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川口晴美
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9月24日(木)
先々週
しばらく会っていない年下の女友だちから
アイスクリームの詰め合わせが届いた
お中元を贈り合うような習慣はないからたぶん
オンライン授業や認知症の母のことで疲れたって詩を書いちゃったわたしを
気遣ってくれたんだなと思って
今度は泣かないようにしよう
溶けたらもったいないし
というかアイスクリームはわたしの好きな食べ物オールタイムベスト3に
必ず入るくらいだから泣くどころかテンション爆上がり
さっそく「稚内牛乳」のロゴ入りの蓋をあけて一口すくい
エクスクラメーションマーク連発のお礼メールを書く
だけど基礎疾患のある彼女は家からほとんど出ないで過ごしているはず
GO TOするわけないからこれは
北海道旅行のおすそわけなんかじゃない
すぐに届いた返信メールは
とても明るく
やっぱり外出は散歩と自家用車での遠出だけと書かれていて
ユーモアたっぷりの近況報告のなかに
この先どうしたら……みたいな言葉がまぎれていて
そうだよね
わたしたちは離れたまま
口内で「宗谷の塩」や「稚内産クマザサ」の冷たい甘味を旅し
秋冬へ向かっていく広々とした地平の上空を
脳内で飛ぶ
とてもとてもおいしい
わたしたち
連休はどこへも出かけずに終わった
この先いつ旅行の計画を立てる気持ちになれるかわからない
この先がどこへ向かっていくのかわからない
昨日の夜遅く
やっとチケットが取れて楽しみにしていた舞台が
初日あけてたった3日で
関係者にコロナ陽性者が確認されたため公演を中止すると発表があった
いま演劇を続けようとするひとたちが
どれほど念入りに検査し消毒し検査し消毒し
ソーシャルディスタンスに則った演出を工夫しているか
知っているから
つらいね
って
ただそう思う
どんなに注意したってかかるときはかかるんだって
誰もがうっすら思うようになって
この先がどこへ向かっていくのかわからない
わからないから
寒くなってもアイスクリームは必要
払い戻さなくちゃならなくなったチケットの向こうにも
この先はきっとある
脳内で飛ぶ
補給用のいのちのかけらを潜ませて
冷凍室はひっそり息づく※ この時期の舞台公演は考えられる限りの感染症対策を採っていた。席は1席おき、歓声をあげるのは禁止、飲食はもちろんロビーで話すのも禁止。入場前の体温測定、手指・靴底の消毒を徹底、列になりがちなグッズ販売はなし、マスク着用は言うまでもなく、前列の客はさらにフェイスシールドを着用。役者もフェイス(マウス)シールドをつけ、舞台ではソーシャルディスタンスをとる演出がなされた。それでも関係者にコロナ陽性者や濃厚接触者が確認されたら即公演中止になる。この日、厚生労働省はコロナの影響で解雇や雇い止め(見込みを含む)にあった人が6万人を超えたと発表した。
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10月16日(金)
〈空気の日記〉は23人ほどでリレーしているから当番日がまわってくるということは前回から3週間以上が経ったわけだ。え、もうそんなに。わたしの前回は9月24日(木)で、この日わたしは交通事故にあったのだった。当番日の日記の下書きをしてから用事で出かけて帰って来る途中の19時過ぎ、横断歩道を渡っていたとき右側の細い道からゆるっと出てきたタクシーがそのまま止まらずにわたしにぶつかった。スピードはほとんど出ていなかったからはねられたというより押し倒された感じで転んで後頭部を打って、といってもぶつかった瞬間に手に持っていた鞄とか傘とかすべてあきらめて両肘をついたから強打はしなかったのだけどびっくりしてすぐには起き上がれなかった。ドライバーがすみませんっ大丈夫ですか!? って大慌てで降りてきて、通りかかった知らない女性も大丈夫ですか!? 救急車呼びますか!? って声かけてくれて、救急車と警察がきた。近くにいた何人かが手を貸してくれたり気遣ってくれたりして、わたしも他人に親切にしようってそれからずっと思ってる。人生初の救急搬送で病院へ行き、CTもレントゲンも異常なしだったものの倒れるときに右膝を捻ったらしくて痛い。22日後の今もわりと痛い。階段を降りるのとかめちゃくちゃ痛い。痛いから思い出すけど、もう忘れかけてる。9月24日(木)は病院から戻って警察署に寄って被害者調書というのを作成してもらって帰宅したらもう23時で急にお腹もすいてそれから交通事故のことを書く気力はなく、出かける前に作った下書きのまま空気の日記をその日のうちに送った。だからWeb上に残された9月24日(木)の文字のわたしはなにごともなくアイスクリームを食べているのだけれど、本当は両肘を擦りむいて右膝に痛み止めの湿布を貼って汚れた服を洗濯機でがんがんまわしてた。傘は壊れた。日記を書いていると、日記に書かなかったことはなかったことになるような気がしてしまうから書けなかった22日前のことも22日後の今日の分に書こうと思って、書いているのだけど、でも、本当は文字に残らないことは無数にある。言葉にならなかったことのほうがずっとずっと多い。本当は、そういうこと全部なかったことになんかならない。そのとき思ったことや感じたことだって。