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空気の日記

カニエ・ナハ

  • 9月29日(火)

    テーブルの牛乳瓶にゆっくりと光の線が滑り落ちゆく音がしている

    長袖で半袖をたたむ仕舞いこむ詩型を替える準備をしている

    比喩でなく手紙を2通書く3つ先の駅へと投函しにいく

    湖が青い雲が白いカーテンが揺れる窓べで何もしなかった一日のようなそれは信号待ちでした

    電話は電話でわたしはわたしで話しかけられるのを待っているのだ

    クローゼットがものであふれてむこうへとわたしはとおりぬけられなくて

    テーブルのコロナビールの空き瓶にコスモス挿してコスモス愛す

    ※「全国で新たに519人の感染確認」(朝日新聞デジタル)

    東京・深川
  • 10月21日(水)

    なにもないひとひほとりにたたずみてとまったままの大観覧車

    コスモスをさがすあなたが未だしらぬ無数の花が宇宙に未だある

    CDは光を音にCDの光がここにあることをなんどもなんども再生させる

    無事です、と告げるかわりのそっけない「謹呈」の文字。無事でよかった

    読み差しの詩集を、洗いかけの食器を、書きかけのメールを、生きていることを

    飛行機の光を星とまちがえてなんどもいちばん星を見つける

    ※「全国で新たに483人が感染 各地でクラスター相次ぐ」(朝日新聞デジタル)

    東京・深川
  • 11月12日(木)

    午前、座談会の文字起こしをチェック、多少の加筆・修正。詩集本文の最終チェック。午後、さいたま。ハンドアウトの印刷、補充。併せて昨日に引き続きハンドアウトに加筆、あわせて署名。60枚程。夜、詩集の装画来る。1~7まであり直感で選んでください、と。まず1、4、6、7に絞り、おすすめは?と聞くと、1か4という。5分考えて、4に決める。ついでに背、裏表紙、表2、3の色を相談、勧められたもので決定。表紙データ作成。明朝、一式いま一度見直すべし。明日は午前詩集最終チェック→入稿、戻って来次第座談会ゲラチェック。昼過ぎからさいたまアテンド2件。早く寝るべし。日記のこと思い出す。時間がない。なるべく簡潔に記すべし。

    *

    ある展覧会を訪れて、途中でこの展覧会はこれまでにすでに2度、訪れた展覧会であることに気づく。つまり、これで3度目。そのことを完全に忘れているひとに、ひっしに思い出させようとしているうち、やがてふっと思い出し、安堵する気持ちもあるものの、それよりも記憶というか忘却ということの、恐ろしさばかりが後味として残った。

    それが朝の4時で、ほんとうは起きあがって、日付でいうと一昨日返ってきて今日の午前いっぱいで返さなければならない、文字起こしされた座談会のチェックをしなくてはならないのだけど(それは3段組みで20頁にも及ぶのでなかなかに骨が折れそうなのだ)、疲れ過ぎていて起きあがることができない。つぎに気づいたときには6時過ぎで、今度は夢は見なかった。

    出品している、さいたまと奈良の展覧会がまもなく同時に終わってしまう、そのことが未明のああいった夢を見させたのだとおもう。展示している期間はいつもどこか落ち着かなく、それはそもそも生きていることそのものがそうであるのかもしれなかった。感染者数がまた増えつつある。このまま無事に会期末を迎えることができるとよいのだけど。

    *

    作業をしながらジョン・レノンの、今出てる「レコード・コレクターズ」最新号のレノン特集のベストソングス80をプレイリストにしたものを再生していたら、突然ジョンが日本語で歌いはじめて、「あいすません」以外でそんなのあったっけ?と吃驚したのだが、確かに「あー場は川、干せ干せ。」とくりかえし歌っている。「#9 Dream」にて。

    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。

    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。

    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。

    あるいは場は馬なのかもしれない。いずれにせよ、ジョンってやはり凄い詩人だな、と感心する。

    ※「新型コロナ 国内の感染確認1661人 1日として過去最多」(NHK)

