が政治的判断と密接に関わってくる感じが、かなり興味深いとおもいました。日記っていう表現形式のあり方も含めた話で、テキストが真偽の区別を破棄した次元で成立し、人間の情動を駆動させる装置として用いられるという事態について考えさせられましたね。これは政治的状況に向けて語られるタイプの議論ですが、けっこう抒情詩の問題でもあるとおもうんですよ。表現形式としての日記から、詩の話にもつなげられる気がしています。
    今年はたぶん類を観ないほどたくさんの日記が書かれた年です。それはコロナの流行がなかったら起きなかったことなので、一平さんが前に書いていたことですけど、コロナとの「共同制作」なんですよね。いろんな書き手による日記がいろんな媒体で発表されましたが、そこでは基本的に「その日に起きた出来事」が連続して書かれてあって、実際にかなり事実らしく読めるものが多い。でも、読み手はテキスト内部の情報に対する真偽の判断以上に、その「事実らしきもの」をとおして語られるものに注目してしまう。そのうちのひとつとして、「今・ここ」みたいな特定の場所と時間を伴った記述がもたらす、同期性を伴った抒情的な知覚が挙げられるとおもいます。つまり、《今日の空気》ですね。とはいえ、これは当たり前の話で、もともと日記は書き手自身のために書かれるものとしてあって、そこで日記は何ごとかを忘れないために、もしくは思い出すために書かれます。言い換えると、日記を書くことはそれを読んで思い出す過程、想起という行為が強く関わってくる。事実がそこに書かれてあることは必ずしも必要ではなくて、感情的な言葉だけがひたすら書かれていてもいい。そこには日付とのセットが重要な意味を持つのはいうまでもありませんが、想起が日記という表現形式の成立において不可欠な要素であるのなら、日記は記述から喚起される行為や感情の方をむしろ主題としている。
    ところで、この日記から完全に事実らしさへの装いというか、真偽の区別の判断を働かせる要素が完全に取り除かれたとき、その表現はおそらく抒情詩に近いものなのではないかとおもっています。だからこそ、最初に話した「真偽の区別を破棄した次元で成立し、人間の情動を駆動させる装置」としてのテキスト、について考えたくなったわけです。日記をめぐる話から、なにかを引き出せる気がしましたね。なんというかここしばらくのあいだ、みんなで思いおもいに詩を書いて興奮してるんだな~って。
    ――(作者)後半に関していうと、オレが前に飲み会で話したことと重なってる気もするな~。今はまだ、うまく断言できないとおもう。
    ――(和合亮一)いいのか 無かったことにされちまうぞ※
    ――(作者)正直、デモの詩は載せたかったな……。
    ――(後輩)どこかべつのところに載せたらいいんじゃないですか?
    「日記」用に書いたテキストを削除して、深夜まで今日の出来事を書き起こしながら、ZOOMの打ち合わせに参加する。半分酔っぱらっていたので、余計な発言をしないようにミュートをしながら議論を聞く。後半で発言できそうな話題が出てきたので発言すると、そもそも参加していたことに対しておどろかれる。
    ※書き直し前の「日記」で引用していた和合亮一(@wago2828)のツイート。
    (https://twitter.com/wago2828/status/1306948885495963649、2020年9月22日閲覧)

    ※カレーを食べるのにハマり、一日中カレーのことしか考えられなくなる。

    東京・高田馬場
  • 10月14日(水)

    目が覚めて、両膝の痛みで立ち上がれなくなっているのに気がつく。昨日の帰り道に駅の階段から落ちた。そのときは内出血を起こした肘の方が気がかりだったのに。風呂に入って、出社までのあいだに原稿を書き進める。後輩(添削担当)から聞いた「日記」についての話は、そこからさまざまな問いを引き出すことができる。文芸誌やWeb上での「コロナ禍」を題材とした日記の氾濫は、SNSやブログといった日記的な媒体がすでに存在していたにも関わらず、あらためて日々の出来事や感想を書き記す技術が「日記」であることを強調するかたちで書かれ、発表されたという事態を意味する。ひとまずは、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行に伴う社会状況および生活環境の変化によって、私たちの日常が非日常へと変わり、日常を書くことそのものが価値のあるものとして表面化したという事実は、とりたてていうまでもない。

    日常が非日常化することで日記の需要が高まる傾向は、日本近代史では第二次世界大戦期に代表的な先例があり、兵士による従軍日記や、銃後の人々によって書かれた日記が挙げられる。西川祐子『日記をつづるということ 国民教育とその逸脱』(2009年、吉川弘文館)によれば、戦時期の日記は《戦争という非日常な事件が大きく反映し、退屈なはずの日記文の内容が生死とかかわってドラマチックになり、それを記述する文体も切迫した調子となりゆく傾向》があると述べられている(180頁)。この指摘は感覚的に理解しやすい。戦時中はしばしば兵士に対して日記を書くことが奨励されたし、学校教育でも日記はさかんに取り入れられたらしい。当然ながら、どちらも上官や教師という外部の視点の介入があり、さらには日記への介入をとおして書き手(兵士や児童)の内面を監視し、場合によっては「国民」としてのあるべき態度を強制され、それにふさわしくない感情や行為が書かれれば添削が入った(規範的意識を書記行為を通じて書き手に定着させようとする試みには、言文一致運動における「標準語」開発に共通する単一的な国民精神への志向もあるだろう)。そして、このような規範的意識の内面化は、しばしば書き手自身が主体的に推し進めているかのように仕向けられた。いわば、書き手の側も「書かれるべきこと」がなんであるのかを理解し、それに向けて自らの内面を律していくこと、みずから望んでそのような内面を獲得していく方向性がありえた。西川の著作に戻る。《戦時下においては、従順な国民を育成するだけでは不足なのであって、非常時体制にあって行動する主体として積極的に戦争参加する国民、つまり国家の戦争において自らすすんで死ぬ国民が必要とされる。近代の日記が行う主体形成教育に国家が着目しないはずはない》(213頁)。