今日もニュースを流し見ていると、何かをなかったことにしたい人たちはたくさんいて、忘れられてなかったことになりかけている何かもたくさんあるんだろうって思えて、治りかけの肘の擦り傷がむず痒い。わたしはもう「今日の感染者」が何人かよく知らない。感覚は擦り切れていく。生きていくというのは忘れていくことかもしれない。母は3秒前に聞いた言葉を思い出せない。でも、それはなかったわけじゃない。確かにあった。カサブタが剝がれて、右膝の痛みがいつか消えて、わたしが忘れてしまっても、雨に濡れたアスファルト道路に仰向けに倒れてタクシーのヘッドライトに照らされながら夜空を見たあの不思議な瞬間はなかったことになんかならない。そういうことが全部ぜんぶ積み重なって、わたしを、わたしたちを、まだない時間のほうへ押し出していく。
※ この日、アニメ映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車篇』(外崎春男監督)が公開。コロナ禍で経済活動が低調となった日本で、唯一すさまじい勢いを見せた『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴による原作コミック全23巻が総売上一億部を突破、劇場版の興行収入は公開から73日間で324億円に達し国内で上映された映画の歴代興行収入ランキングで「千と千尋の神隠し」を超え1位となった。
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11月7日(土)
立冬、
って卵が立つんだっけ
と思って寝たままググったらそれは立春で
しかも季節の何らかのマジックが卵を立たせるわけではないらしい
がっかりしてもう一度布団にもぐる
数日前に毛布は追加した
立たせてみたかったなあ冬の卵
といっても冷蔵庫の卵は切らしている
というか買い物に行かないとあらゆるものが切れかけている
そういえばトイレットペーパーの買い置きもそろそろない
今もし春のように突然外出自粛って言われてあらゆる売り場のトイレットペーパーがなくなったら
かなりやばい
と思うのに起き上がれない
もう疲れたよパトラッシュ(笑)
くるひもくるひも遠隔授業の資料をつくって
あいまに仕事の本を読んで原稿を書いて
楽しみにしていたはずのたくさんの詩集は積ん読状態で
部屋は埃だらけ
返信すべきメールにつけた★マークの列を見るたび気が重くなるし
たまに眠っている途中で不安に襲われてガバッと起きるし
何もかもがめんどくさくなって泣きながらPCに向かったりする
たぶんかるくウツっぽい
母親には何日も電話していない
ほんとはアメリカの大統領選挙だって気にしたい
何日か前にツイッターのタイムラインで見かけて気になったことを思い出したい
昨日は
とりあえず食べるものを調達しようと
マスクだけはせめて派手なものを選んで出かけたコンビニで
急に何を買っていいかわからなくなって
とりあえずきれいなものを見ようと外へ出た
空を見上げたらうろこ雲
カサブタみたいだ剝がしたいなって
思うあいだにも
あれ見さいなう空行く雲のはやさよ
とか言うひともいないからぽかんと少し口をあいたまま見送って
流れ過ぎていく
今日は立冬
卵はないけれど
何とかかんとか立ち上がるわたしはいる※ 米大統領選挙は11月3日が投開票日だったが、今回はコロナ対策のため期日前投票や郵便投票の増大した関係で3日以降も開票作業と集計が続いていた。この日、バイデン氏の当選が確実になったとAP通信が発表した。
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11月29日(日)
殺されて捨てられた女の子の詩を書いたことがある
わたしが〈殺された女の子〉だった可能性をいつも考える
この世のあらゆる場所で殺されていく女の子たち、
4歳で殺されたあの子も、13歳で殺されたあの子も、19歳で殺されたあの子も
わたしだったかもしれないとおもう
わたしのなかには何人もの〈殺された女の子〉がいて
このわたしが生きているのはたまたまなんだってかんじている
たまたま殺されずに生きてきて
今こうしているけれど
先週
64歳で殺されるのかもしれないって思い始めた
帰る家を失って
夜半にバス停の固いベンチでようやく休んで
横たわることをゆるさないベンチだから座ったまま浅く眠っている間に
ペットボトルだか石だかを入れたどこにでもあるビニール袋を
振り上げた知らないひとに
虫を振り払うみたいに殴られて11月16日に死んでしまったのは
わたしなのかもしれない
だって
幡ヶ谷なんてすぐ近くじゃないか
彼女もわたしも四捨五入すれば60歳ほとんど同い年じゃないか
今のわたしにはたまたま住むところがあるけれど
何かあれば失うのはたやすい
ひとりになってしまうことだってすぐ想像できる
感染症は春から流行りだした
フリーの仕事なんていつ全部なくなってもおかしくない
どうすることもできないまま夏を過ぎ
お金は使い果たしてもう8円しか残っていない
疲れ切って冷えた体で
助けてくれるかもしれない誰かに連絡する気持ちも萎えて
そこに座っていたのはわたしだったんじゃないか
痛い11月の夜の底に殴り倒され
わたしはサイゴノアサに何を見たのだろう
壊れていくのはわたしか世界か
終わりは解放だっただろうか
ねえわたしを殺したのはいったい誰?