    東京・深川
  • 12月4日(金)

    やはり朝3時に目が覚めてしまう。
    4時過ぎに起き出して新聞5紙と漫画2冊買う。
    わたしが読むものではないのだけど。まだ起きていない机の上に置いておく。
    明後日のイベントの準備のために池袋のコ本やに行く。
    来週からはじまる、春先から準備してきた建築倉庫ミュージアムの展覧会のポスターが貼ってある。それについて清水玄さんとすこし話す。
    嵯峨谷で遅い目の昼食。もりそば。すこしだけ値上がりしてる。
    十割そばが一割値上がりしたとてこの状況でだれに文句が云えようか。
    こないだ阿佐ヶ谷へいったとき駅前の嵯峨谷がなくなっていた。
    神保町駅前の嵯峨谷もこの春先に閉店になったが、10月に復活したらしい。
    そんなお店は珍しいらしい。
    3時近いのに満席。品物が届くまではマスクしててくださいの旨書いて貼ってある。
    なるべくしぶき立てないように音たてないように静かにそばすする。
    江戸っ子の流儀には反するのだけど。
    いや他人に迷惑をかけないのが江戸っ子の流儀であるからこういうときはこれであってるのかも。
    こないだ誕生日だった日から杉浦日向子の蕎麦本がカバンに入ってる。
    向田邦子の誕生日がその二日前くらい。
    こないだスパイラルに行ったときにもらった向田邦子の展覧会とイベントのフライヤーを壁に貼ってある。
    おなじときに特設ショップで買ったミナ ペルホネンのマスキングテープで留めてある。
    今夜のイベントのために百円ショップと世界堂に寄る。
    ミナのマステをもってくればよかった。セブンイレブンで200円ほどでふつうのセロハンテープを買う。
    さいごに模造紙にコーヒーで文字を書く。
    「茶会記は現代の四谷アパート」としるしてその上に米澤一平さんがタップダンスの足跡をつける。
    その間、南雲麻衣さんがずっと佇んでいる。都合がわるくなってしまい、事前にお店で撮影した映像による参加になった。
    そこにいないひとがそこにいる。
    そのことはとても大事なことだとおもった。
    四谷三丁目に行ったのでこないだドラマ「女子グルメバーガー部」で松本妃代さんがパジャマで訪れていたハンバーガー屋さんに立ち寄ってみたかったが時間もないしおなかもすいていないので別の機会にすることにする。
    先週松本妃代さんの個展に行ったら一年前にも訪れたことを覚えていてくれて嬉しかったのだった。
    それで思い出したのだけど今朝「おちょやん」の第4話を録画しておいたのを見てすこし泣いたのだった。
    朝ドラの最初のほうはいつも子供がたいてい不遇な状況でけんめいにがんばっていてだいたいいつも泣かされるのだった。
    そういう子供が自分のなかにもまだ居るとよいのだけどなどとおもうのだった。
    「エール」は中断するまでは見ていたのだけど、復活してから一度も見なかったのだった。
    そのころから春先のしわ寄せのようにものすごくいそがしくなってしまったのだった。
    しかしすべて録画はしてありHDDがいっぱいなのですべてDVDに落としてはある。
    しかしそれを見る時間がない。二日間くらい何もしないで一日中ごろごろしながら「エール」の後半をまとめてみたい。
    またステイホームとかいわれたらばそういうことも可能になるのにな、などとぼんやりとおもったりもする。

    ※「「新型コロナで10代女性が死亡」は誤り」(朝日新聞デジタル)

    東京・深川
  • 12月26日(土)