    戦争末期には紙不足により日記帳の流通が停止する(厳密にいえば、まったく売られなくなったわけでもないらしい)が、敗戦から1年を経た1946年には、博文館の当用日記が早々に発行されたという。当時の記録によればその発行部数は20万部にのぼり、紙の配給が限られていた状況を踏まえると、戦後も日記を書くことは国家的に強く奨励されており、国民もそれを求めていたと見ることができる。戦後の学校教育でも、一貫して日記の制作と指導は行われた。そこでは生徒の自主性を重んじつつも、やはり教師による介入と添削は絶えず存在し、「教育的に」ふさわしくない表現があれば、程度の差こそあれ、書き直しを要請された。それについて、西川は川村湊の『作文のなかの大日本帝国』(岩波書店、2000年)を引用しながら次のように総括する。《たとえば西洋語のサブジェクトが「主体」であると同時に「臣下」の意味をもち、呼びかけに応えて自発的参加をする主体であることが明らかになった現在、国民の主体的参加がなければありえない近代の総力戦において能動的な国民となり、すすんで死地に赴く兵隊となる教育がなされたのと同じ方法が、戦後再編成のための国民教育に用いられた》(233頁)。

    規範の内面化が自らの意志に基づくものであることを主体に錯覚させるための、教育装置としての日記。それは、他国の事例ではあまり見られない、日本独自のものであるだろう。当然ながら、言語が主体の思考を伝達させる透明なメディウムであるはずはないし、書かれる上で生じる虚構化の過程を日記が免れることもありえない。しかし、主体に対してみずからの内面を言語化するよう強制するにあたって、日記はそこで書かれた内面が「虚構ではない(かもしれない)こと」の線をギリギリのところで主体に迫る。加えて、それは日記が「虚構ではない(かもしれない)こと」をみずからの表現の条件に据えている点で、幾重にもねじれてしまっている。おそらくそこに、日記が詩歌や小説といった「正統な文学ジャンル」と同等の位置を持たないこと、あるいは「正統な文学ジャンル」として定義化しようとする試みを決定的に不毛なものにさせる要因があるだろう。

    「コロナ禍」において日記の制作を国家が推奨したり、そのようにして書かれた日記に対して直接的に権力が介入したという事実は、筆者の知る限りでは確認できていない(教育現場において「コロナ禍」におけるみずからの生活を日記で書くように課された事例はあったのかもしれない)。しかし、「コロナ禍」以前の日常とそれ以後の日常との連続性に(「戦前ないしは戦中と戦後」のように)断絶を加え、後者を「新しい生活様式」として編成しつつ、新たなる様式への適応を国民に要請する日本政府の身ぶりが日記の氾濫に拍車をかけた側面は、否定できないようにおもう。そしてまた、日常なるものの断絶に向き合い、変化を被った生活にみずから慣れ親しんでいくまでの過程を記録することが意義あるものとされるにあたって、日記という表現ジャンルが用いられたということは、書かれたものが文学的なジャンルとして位置づけられることをあらかじめ回避した上で、だれに強制されたわけでもなく書くことを通じてみずからの認識を教育し、それを他者の視点に向けて開いていくことへの欲望が、すくなからず書き手の側には存在していたのではないかとおもう。

    仕事がおわって、『灰と家』の在庫を渡しに山本の家に行く。スーパーで夕食の材料を買うとき、山本に小銭を出せないか聞くと、――きれいな小石しかない、といわれて、財布に入った乳白色のきれいな小石を見せられる。鍋を食べながら、100万回再生された猫の動画や山本がハマっているYouTuberの動画を観る。このあいだまでKAATで上演されていた地点の演劇『君の庭』についてのレビューで、題名が『俺の庭』と書かれている記事を山本が見つける。日記を書き終えて、後輩(添削担当)に送る。しばらくして後輩から返信が来る。

    ――日記の話については今後応答しようとおもいますが、とりあえず個人的には、冒頭がけっこう気になるな~、って感じかな。もうちょっとやんわりした表現というか、たとえば駅の階段で転んでケガをしたとか、そういうのでいいかもしれません!

    ※同時期、「日記」についてのテキストを書いていた。

    東京・早稲田
  • 11月5日(木)