ビニール袋を振り上げたあの知らないひと?
そうだけどきっとそうじゃない
10月のうちにわたしがバス停を通りかかって
わたしかもしれないあなたを見かけて気になったとしても
たぶん何もしなかっただろう
できなかった
わたしも
わたしを殺したんだ
わたしは殺された女の子で、殺された女の人で、殺したなにものかの一部だ
寒い12月がくる※ 11月16日午前4時頃、渋谷区幡ヶ谷のバス停ベンチに座っていた大林三佐子さん(64)が近所に住む男に頭を殴られ死亡した。大林さんは2月頃まで派遣会社に登録して働いていたが、家賃滞納で住んでいたアパートを退去後、終バス後の午前2時頃からバス停のベンチに腰掛けて眠り、明け方どこかへ立ち去る生活を続けていた。
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12月21日(月)
冬に生まれたからといって
寒さが得意なわけじゃない
それでも今日は
乾ききってガラスのように張りつめた東京の青空のかわりに
暗い湿気をたっぷり含んで垂れ込める日本海側の冬雲が
恋しい
轟くような重さに煽られる体を海辺まで運んで
荒れ狂う波を見つめて立ち尽くせば
いつだって体の奥底から獣じみた力が湧き起こってきた
あの水がほしい
増えたり減ったりする数字に無感覚になっていく自分がゆるせない
咳こんだり発熱したり死んでしまったりするひとじゃなくて
数字だけが残っていく日々を洗い流したくて蛇口をひねる
おとなしくやってくる水と
流せない矛盾に
冷えて
なんかさあ冬眠できる獣だったらよかったのにね
みんなで冬眠できたらいいのにね
やっかいな感染症が乗りモノを見失ってあきらめるまで
いまは寒いし
いろんないみで寒いし
今日は冬至
最も死に近づく日なのだから
かたくてやわらかな土に包まれて死のとなりで
眠る
ゆめをみる
週末の詩の講座であるひとが
〈かわいた器を戸棚にしまう〉
〈器の位置はおおむね決まっている〉と
詩の行をつくってくれたこと
思い出す
ゆめのなかで死のとなりで
わたしの位置もきっとおおむね決まっているだろうから
かたくてやわらかいその位置にあてはまっていく
荒れ狂うことだってできる獣じみた力を
球状にまるめて抱き込む姿勢で
やがてあたたかいものになるまで
冬の水のように閉じ込めた呼気を巡らせている※ この日、日本医師会など9団体は、このまま新型コロナウィルスの感染拡大が続けば感染症だけではなく通常の医療が受けられなくなり「医療崩壊」を招くとして、「医療緊急事態」を共同で宣言した。
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1月12日(火)
今日
東京に初雪が降ったらしいけれど
わたしは見ていないおとといの日曜日はわたしの誕生日で
昨日の祝日は成人の日だった
コロナ感染者が急増している状況で成人式を開くのか、とか
出席して大丈夫なのか欠席すべきではないか、とか
せっかくの晴着を着る機会が、とか
論争もあったみたいだけど今朝の新聞にはマスクで着物姿の女の子たち
おめでとう
39年前のわたしは成人式に出席するという発想がなかったから
少し不思議な気持ちです
役所が主催する式におとなしく招かれて並んで祝われるなんて
従順な工業製品として完成させられるみたいでいやだと思っていました
着物を纏うのは古くさい伝統に幾重にも体を縛られることそのもので
息苦しいと勝手に思って憧れたことは一度もありませんでした
遠いあの日
ふつうに大学のレポートのことを考えながら
午後の光射す西武線にゆられていた青くさいわたしを思い出します
――もしもあそこから何かをやり直したら
たどり着く今はこの今とは違っている?そのわたしは今日の初雪を見るだろうか
おそろしい量の雪が積もっている映像が
ここ何日かSNSを開くたびたくさん流れてくる
子どもの頃わたしも何度かそんな雪を見た
福井県小浜市で
朝起きると父が屋根の雪下ろしをしていて
道の両側に除けられた雪が積みあげられ白い壁のように迫っていました
学校へ向かうわたしは眩しくて寒くて何も考えていませんでした
――あそこまで戻って少しずつすべてをやり直した方がいい?