    12日前の引っ越しのとき、見積もりだと100箱ほどといわれていた段ボールが、実際にやってみたら300箱になり、作業は朝の9時から22時近くまで及び、引っ越しやさんにたくさんの応援要員と、追加の段ボールを調達させてしまった、その300個の段ボールがまだ半分以上未開封のままで残っていて、探す本がことごとく見つからない、逆にいうと探している本を見つけることだけが段ボールを開く推進力にはなっていて、昨夜は東京でたぶんいちばん高いところ、というか二番目くらいに高いところ、というのは一番高いところは値段も高いから、(しらべたら、一番高いところが450メートルで、二番目が350メートル)そこにいて、そこでスマートフォンを落としてしまったのだった、さいわい350メートル下に落下させたわけではなく、たかだか1メートルくらいのところから、つまり351メートルから350メートルのところへ、そんなことはままあるのだけど、今回はうちどころがわるかったのか、あるいは1メートルから0メートルへ落とすよりも、351メートルから350メートルへ落とすほうがダメージが大きいのだろうか、タッチパネルがうごかなくなってしまった、画面の左から下へきれいに直線に斜めに、一本の亀裂が入って、分断された、その1/4ほどの狭いほうの領土は反応をする、残りは反応しない、別の領土になってしまった。その塔が新しい家の玄関をひらくと目にそびえている、昼間はそんなに変わらないが、夜になると夜ごと光の色が異なる、それだけで街の空気が違ってみえる、こちらからあちらが見えるということは、あちらからもこちらが見えるということだとおもい探してみるが、見つからない。よすがとなるものがない。よすがなのだとおもう。十数年前の展覧会のチラシなどがなんぜんまいとかあるせいでそれもまた段ボールを増やしている。捨てればよいものの捨てがたいのは、一瞥しただけで、多くを思い出すことができる。展示のこと、そこにいたる路。ときには季節。その前後のこと。もはやチラシではなく把手である。失えば抽斗を二度とは開けることができない。それでその対処法などを考えたり調べたりしなければならなくなり、今日の昼過ぎからの仕事までに用意しなければいけない作品の制作が遅れ、睡眠時間が削られ、10時半の開店に合わせてスマホの修理屋へ行くと、部品がないので直したければ同じ機種を中古で手に入れてくださいと言われる、古い身体を新しい身体に入れ替える、それで12時からは遅刻したサンタみたいな仕事をして、そのあと新しい身体を手に入れると、楽しみにしていたこの空気の日記のZOOM忘年会が始まってしまっている。帰路の乗り換えの東京駅で途中下車して、丸の内イルミネーションのところ、丸ビルの前の、通りと垂直に置かれているベンチを陣取ると、一時間遅れで参加する。静岡の詩人と大分の詩人が参加していて、東京の詩人は最近三重に行ったといい、東京と静岡と大分と三重の空気の違いについて空気の詩人たちが話をしている。20時になるとイルミネーションが消えて、光が消えると空気が変わり、屋外の私がコロナにならないようにと会はお開きになる。そもそも、家のベランダの前のお気に入りの木がある日突然切り落とされた、なによりそれが気にいらなくて引っ越すことにした。引っ越す直前、家から駅までの道の、高速の高架下の小道の林の木々がある日突然ことごとく伐採された、今日は公園の木も切り落とされてしまい、木々が切られた匂いばかりが夜の空気のなかにひろがり、肺のなかにしみいり。

    ※「全世界からの外国人の新規入国 28日から1月末まで停止 政府」(NHK)

    東京・冬木
  • 1月17日(日)