    機械の動きを見て笑っている夢を見る。一週間ぶりの在宅勤務。部署の先輩が異動になる。山本・hさん・なまけが三野(新)さんと沖縄に行って、戻ってくる。滞在中に撮られた1,200枚ほどの写真が共有される。以下、山本撮影。久高島で撮られたらしい海や岩、クバ(ビロウ)の写真。海岸で妙なポーズを取っているhさんの写真。海面を撮る三野さんの写真。でんぐり返しの姿勢で死んでいる(?)蟹の写真。岩の写真。岩を撮る三野さんの写真をいろんな角度から撮った写真。ヤドカリの写真。ヤドカリを手に乗せている写真。看板の写真。看板の文字を読む。《ハビャーン 琉球開闢の祖アマミキヨが降誕、あるいは上陸した聖地とされる。漁労の神役であるソールイガナシの神は、ハビャーンの森にいるタティマンヌワカダラーだといわれ、二頭の白馬として語られることが多い。》《ビロウの社 カベールの林の中には、ビロウ・クロツグやアダンなどの植物が生い茂り、様々な動物たちの住みかにもなっています》《久高島フボー(クボー)御嶽 久高島の中央西側にあり、琉球開びゃく神話にも登場する七御嶽のひとつです。昔から霊威(セジ)高い御嶽として、琉球王府からも大切にされてきました》《ご協力ください 久高島フボー御嶽は、神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた聖域です。神々への感謝の心と人々の安寧を願う場所であるため、何人(ルビ:なんぴと)たりとも出入りを禁じます。》枯れて色の抜けたクバが道の奥でうなだれている写真。ヤドカリの写真。ハイビスカスの写真。重なり合う木の葉の写真。撮った写真を見ている三野さんの写真。自転車に乗る三野さんとhさんの写真。蜘蛛の巣の写真。蜘蛛の巣に触れる手の写真。牛の写真。
    《外間(ルビ:ふかま)・ウプグイ
    正月をはじめ主要な年中行事における祭場である。
    一九六〇年代のある時期までは〈外間〉という家とその前庭部分(タムトゥ座)で構成される祭場であった。外間根神(ルビ:ふかまにーがん)や外間根人(ルビ:ふかまにーっちゅ)という神役が出るべき家系とされ、外間家の一番座(ルビ:いちばんざ)の祭壇で祀られていた香炉(ルビ:こうろ)が村落祭祀の対象となっていた。一九六〇年代に、一番座の祭壇は外間家とは別棟の拝殿(ルビ:はいでん)(現在の建物)として祀られる形に変化した。建物の中央部には、首里城正殿二階の空間の大庫理(ウフグイ)・斉場御嶽の祭場の大庫理(ウフグーイ)と同名の「ウプグイ(大庫理)」がある。
    また、向かって左側の建物(アサギ)は王家との関係を示す言い伝えが残されている。『遺老説伝』(ルビ:いろうせつでん)(十八世紀初頭に編纂)には、村落の始祖であるシラタルー夫妻の二女が王の妻となり懐妊するが、放屁したことをあざ笑われて島に戻り、ここで金松兼を出産したという話が収められている。金松兼(ルビ:かにまちがに)は、イシキ浜で得た「黄金の瓜子(ルビ:うりざね)」を持って首里に行き、王の世子として認められたという。》
    石垣の写真。屋根の上のシーサーの写真。地面に落ちてねじれたガムテープの上に、たくさんの蟻が貼りついている写真。畑で燃えている火の写真。堤防の写真。《港内徐行》海辺の写真。フェリーに乗っている写真。洞窟? の写真。森の写真。《聖地 世界遺産 斎場御嶽 入口》《知念岬記念公園入口》雲の写真。石塔の写真。《農産物直売店》食堂の写真。電話をしながら横断歩道を渡る人の写真。モスバーガーの看板の写真。スマートフォンを操作している三野さんの写真。空港の写真。飛行機の写真。機内の写真。飛行機から見た夜景の写真。
    工事現場の前で警備員が列を組んでフェンス前に並んでいるのを背にして、椅子に座りながらプラカードを持っている人たちの写真。手前にはおそらく機動隊員。旗や看板の写真。一部の文字はフレームに収まらずに途切れていたり、斜めに傾いていたりしていて読めない。画質のため小さい文字がほとんど読めない。拡大してかろうじて読める文字もあるが、推測の域を出ない。《CAMP SCHWAB》《辺野古新基地NO》《〔反射のため、読めない〕青い海》《美ら海を 基地に〔機動隊員の背中で遮られ、読めない〕たま〔同上〕(別角度からの写真では「し」を確認。「美ら海を 基地にしてたまるか」、か)》《新基地 ●●(「民意」、か)はNO》
    ジープがこちらに向かって走ってくる写真。《いきもの おびやかす 基地は いらない 工事を止メェて 早くやメェ》《●●●●●(「沖縄県民よ」、か) 今こそたちあがろう》《ヘリ基地反対協》《予算をコロナ対策へ! 違法工事を中●●(「止!」、か)》《辺野古新基地建設反対 普天間基地の固定化を許すな!》《テント 等設置 禁止》《これまで再三にわたる指導にもかかわらず、依然として違法状態が解消されていないため、これらの物件を、直ちに撤去し、道路を現状に回復してください。》《張り紙、看板等の設置を禁じます。》《前方歩行者通行あり》《ここは、歩行者道路です。立ち止まらず速やかに 通行して下さい。》《取付物等があった場合は、 沖縄防衛局が撤去・保管します》《物を取り付けたりしないで下さい》《辺野古新基地建設NO! 違法工事はただちに中止せよ》《〔フレーム外のため、読めない〕海を守る〔同上〕への責任(冒頭は不明だが「海を守るのは 未来への責任」、か) 辺野古新基地NO!》《US MARINE CORPS FACILITY 米国海兵隊施設 BEYOND THIS YELLOW LINE IS US FACILITY AND AREA UNAUTHORIZED ENTRY IS PROHIBITED AND PUNISHABLE BY JAPANESE LAW この黄線の内側からは提供施設内です。 許可なく立ち入った者は日本国の法令により処罰される。》稲? ススキ? の穂の写真。花壇の写真。《手を触れないでください。お花を大切に!》
    バラックのようなものが並んでいる写真。びっしりと並ぶ警備員の写真。《完成不可能な〔旗がねじれていて、以下読めない〕》《沖退教〔車両に遮られ、以下読めない〕》《島ぐるみ会議宜野〔同上〕》《新基地断念まで 座り込み抗議 不屈 2308日》《民意無〔別看板に遮られ、読めない〕やめろ!》《WARNING UNITED STATES AREA(FACILITY) UNITED STATES FORCES, JAPAN UNAUTHORIZED ENTRY PROHIBITED AND PUNISHABLE BY JAPANESE LAW 警告 米国区域(施設)・在日米軍 許可無き立ち入り禁止 違反者は日本国法律により罰せられる》《WELCOME 辺野古社交街》
    市街地の写真。黒いビニール袋でつくられた土嚢の並んでいる写真。古いオートバイの写真。《ホステス採用 泡〔フレーム外のため、以下読めない〕》と書かれた看板の横で、まぶしそうな顔をするhさんの写真。《●●●●(塗装が退色していて、読めない。「CLUB」、か)CHAMPION》《NEW OKINAWA》《スナック ハワイ》《辺野古コミュニティーセンター》アメリカの国旗が描かれた廃墟? の横を歩くなまけの写真。赤く縁どられた葉っぱの写真。《(アナガー)マツンギャミヤーガー》《デンデン墓》砂浜の写真。ハマヒルガオ? の写真。フェンスの写真。《警告 このフェンス等に以下の行為を行うことは禁止されており、日本国の法令による処罰の対象となりうる。 ー物を取り付けたり貼り付ける行為 ー汚す行為、破損する行為、取り除く行為 違反行為は日本国警察に通報する》フェンス越しに向こう側の写真を撮ろうとするhさんの写真。集まった(集められた?)貝殻の写真。それを撮ろうとするカメラの写真。《ミーバカ》《駐車禁止 関係者以外車両進入禁止》《新基地建設阻止! 闘争開始より8年(2639日)の命を守る会の闘い と テント村 座り込み 6039日》《コロナウイルス感染拡大防止のため平日午前中のみ監視行動をしています》《勝つ方法は あきらめないこと》《民意は新基地建設NO》広々とした東屋? の真ん中に、事務椅子が二つ並んでいる写真。《戦死者御芳名〔以下、列挙される人名は読めない〕》《平和之塔》街並みを背景に、高台から写真を撮っている三野さんの写真。再建途中の首里城の写真。瓦礫の写真。《首里城正殿は、国王が様々な祭祀や政治を行った場で、古い記憶などによると創建から沖縄戦までに4回消失したとされています。》役人装束を着たフェイスシールドの男が御開門(うけーじょー )の儀式をしている写真。ライブ中継のスクリーンショット。《あとから来る君たちへ》《― 平和宣言 ― 時代の変化を見極める英知 この国の誇りを守りぬく勇気 そして青年として諦めない情熱 我々は理想とする真の日本建国に向けて 永遠に平和を創造し続けることを誓う》波上宮の写真。明治天皇像の台座の写真。フェリー? に乗っている写真。石垣の写真。緑色・ピンク色の砂粒の写真。蜘蛛と蝶の写真。自転車に乗る三野さんの写真。最初に見ていた写真へとつながっている気配を感じる。