この今はあまりにも間違っている気がするから初雪を見たかったわけじゃない
感染者数が1000人単位で増えていくのなんて見たくなかった
間違っても謝らず責任を取らない政治家たちの跳梁跋扈も見たくなかった
言葉を雑に扱って歪ませる大人たちを見たくなかった
医療を受けられないまま死んでいく人を見たくない
――どこからやり直せばいいのだろう
1年あったのにほとんど何も対策されていないみたいだから
もっとずっと遡らないとたぶん無理だし
時間は巻き戻せないし
歴史改変はやっちゃいけない
知ってる
たとえループできたって今日のわたしは初雪を見ない
おめでとう
59歳のわたし
ここは緩やかな地獄です
いつか見たかったものを見るためにここから
やり直していけますように※ この日、東京都医師会の会長が記者会見を開き「医療体制はほとんど限界」と強い危機感を示した。
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2月3日(水)
煉獄さんに会いたい
名前は杏寿郎
声がくっきり大きくてウソやごまかしがなくて強くてやさしくてよく食べる
漫画『鬼滅の刃』に登場する〈柱〉の1人だ
主人公は竈門炭治郎だけど
映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車篇』の後半の主役はほぼ煉獄さんで
去年10月の公開から1ヶ月後ようやく映画館で観たとき
原作は読んでいるからどうなるかわかっているのに
マスクの内側で泣きそうになりながら
煉獄さん……! と炭治郎といっしょに祈るように呼びかけていた
現実にはそんなふうに
心の底から何かに抗うように祈ることはめったにない
流されていくばかり
3週間ほど前
大阪で独居中の母が蜂窩織炎という皮膚感染症を再発させた
ケアマネさんからの連絡を受けて弟と相談し
年末から見つからなくなっていた母の保険証を
近所に住んでいる叔母に電話で頼み込んで再発行しに行ってもらい
以前かかった皮膚科へ連れて行ってもらったけれど
母は自分では薬を塗ることも飲むことも忘れてしまうので
体内の炎症反応を示す数値がかなり高くなり
仕方なくわたしが大阪日帰りを強行して
入院させた
点滴治療は2週間から1ヶ月
コロナ対策で面会できないけどそれも仕方ない
と
思っていたのに
1週間ほどで連絡がきて
病院内でコロナのクラスターが発生したから
母のPCR検査は陰性で症状も安定しているので明日退院してください
と
仕方なく今度は弟が大阪行きを強行
完治はしていない母を連れ帰り
ケアマネさんやヘルパーさんと今後のことを相談してきてくれた
母は自分が入院していたこともすぐに曖昧になって
いろんな文句を言い続けている
今週末からはわたしがしばらく大阪へ行く
流されていく
溺れてしまわないように息をするだけでせいいっぱい
煉獄さんに会いたい
鬼との戦いのなかで致命傷を負いながら煉獄さんは
俺は俺の責務を全うする!! ここにいる者は誰も死なせない!! と言った
勝負に勝つことよりも敵を倒すことよりも
煉獄さんにはそのことが大事だった
揺るがなかった
わたしはそこにはいなかったけどうれしかったよ
だってわたしのいる国の中心で政治家たちはそんなこと言わない
たぶん全然そんなふうには考えてない
治療も施されず自宅療養のまま亡くなっていく人のいる街で
緊急事態宣言が延長されて閉店するお店の増える街で
病気になったら謝らなければならないような街で
だからせめて非実在の
燃えるような髪の
たった20歳くらいの
煉獄さんの面影を反芻している
一昨日の発表によれば
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車篇』の興行収入は368億円を突破した東京・神宮前
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