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空気の日記

新井高子

  • 9月28日(月)

    夏が落ち、
    浮かんでくるのは、あのおじさん
    コロナ猛暑の8月のある日、
    閉じこもったからだが、むしょうに太陽に飢えて

    川沿いを歩いた
    長梅雨のあと、一滴の夕立さえ来なかった水面は、むしろ澄み、
    何匹もボラが泳いでいた
    イシガメが仕留めたカエルをつついていた

    炎天下とは
    焼けつく太陽だけでなく、
    それが昇らす陽炎(かげろう)のことじゃないのか、
    アスファルトが蒸し返すひかりの褶曲をひきずりながら
    坂道をのぼった
    このあたりは、かつては山のすそ野だったから

    と、てっぺんから、駆け下りてくる自転車
    海パン一丁のやせっぽちのおじさん
    ギンギンの日焼け肌は、赤銅をこえて紫紺
    蛍光オレンジとイエローのブリーフ
    黒めがねの鼻すじは冴え、
    すれ違いざま、ニヤッと笑ってくれた気がするが、
    パンチパーマの伸び髪は
    あたまの左右にゴム結び、
    まるで、花粉まみれの触覚みたいに
    まるで、熱帯の毒虫ライダーみたいに

    がに股でペダルを踏むおじさん
    裸の背なかが小さくなるのを、立ちすくんで見送りながら、
    愉快になってきたのだった、ぶくぶくと
    なぜに、祭りで、歯痛をよぶケバ色菓子をかじるのか
    なぜに、タレべったりのイカ焼きでわざわざシャツを汚すのか
    なぜに、けっきょく、にんげんは、薬より毒のほうが面白いのか

    花火も盆踊りもなかった季節
    たったひとりで、祭りだったおじさん、
    出かけても出かけても
    一度しか会えなかった、
            あなたは

    陽炎であったか
    灼熱の薄羽蜉蝣であったか

    夏の底から、

    ※ 日記は輪番なので、鮮やかなことがあっても、その日が当番でなければ逃してしまう。これは、夏の忘れもの。

    神奈川・横浜
  • 10月20日(火)

    あれは、十歳(とお)くらいだった
    肝だめしに行った
    白いきもののお化けとか、そんなに怖くなかったが、
    こんにゃくに頬っぺたを撫でられたとき、
    震え上がった
    竹竿から糸で吊るって振りまわしていることくらい
    とうじだって察していたのに、
    ぬるっとした
    あの冷たさ、
    それがまさしくやって来たとき、
    恐怖なるものの実体のひとつが
    わかったのではないか
    ほんとうに恐ろしいのは
    裂けた口でも血まなこでもなく、
    なんのやりとりもできない
    のっぺらぼうですらない
    ただの冷やかさであること、
    わたしは知ったのではないか

    目と鼻があったって
    そのベロが、
    血の通わないこんにゃくならば、
    冷蔵庫だよ
      耳も、こころも、

    はいいろで
     いんしつで
      同語反復で
    先っぽが割れた二枚舌もあるぞ
    巷をなめようと
    ぬらり、
    高く吊るされて、

    ずいぶん寒いね
    季節も、頬っぺも、

    ひとっ走りして
    焼きいも、
    食べようか

    ※ 新総理のあの口ぶりは要注意だと思っていたが、みるまに日本学術会議任命拒否問題。後ろから四行目は、「首相も、季節も、頬っぺも」と書くべきだった。じぶんもあの冷たさに萎縮したひとりだったと、読み返して気付く。

    神奈川・横浜
  • 11月11日(水)

    足の爪は、はやい
    手のほうは、おんなじ
    かみの毛はもともとスケベ根性だったし、
    垢のぽろぽろは、ちと遅くなった気がする

    わたしばかりじゃないだろう、
    からだに向きあうじかんが増えたのは

    なぜに足の爪ばかりがむやみか、
    夫にたずねると
    運動するとのびるのだと、
    ならば、コロナ禍なわたしは
    足をやたらと動かし、
    (心当たりはなく、
     眠りながら走っていたとしか思えないが)
    あたまと手はどうにかで、
    汗のかき方がなってない、ということか

    ぶぶん、ぶぶん、
    じつは、違うじかんのなかを生きてるのか、
    とも思う
    わかいのは脚力、
    頭脳や指さきは月並みで、
    みるみる肌が老けてるのかも
    (それは、こわいね)
    でも、時間論からすれば逆じゃない?
    (それも、こわいよ)

    八本足のそれぞれが、
    べつべつの砂時計をにぎっている蛸、
    あんがい、
    生きてるからだの真実ではありませんか

    もっぱら肺を狙うウィルスも
    爪をのばし、
    駆けってて

    ※ 新型コロナといえども、風邪の一種。寒くなれば、感染は広がる。だれだって想像できたことじゃないのか。

    神奈川・横浜
  • 12月3日(木)

    剝きたてのそれは
    わかい女の、はち切れそう
    ちゃんとあるんだもの、乳首が
    そこだけは皮を残し、
    ふるふると風にそよげば
    重力が、
    ツッと引っぱって