    空港の写真(沖縄に到着?)。自動車の写真。この自動車がくり返し出てくるので、三野さんが借りたレンタカーだとおもわれる。人気のない売店の写真。アーチ状のモニュメントの写真。《全学徒隊の碑》白い塔の写真。《旧ソ連ハバロフスク 2565.02Km ↑》砂浜の写真。《平和の礎(ルビ:いしじ)〔下部に記述が確認されるが、小さすぎるため読めない〕》人名が羅列された石碑の写真。ムカデの写真。ガジュマルの写真。二年前に撮影された(作者)の写真のスクリーンショット。宿の写真。スーパーで買ったらしい総菜の写真。惣菜を囲んでみんなで部屋の床? に座っている写真。オリオンビールの写真。夜の写真。夜の駐車場にいる猫の写真。クバを背景に妙なポーズ(クバを真似ている?)を取っているなまけとhさんの写真。石碑と折り鶴の写真(石碑の文字は読めない。「嘉數の塔」、か)。《トーチカ トーチカとは、ロシア語で「点」や「拠点」を意味する軍事用語で、防御(ルビ:ぼうぎょ)の中心となる陣地(ルビ:じんち)のことです。》《奉献》《再び戦争の悲しみが繰りかえされることのないようまた併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますますかためられるようこの塔に切なる願いをよせるものである》《青丘之塔》《●●●● ●●●●●●●(フラッシュを受けて、読めない。「観光名所 宜野湾嘉数高台」、か)》地球儀の皮をところどころ剥いたような建物の写真。《宜野湾市住居表示案内図》《米海兵隊基地 普天間飛行場》夜景の写真。朝の写真。《●(「事」、か)故 多発 前の車 確認》《●●(「西普」、か)天間 ●(「住」、か)宅地●(「土」、か)地区画整理事●(「業」、か) ●●●(車両に遮られ、読めない。別角度から撮られた写真で確認、「施行者」、か):●(別角度から撮られた写真で確認、「宜」、か)野湾市》切り崩された丘の写真。朝日に輝く雲の写真。《沖縄リージョンクラブ レストラン》日本とアメリカの国旗が丘の上に掲揚されている写真。
    シチメンチョウ? の写真。《久志大川田市場》《久志岳ゴルフガーデン》《NO! ENTRY》《NO NEW BASE》戦隊ヒーローを模した写真。《●(支持体が損壊していて、読めない。「私」、か)達は古里を守り、子供達を守る 夢は必ず叶う 命ど宝 辺野古大浦湾を守り抜く》《辺●(「野」、か)古新基地建設を中止し、 予●(「算」、か)を新型コロナ対策に回せ! 希●(「望」、か)の海、大浦湾に杭は打たせない!》ピンク色に塗られた柱が目立つ、野球場のベンチのような写真(キャンプ・シュワブ近く? のバラック? の写真とおもわれる)。《普天間5年以内 運用停止嘘 日目》座り込みをする人たちが機動隊員と警備員に囲まれている写真。タンクローリーが並んでいる写真。警備員に向かって指をさしている人の写真。覆面姿でビデオカメラをかまえる機動隊員の写真。
    以下、hさん撮影。港の写真。《AMERICAN VILLAGE》《RAT TRAP🐁 DO NOT TOUCH さわるな》《FORCE SUPPORT SQUADRON》《Please Scan Your ID for COVID-19 CONTACT TRACING》謎の絵の写真。資料館の展示? の写真。《15世紀頃 越来グスクの時代を巡る》瀬戸物屋の写真。《セトモノ店》資料館の展示? の写真。《黒人〔草に遮られ、読めない〕して〔同上〕は〔同上〕栄》シャッターが下りた店の写真。《部屋貸 福祉課 1日¥1,000より》《お願い この看板を動かしたら 元の位置に戻して下さい》アーケード街の写真。《〔青いビニールテープが貼られていて、読めない。「AMERICAN PIZZAMAN」、か〕》ボールプール用のボールのようなものがビニール袋に入れられて捨てられている写真。《Can’t Park here. a fine $50 or ¥5000》なまけが木々の奥からこちらに向かってくる写真。《第一外科壕跡》《母校にゆかりのあ●(「る」、か)相愛樹●(「を」、か) 思い出の樹としてこの地に植えまし●(「た」、か)》座り込み用の椅子が畳まれて置かれている写真。《ご協力を! イスは各自で お願いします》カバンに収納されたプラカードの写真。警備員が並んでいる写真。《CAMP SCHWAB》《ホステス採用 泡盛》廃墟? の写真。荒らされた室内の写真。フェンスにかけられた網の写真。《NO NEW BASE》妙なポーズを取るなまけを撮る三野さんの写真。木を背景にしたhさんの写真。蝶の写真。
    《大里家(ルビ:うぷらとぅ)
    久高島の旧家の一つで、母屋の東側に位置する神屋が拝みの対象となっている。大里家にまつわる言い伝えが二つある。
    ●イシキ浜に流れ着いた五穀の種子の入った壺を拾い上げた人物については様々な説があるが、その一つに、大里家の始祖であるアカッツミー夫婦がいる。大里家は「五穀世ウプラトゥ」とも呼ばれ、アカッツミーは五穀豊穣の神として祀られている。
    ●大里家の娘であったクンチャサヌルが、第一尚氏最後の王の尚徳王が久高島にやってきた時に恋仲になった、という言い伝えがある。それによれば、尚徳王が久高島滞在中に首里でクーデターが発生し、急きょ首里に向かったものの、時すでに遅しと悟って途中の海に身を投じた。大里家には戦前まで「尚徳王の簪(ルビ:かんざし)があったと伝えられている。》
    《御殿庭(ルビ:うどぅんみゃー)十二年ごとの午年に行われてきたイザイホーや、村落の主要な年中祭祀の祭場である。広場の一角には、中央に神(ルビ:●●(小さすぎるため、読めない。「はん」、か))アシャギが建ち、神アシャギに向かって右側には村落の始祖の一人とされる百名シラタルーを祀った神屋(シラタルー拝殿)、左側には捕獲したエラブウナギ(イラブー)を燻製にする焙乾屋(ルビ:ばいかんやー)がある。
    イザイホーとは、久高島で生まれた三十歳(丑(ルビ:うし)年)から四十一歳(寅年)までの女性が、祖先のセジ(霊力)を受け、島の祭祀集団に入る儀式である。イザイホーの時には、神アシャギはビロウ(クバ)で壁が作られ、入口には現世と来世をつなぐ象徴とされる“七つ橋”がかけられ、神アシャギ後方のイザイ山には女性たちが三晩籠(ルビ:こも)る“七つ屋”が建てられた。》
    自転車に乗る三野さんと山本の写真。シーサーの写真。《えいこはなばたけ》岩に開いた穴の写真。年輪のような模様が浮かぶ岩の写真。錆びた櫛の写真。岩の上に乗っている白い粉の写真。クバを撮る三野さんの写真。石造りの祭壇? の写真。ガジュマル? の写真。《斎場御嶽への参道》
    山本、hさん撮影のフィルム写真が60枚ほど共有されるが、力尽きる。なまけと三野さんの写真は共有待ち(?)。「日記」制作の合間に「三野新・いぬのせなか座 写真/演劇プロジェクト」の座談会の文字起こし修正。修正完了分を笠井さんが公開する。今月末に発表予定の原稿の確認。夕食。年明け締め切りの原稿用に取り寄せた資料を読む。

    ※いぬのせなか座と三野さんのプロジェクトで沖縄渡航が行われたものの、休みが取れなかったので行けなかった。

    東京・高田馬場
  • 11月27日(金)

    久しぶりに終電近くまで残業する。会社から飲食店の利用を控えるよう通達があったので、コンビニでビールと弁当を買う。起床後、家の端末で業務を再開する。昨日の定時後に、月曜の午前中までに報告するよう指示された資料の目途が立たない。別で提出する予定だった資料と合わせて、土日のあいだに間に合うかどうか。休日出勤をしている上司に連絡を取り、方向性の調整を夕方までにできればと伝える。昼前に松田さんから「日記」の確認ができていないと連絡が入り、担当日を一日まちがえていたことを知る。後輩(添削担当)に「日記」用のメモを送る。しばらくして、後輩(添削担当)から連絡が入る。
    ――(後輩)どういうこと?
    ――(作者)元のテキストは用意したから、それを組み合わせて「日記」にできない? 今度お礼するので……。
    ――前にダメだっていわれたやつじゃん。
    ――テキストは「昨日の日記」で大丈夫なものしかないよ! 「今日の日記」だったらダメだとおもうけど。
    ――あ~、なんとなくわかりました。テキストは一平さんのだけ? 前に書いたやつは?
    ――べつに全部採用しなくてもいいし、すこしぐらいなら(後輩)も書いていいよ。
    出勤途中、ひさしぶりに電車の座席に座ることができたので、会社の最寄り駅まで本を読む。頭の近くを飛んでいた虫がマスクの内側に入り込んできて、口のまわりで暴れはじめる。急いでマスクを外して虫を追い出すと、電車のなかの空気を感じる。昨日からずっと鳴りっぱなしだった大学の同期グループLINEを確認。やるかやらないかで話し合っていた忘年会が、いらなくなった服を持ち寄る会に変わる。持っていけそうな服のメモを送る。
    ・Tシャツ3枚
    ・ニット1枚
    ・カバーオール1着
    ・コーチジャケット1着
    ・パンツ2本
    ・靴下(未使用)1足
    ――(大学の同期)オレが持っていくやつだとアクネのパンツ、グラフペーパーのキャップ、マルニのニットなどがある。
    ――(なまけ)キャップほしい。
    ――(作者)ニット着てみたい。
    ラーメン屋の前に置かれていたゴミ袋の中身が散乱していて、そこに大量のハトが群がっている。散らばっているのはキムチ。ハトが勢いよくついばむと、キムチの切れ端がポーン、ポーンと飛び上がる。あたりでいくつものキムチがはじけているのをスーツ姿の男が避けながら通り過ぎていく。横切るときにマスク越しでもキムチの匂いがわかる。曲がり角の向こうから、あたらしいハトが歩いてやってくる。
    午前中、ECサイト各社がブラックフライデーを開催しているのに気がつく。買おうかどうか悩んでいた服が半額以下になっているものの、採寸がよくわからなかったのでブランド名や品番で検索し、着用イメージを収集する。海外のサイトを回っていたせいなのか、Googleの使用言語が急に日本語から英語に切り替わる。昼食(たまねぎラーメン、納豆巻き、豆乳)。今年の春から、昼食は必ずたまねぎラーメンを食べている。決められたお湯の分量だと味が濃いので、お湯は多めに入れる。規定量を示す線を越えてから5秒余計に注ぐ(分量は目視ではなく、時間によって知覚される)。麺がふやけたあとで粉スープと液体スープを入れる。液体スープを先に入れると粉スープは溶け残りやすい。溶け残ってペースト状になった粉スープと具の肉は見た目が似ていて区別がつけにくい。粉スープを溶かしてから液体スープを入れる。食べているうちに粉が沈殿するから定期的に底をかき回す。何ヶ月もくり返し食べ続けて把握した手続き。その味はどこかで愛着のようなものとすり替わっている。一口ごとにこれまで関わってきたたまねぎラーメンとの時間が折り畳まれていて、私はそこで私の身体を通過した時間、でなければ私が身に着けた技術そのものを味わっている……けれど、何度もくり返し失敗を経験するなかで、失敗そのものの方に味覚が慣れていったとしたら? 他部署の先輩が、――またお前たまねぎラーメンかよ、という。矢口高雄の話が出る。《釣りキチ三平》と検索すると英語で書かれたものが優先されて、《Fisherman Sanpei》の記事が候補に挙がる。それを見ていたべつの先輩が、――「釣りキチ」は訳されへんもんなあ、という。話題はしずかに、『スーパーフィッシング グランダー武蔵』の方へと移行する。
    午後になって、他部署の人が仕事をやめて地元に帰ることを知る。家族の体調がよくないらしく、まわりの人の口ぶりから精神的なものが原因であることを感じる。最近はその人も調子を崩してしまっていたという。このあいだ自分もとても暗い気持ちになって、一日中家から出ないときがあったことを思い出す。夕方になってコンビニに向かった。途中で風が強くなってきて、大学時代のサークルの先輩に電話をかけた。先輩は『水曜どうでしょう』を観ていたらしく、いまさらパイ生地の話を持ち出されて逆に面白かった。最近すごくしんどくて涙が止まらない、コンビニに行くのはいいけど何を買っていいかわからないから、何を買ってどうすればいいか聞くと、酒飲んだら? といわれた。酒を飲んだらよけいに気持ちが沈んでしまう……それでも、赤星が売っていたから2本カゴに入れて(前に友達がよく飲んでいるといって飲んでみたらとても美味しかった)、チャーシューとメンマと味付けタマゴが入ったよくあるおつまみセット、アオサの味噌汁、コンビニ限定の棒アイスを買った。レジに並ぶときに電話を切った。電話でアドバイスを受けながら選んでいたせいか、レジの人にお箸は2膳でいいか聞かれたので、うなずいた。見栄を張ってしまった! ひとりで笑いをこらえながら先輩に電話をかけ直す。先輩は、そういうふうにプログラムされてるだけなんじゃないの? と笑った。赤星1本だけだったら聞かれなかったかもよ。
    山本から、――●●さんから、一平さんの文章を引用した論文を書いた、その抜き刷りを送りたいから住所を教えてほしいとさ、と連絡が入る。住所を伝える。合間を見て、「三野新・いぬのせなか座 写真/演劇プロジェクト」座談会の文字起こし修正と、今後の撮影に備えて取り上げる話題を考える。