    だんだんにしぼんでく
    ちょっと当たっただけでも
    黒ずんだ染みになるのだから、女の肌とそっくりですよ

    あぁ、あの頃は、おばあちゃんのに
    しゃぶりついていたっけなぁ
    添い寝して、
    揺られて、熟して、
    とろける夢を見さしてもらっていたものねぇ

    三十も吊るしたのですよ、ことしは
    ベランダで
    渋みが抜けて、
    亡くなって、
    燃えさったとき
    乳がんが切除したそのひと房が
    どこかでホルマリン漬けになっていまいか
    わたしは本気で夢想したが、

    たわわに、
     たわわに、

    夕陽色の肉塊よ
     のどやかな蘇生術よ

    ――気ニヤムコタァナイ
      キョウ達者ナラ

    なつかしい声がする

    ※ 干し柿作りがわが家の初冬行事。それが好きだった祖母を思い出しながら……。ふだんはネット通販で買っている渋柿だが、今年はりっぱなのがスーパーに並んでいた。巣ごもりぐらしで流行ったとか? 

    神奈川・横浜
  • 12月25日(金)

    12月25日(金)

    ふゆは ふゆ
    ふゆ ふる ふゆる

    よわい よわい おひさまが
    とうとう しんで
    もういっぺん うまれる とき
    そうして ひかりの ふゆる とき

    きりすとの たんじょうびは
    ほんとうは わからない
    かいてない ばいぶるに
    だから きょうが よかったのさ

    おひさまの ふえよう とき
    きたかぜの うまごやで
    おぎゃあ とさけべば

    ふに おちる
    ふゆに おちる
    かみの こ
    ひかりの こ

    ほら きょう
    ちいさい ちいさい かみのこが
    ふって ふゆって きれいだね
    かんむり かがやく かぜのこたちも
    ふって ふぶいて きれいだね
    せかいじゅう あらしの ふぶきさ
    きれいだよ

    のどの おくまで まっかっか
    よわい よわい ひとのこも
    ふぶかれ しわぶき
    うまれて しんだ

    メリー・クリスマス
    メリー・ウィルスマス

    ※ 聖夜にメルヘンをと思ったが、イブには、神奈川県知事から一月上旬に医療崩壊というプレゼント。コロナは、訳せば「かんむり」。

    神奈川・横浜
  • 1月16日(土)

    飲み込みなさい
    咳も、くしゃみも、
     貧乏ゆすりも、椅子を引きずる音も、
    厳重静粛の三〇分、
    日本じゅうの受験生が
    一斉にイヤホンをつっ込むとき

    よそのくにでは考えられないだろう
     なぜスピーカーで放送しないのか
      全国で設備がちがうから
       教室で音量が変わるから
        席によってリスクが出るから

        それだけか
       五〇万台のICプレーヤーは
      生産する
     回収する
    毎年、金が動くのだ

    あの懐かしき日本発、
    小型カセットプレーヤーが
    一斉を風靡したのは何十年前だろう
    いまや
    世界じゅうから忘れられたその技術、
      なれの果てなのさ
     吹きだまりなのさ
    このリスニングテストは

    凄まじき、
    地産地消

    さもしい人間よ、
    試験監督のわたしも
    おこぼれの一滴、
    まして
    コロナ下では、

    許されない
    咳が、くしゃみが、
    咳も、くしゃみも、

    コウモリは聴きとっているだろう
    若いからだのそのおののきを
    五〇万のマスクの底の、

    夕闇で

    ※ 大学入学共通テスト。その試験監督の日に当番があたったのはどんな運なのか。いろんな意味で、それは「縮図」で。

    神奈川・横浜
  • 2月7日(日)

    おもいだせない、はんとしまえが
    いえ、さんかげつ
    へたをすると、みっかまえも
    ざるであった、
    あたまは

    いろんなひと、こえ、もじ、ふうけいが
    はいってくる
    まいにち、すべりこんでくる
    それぞれ、ふしぎな「かげ」になって、

    なにがのこるのか
    わたしといういれものだけあったって、
    「あみ」がなければ、
    とおりすぎるだけなのですよ

    みえるもの、「かげ」は
    がめんごしでも、ビニールごしでも、
    やってくる
    おしよせてくる
    コロナのなかだって、
    だが、

    「あみ」は、
    においやはだざわり、
    てのあくりょく、むねのだんりょく、
    ねっき、ためいき、
    そんな「いぶき」が
    すくって
    のこす、
    チカラだったのではないか

       きゅうきょくてきには、
      だえきの「しぶき」かもしれませんよ
     ひとの「いぶき」は

    シュッーと、
    ふきつける
    こすりあわせる
    どこか、きずつくようなきがしていました
    こころが、きずつくようなきがしていました

    たったひとつを
    しょうどくしようとして、
    あたまとこころの
    あなたを、
    けして

    いたのだっけ?
    わたしだって

    神奈川・横浜
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