    《次の座談会に向けた「戯曲」の草稿。
    鈴木 今年の春から『スピナー』というwebマガジンで「空気の日記」というプロジェクトに参加しています。新型コロナウイルス感染症に引っかけて、「今日の空気」の描写を試みるという目的で、詩人が輪番制で割り当てられた日の日記を書くというものなのですが、このあいだそこで三野さんといぬのせなか座メンバーが沖縄に行った際に撮影した写真をもとに「日記」を書きました。といっても、写真をもとに考えたことを書いたり詩にしたりしたのではなく、写真に収められた被写体や看板の文字をひたすら列挙していく構成を取りました。それを書きながら、三野さんが今回のプロジェクトにあたって「イメージの距離」というものを詩において(また、制作者みずからにおいて)どのように「上演」できるか、それに向けた試みについて考えさせられました(一部を読み上げる)。具体的な話をすると、ぼくは沖縄に行かなかったので、写真のなかの被写体や風景とぼくのあいだにそもそも距離があります。そして、ぼくはなぜこれらの写真が撮られたのかについての根本的な動機を撮影者と共有していません。そのうえで、写真からあらためて言語表現を立ち上げたこと。これらのことは3つの距離を写真群と制作者=ぼくのあいだにつくりました。》
    《まずは端的に写真が持つ視覚的なイメージと、それを記述しようとする行為者とのあいだの距離です。写真はあらかじめ記述されることを前提として撮られていません。看板などが代表的な例ですが、ところどころで途切れていたり遮蔽物があったりして判然とせず、細かすぎて読めない字などもある。看板の文字をひたすら文字にする方法は「みんなのミヤシタパーク」という作品でも実践したのですが、そこで看板と結んでいた関係とは異なる距離がここでは設定されています。後日談的に、山本からは「みんなのミヤシタパーク」を書いた鈴木への配慮があり、看板の写真をできる限り撮影したと話されましたが、すでに看板の文字が鈴木によって書き起こされることが撮影者に意識されていたことを念頭に入れても、私ではない他者の撮影行為が介在することで発生するノイズはどうしても避けられない。つまり、この配慮と現象のあいだの歪みはそれを知覚する私の視点を媒介することで生起する「わかりあえなさ」の視覚的なイメージとなっています。》
    《この話から付随的に、というより言い換えとして引き出される次の距離は、撮影された写真に埋め込まれる撮影主体における主観性と、その記述を行おうとする制作者における主観性のあいだの軋みです。写真のほとんどは「なぜそれが撮られたか」を被写体の様子から確認することができましたが、なかにはなぜそれを撮ったのか本当によくわからないものがあります。ここで撮影主体と記述主体のあいだのイメージに対する注目が一致しなくなる。いわば、イメージに埋め込まれるふたつの視点のズレが、そのまま写真そのもののズレとして知覚される。あるいは「日記」を書くにあたって撮影された写真のすべてを記述するのは体力的にも時間的にも不可能であるという判断から、「スルー」した写真がありました。撮るに値したはずのものが、書くには値しないものとして受け取られるわけです。そこには一方的な無関心というより、体力的・時間的な限界として切り捨てざるを得なかったことで、遡行的に「無関心」が形成される点が重要であると感じます。しかし、のちに山本が撮った写真でフレーム外へと途切れていた写真がhによってはうまく収められている、つまり複数の撮影主体のあいだの撮影意図の差異が強調される組み合わせがあって、そこから無視したはずの写真を取り上げることに決める、という事態が発生しました。それぞれの写真はそのつどの契機において撮られ、「途切れた」ということは異なる興味においてそれらの写真が撮られたはずです。にもかかわらず、それらを記述する主体は複数の意図が点在するイメージ群を見て、事後的に書くことの契機を見出していったわけです。》
    《すこし話は脱線しますが、今回撮られた写真と「日記」のあいだにはあんがい構造的な類似性があるというか、構造的な類似をつくっています。沖縄で撮られた写真はくり返し「なにかを撮影する人物」または「なにかを撮影すること」そのものを撮影するような意図が確認できます。この傾向を受けて、「日記」では「写真に収められた事物や文字を書いていること」を過度に強調する記述の方式を取りました。》
    《最後の距離は、「写真を撮ること」と「詩を書くこと」のあいだの距離です(ここまで「日記」という語を用いてきましたが、当のプロジェクトではあくまでも「詩」として書いています)。当たり前の話をしてしまいますが、当該の「日記」を書く上で「写真」という語はほとんど記号を乗せる函数的なものになっていて、写真に収められたイメージについて語るというより、イメージを記述へと輸送するための装置として機能しています。つまり、「それが写真であること」が消去されている。それは「日記」を書くうえで採用したスタイルそれ自体の問題でもあるのですが、たとえば「砂浜の写真」という記述は、それがどのような色合いの砂浜であり、海はどのようにそこで存在し、まわりにどのような岩や植物が存在していたのかを捨象した――端的にいえば「沖縄」や「久高島」の「砂浜」が持っていた具体性(山本はたとえば色彩についての指摘をしていましたが)を、一般的な砂浜のイメージへと類型化している。それは「当事者性」への軽視であるともいえる。しかし、ここから撮ることと書くことのあいだの差異、つまり「写真について語りえること」がいかに当の写真から脱線していくかの問いだけではなく、写真を撮ることと撮られた写真のあいだの距離、または撮られた写真とそのイメージを知覚すること、イメージを使用(再-使用)することのあいだの距離――いわば、行為や流通、事物を媒介することで複数化される表現の問いへと返していけるのではないでしょうか。》
    夕方にトラブルが発生して、定時までに進めようとしていた資料が滞る。定時後、上司から資料作成を指示される。

    ※感染者数が増えたのが原因なのか、この時期、仕事がやたらと忙しくなった。

    東京・飯田橋
  • 12月19日(土)

    なまけがイギリスに移住することになったので、送る会を開く。午前中は原稿。午後になって作者となまけ、同期、後輩の4人で集まって要町へ。整理券をもらう。時間までリサイクルショップに行って服を見る。外に出て散歩していると、大学の後輩と数年ぶりに会う。おなじ店のカレーを食べにきたという。
    カレーを食べて池袋へ。服屋でなまけがマフラー、後輩がダウンジャケットを買う。同期が本屋で本を買う。同期の家に行く。買い出しの途中で古着屋を見つける。なまけがニット、同期がスニーカーを買う。スラックスを買おうか悩んでやめる。タラとマグロと鶏肉を買う。後輩2が合流。鍋。テーブルを拭いたティッシュを捨てる。ゴミ箱を開けようとして、同期に止められる。
    後輩1が帰る。長渕剛が一部のアナキストに注目されているらしい。日本酒。クイズ。マグロの卵黄漬け。同期がギターを弾く。歌をうたう。ジェスチャーゲーム。テーマ「格言」と「映画」がむずかしい。瓶ごと熱燗。古着屋に戻り、スラックスを買う。魚屋の前で猫が地面をなめている。コンビニの前に人だかりができている。同期の家に戻って、着替えをもらう。なまけに「日記」を書いてみないか提案する。なまけがベッドの脇に座って今日の「日記」を書く。帰り際に送ってもらう。添削する。向こうに行ってもたまに書こうと持ちかける。
    退職届を書く。上司に提出する。上司からさらに上のほうに回してもらう。上のほうから退職届ではないと言われたと上司に言われる。退職届と退職願はちがって、退職届は被雇用者から雇用主にたいして一方的に通知されるもので、退職願は被雇用者と雇用主とのあいだでの合意にもとづき被雇用者から雇用主にたいして提出されるもの、ということらしいんだよね、ほんとかよ、っておもうけどね。あと会社の規定上、退職日の一ヶ月前の日付で出さなきゃいけないからそこも修正してもらえると。
    退職願を書く。上司に提出する。上司からさらに上のほうに回してもらう。上のほうから文面を修正してほしいと言われたと上司に言われる。退職願は被雇用者と雇用主とのあいだでの合意にもとづき被雇用者から雇用主にたいして提出されるものなので、被雇用者から雇用主にたいして一方的に通知される退職届ではなく、被雇用者と雇用主とのあいだでの合意にもとづき被雇用者から雇用主にたいして提出される退職願という趣旨にのっとって文面を修正してくれ、ということなので、よろしくお願いします。
    退職願を書き直す。上司に提出する。上司からさらに上のほうに回してもらう。上のほうから応答はないので受理されたとおもう。別のルートで人事から、退職手続きを進めるにあたって確認事項があるとメールが届く。退職手続き書類の送付先、社会保険料と事前支給された通勤費の精算方法、住民税の徴収方法、転職先の有無(転職先がある場合は転職先への入社日)、引越し予定の有無(引越しする場合は転居日と転居先の住所)を聞かれる。退職手続きは書類の授受でおこなうため、書類の準備ができたら送ります。
    メールの返信で確認事項に回答する。回答結果を受けてまたメールが来る。引越しされるとのことなので住所変更の申請をお願いいたします。会社と健康保険組合にたいしては書類の提出、労働組合にたいしてはメールでの連絡となります。提出先及び連絡先は以下です。書類の様式を添付いたします。添付された書類の様式を確認すると、ハンコを押す欄が設けられている。セキュリティ上、添付ファイル付きの社内メールを個人メールアドレス宛てに転送することは許可されていないため、書類の印刷のために出社する必要が出てくる。
    最終出社日も決める必要がある。返却するものは、会社貸与のPC、会社が入っているビルの入館カード、社員証、健康保険証、など。処分するものは、自席の書類や文具類。あと引継ぎ資料の作成。いつまでに引継ぎ資料をつくるかを上司に連絡する。会社以外では、家具や家電の処分。不用品回収の業者に頼むつもりでいる。冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、洗濯機、ベッド、など。どれも10年近く使っていてそろそろ買い替えどきだったというのもあり、処分。掃除機も処分。買ってから2年もたっていないのに吸引力が落ちていて使いものにならない。
    不用品回収の業者に連絡する。いちど下見にうかがうので、そのさいに回収日を決めさせてください。最終出社日と重なる可能性が出てくる。TとSに連絡する。回収の立ち会いをお願いできますか。2人には出国当日に空港まで車で送ってもらう約束もしている。いけるよ。Y(Mさん)が出国するときも車で空港まで送ってもらった(あのとき寝坊して来られなかったHも今回は来てくれるらしい)。いつもとてもありがたいとおもう。まだ確定ではないけどお願いすることになったらお願いします。
    引越しのための荷物を整理する必要もある。本と服。引越し先に持っていくものと持っていかないものを選ぶ。どれも処分できるものではないので、持っていかないものは国内の倉庫を借りる。なんとなく決めているが細かいところで悩むとおもう。書き出してみる。
    ・『エチカ』
    ・『スピノザ『エチカ』講義』・
    『動いている庭』
    ・『2666』
    ・『砂時計』
    ・『死者の軍隊の将軍』
    ・『墓地の書』
    ・パーカー(crepuscule)
    ・ニット(Yves Saint Laurent)
    ・半袖シャツ(AMI Alexandre Mattiussi)
    ・BDUパンツ(STORY mfg)
    ・ロシアントレーナー(REPRODUCTION OF FOUND)
    ・オランダ軍のライナーコート
    このあいだの服の交換会で手に入れたものが記憶に新しい(うれしい)。酔っ払って書けなくなる。メールが来る。社内で立食パーティをしたときのお酒があまりました。ご自由にお持ちください。数は少ないので先着順とさせていただきます。出社する意欲が高まる。
    みんなで酒を飲みながら『激動の昭和史 沖縄決戦』をすこし見る。ガマを見にいったときのことを思い出す。ひめゆりの近くのほう(伊原第一外科壕)。自分がエレベーターや新幹線や高いところが苦手だからということ以上になにかあるとおもう。平和記念公園から見た摩文仁の崖、辺野古ゲート前まで歩いた道の両側をかこんでいるフェンス、嘉手納基地のなかに入れるレストランシーサイド。家に帰ったら続きを見る。ゲップをして昼に食べたカレーをおもいだす。日記を書き終えてぺいちゃん(鈴木一平)に送る。今日も服を買った。

    ※いつか他人の文章で「日記」を書きたいと思っていたので、イギリスに行くなまけに打診した。

    東京都・下北沢
  • 1月10日(日)

    昼まで月曜締め切りの原稿と、三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト「クバへ/クバから」の座談会の手直し。昨日の夜に久しぶりに偏頭痛を起こした。前兆があったので薬を探したものの、見つからなかったので近所の薬局に行った。飲みかけのコーヒーで薬を飲んで、部屋の電気を消す。じっとしていると、会社の先輩から仕事の指示が入る。作業を終えて、原稿も手直しもせずにそのまま寝た。
    洗濯と昼食(富士そば・ビール・日本酒)。洗い終えて、体で乾かす。高校の同期から凧あげに誘われて、三鷹へ。三鷹SCOOLのビルの1階にあるおもちゃ屋でポケモンの凧を購入。近くの居酒屋で酒を飲む。前に行った武蔵野の森公園では凧あげが禁止されていたので、ワインとスナック菓子を買ってバスに乗り、武蔵野中央公園へ。凧をあげている子どもたちが何人かいる。凧を持って全力で走り、呼吸器が破壊される。ワインを飲んでいるうちに頭が痛くなってくる。
    夕方には解散し、高田馬場へ。本屋で文芸誌を立ち読みしていると、隣にいた二人組(?)が、――来月の特集マーサ・ナカムラじゃん、という。驚いてふり向くと、今月の現代詩手帖を読んでいた。月曜締め切りの原稿を思い出して、暗い気持ちになる。夜に、イギリスに行ったなまけとMさんの二人と電話する。遅れて山本が参加。なまけは家でひたすら料理をつくっているらしい。向こうの時間は、午前10時を回ったところ。昨日は在留カードを取りに行った帰りに酒を買って年齢確認をされたという。昔から未成年に見られることが多かったけれど、29歳にもなって確認が入るとはおもわなかった。
    ――(作者)どこに住んでるの?
    ――(なまけ)ロンドンを馬場だとしたら、三鷹みたいなところ。
    ――(作者)マジかよ!
    酒を買いに行って戻ると、なまけのうしろで、Mさんが椅子の上に立ってサックスを吹いていた。音量が大きすぎてなまけの声が聞こえない。向こうでも気になったらしく、しばらくしてフルートを吹き始めた。どちらもMさんの持ち物で、東京の部屋にサックスを置いて先にイギリスに行った。年末に羽田空港までなまけを見送りに行ったとき、なまけは荷物といっしょにサックスを持っていて、明らかに海外公演に行くサックス奏者にしか見えなかった。搭乗便のクルーにもサックスを持った男がいることが事前に共有されたらしく、ほかの乗客よりも優先して飛行機に乗せてもらって、――ふだんはどこで活動されているんですか、と聞かれたらしい。

    ※よく通っていた居酒屋が店を閉める。久しぶりに詩を書いた。

    東京・高田馬場
  • 2月1日(月)

    先月の実績資料の作成。原稿の締め切りが立て込んでいるため、片手間で案を考える。そのせいで午前中の仕事があまり進まず、気が沈んでくる。海苔巻き。Kさんから連絡が来る。――鈴木さんの探していた本を見つけた、今日でよければ渡しに行ける、とのこと。夜に中野駅で待ち合わせをする。午後になって部屋に宗教の勧誘が来る。20分ほど対応したあと、チラシを渡してきたので断る。代わりに名刺を求めると、これが名刺代わりだといって、チラシをもう一度渡そうとしてきた。
    ――いやちょっともらえないです。
    ――じゃあここで読み上げますから聞いてください。
    ――寒いですよ……。
    ――ドアを閉めてください! いわれたとおりに閉めると、ドア越しに声が聞こえてきた。内容はうまく聞き取れなかったが、チラシに書かれた文章を読み上げて、その解説? をしているようだった。入浴。忌引きで休んだ会社の先輩のことを考えているうちに、祖母の死が母にとっては親の死であることを、3年たって唐突に気がつく。髪を乾かしてドライヤーの電源を落とすと、声が聞こえなくなっていた。
    21時過ぎに中野駅へ。改札を出て右手にKさんがいた。本の入った紙袋を手渡される
    ――おつかれ~。なんか来てもらってわるいね。
    ――助かりました! こんなタイミングじゃなければごちそうしたいんですけど。
    ――やってないからね。
    コンビニで缶ビールを買って、今書いている原稿の話をする。Kさんが、――そしたら他にもっといい本あるかも、というので、Kさんの家に行く。中野ブロードウェイを過ぎて左に曲がり、住宅街の方へ。
    ――あ~そういえばさ、このあいだ前に住んでたやつが家に来たんだよ。
    ――え!
    ――ふつうに怖かったよね。Kさんよりすこし年上(35くらい)の男で、五年前に会社をやめて地元へ戻ったという。東京へ行く用事ができたから寄ってみると、入り口の脇に好きな小説家の本がまとめて置いてあったので、おもわず鳴らしてしまったらしい。
    ――申し訳なかったな、捨てるやつだったから。
    ――来たついでに寄るって発想がヤバいですね。
    ――実家が本屋やってるらしいんだけど、今度あなたの本を注文します! っていわれた。
    部屋に入ると、玄関に解かれたビニール紐と、その上に本が積まれてあった。Kさんが本棚から何冊か取り出して、紙袋の中に入れてもらう。手洗いを促されたものの、水を張ったままの食器の上で手を洗うのは気が引けた。ケチャップ系の料理をつくって食べた形跡がある。Kさんの部屋に住んでいた頃、男もここで手を洗っていたのだとおもう。
    Kさんと原稿を書きながら酒を飲んで、0時過ぎに帰る。家まで歩いて帰ろうとして、新宿にたどり着いてしまう。Kさんの家を出てから、2時間かかって家に着く。途中でコンビニを見つけるたびに酒を買って飲んでいたせいで、横になったとたんに吐き気がした。

    東京・高田馬場
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