    ほんとはね、きのうはけいおうで西脇にかんするイベントに出て、今日は京都でぶんがくフリマに出店する予定だったんだけど、ふたつとも流れちゃって、なんて、とつぜんにぽっかり予定が空いちゃってみると、みょうにちからが入らなくて、起き上がることができなくって、ごぜんちゅう、ずっとふとんでよこになってた。なにするでもなく。からだがだるくって、どこか熱っぽくって、これってもしや、よもやよもや、とかおもって、体温はかってみたんだけど、ぎゃくに35度8分しかないのね。体温計の故障かもっておもって、べつの、もうひとつの体温計でも計ってみたんだけど、むしろ35度7分に下がっちゃって。ふあんになってしらべたら、低体温だと免疫力が弱くなったりびょうきになりやすくなったりうんぬんてかいてあって、いろいろ困りそうだし、かかっちゃう確率も高くなりそうだから、まずは体温を上げなくちゃっておもって、体温を上げるには辛いものをたべるのがいちばんっしょ、とかおもって、キッチンであまってるやさいてきとうにざくざくきって鍋にぶっこんで煮込みつつ、先週号のアンアンのつづき読みつつ、しあげにカレー粉とあとチリペッパーとかコリアンダーとかターメリックとか香辛料だばだばふりかけて食べたのね。じきに汗がだばだばた吹きでてきて。食後、いまいちど体温を計ってみると、35度6分に下がってて。汗で熱が出てっちゃったのかもしれない。くたびれちゃって横になって、ビートルズの、というかジョン・レノンのI’m so tiredをくちずさんでるうちに、I don’t know what to doのあたりでもう落ちちゃってたのね。2時間くらい。で、起きぬけに、また体温はかってみたんだけど、こんどは35度5分になってて。このまま体温が下がってったらしんじゃうんじゃないかってちょっとふあんになって、体温を上げるほうほうとか、よこになったままスマホでいろいろ調べてるうちに、なんだか妊活してるみたいなきもちになってきて、でもすぐに、じぶんがもともと妊娠できないからだであったことをおもいだして、ちょっとかなしいきもちになって。

    ※「京都 入院先見つからず80代女性が自宅で死亡 知事が再発防止へ」(NHK)

    東京・冬木
  • 2月8日(月)

    今日こそ円盤に乗る派の公演に行けるとおもって千秋楽、チケット予約しようとおもったら昨日、前日の24時迄だったのだった。
    あきらめて、昨日スパイラルでやってた「無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル『ZIPPED』」リアルタイムで見られなかったのでストリーミングでみる。
    冒頭アナウンスで「できれば部屋を暗くして見てください」とあるが朝なので暗くすることができない。
    百瀬文さんのは去年葛西の展示で見たやつだ。それの新バージョンとのこと。あれももう一年くらい前だ。まだコロナがあれじゃなかった。
    石川佳奈さんのは石川さんが能をおもわせる無表情のお面かぶってどこからともなく聞こえてくる言い差しの声たちに反応するともなく反応している。
    彼女から声が発せられることはなくどこからともなく聞こえてくる言い差しの顔のない女らや顔のない男らのいくつもの声たちを聴いている彼女が私であるような心持にもあるいは言い差している顔のない声の主(のひとり)が私であるような心持にも次第になってくる。
    村社祐太郎さんの無言劇ではひとりの女性がもくもくとテーブルのようなものを組み立てている。
    無言であるためにそれを観ている私のあたまのなかの声ばかりがあたまのなかで聴こえてくる。
    テーブル面にあたるところが透明なアクリル板のようである。
    テーブルとおもいこんでいたがパーテーションだったのかもしれない。
    いずれにせよ、組み立てられたそばから解体されてしまう。水平にされることなく垂直のまま。
    それでたいそう宙ぶらりんなきもちになる。
    そうしている間にあたまのなかで声にならない、なにかが組み立てられ解体されたのだった。
    あれらはいったいなんだったのだろう。
    よくわからなかったのだけど、いずれもいまの空気の一断面を鮮明に舞台化しているように感じた。
    ナマで見たかった気もするが、モニター越しであることもまたいまの空気の一断面であり、モニターというのがそもそも空気の一断面であるのかもしれない。
    依頼された帯文の執筆のためゲラを3周目にメモしながら読む。
    ちょうどひと月前、デヴィッド・ボウイの誕生日(1月8日、その二日後(1月10日)には5周忌をひかえていた)からボウイのスタジオアルバムを1枚目から順にすべて聴きなおす、ここに合わせて最近出た「ロッキング・オン」と亡くなったころ出た2016年の「Pen」と「ユリイカ」のボウイ特集等をかたわらに置いて、というのが2周目のベルリンまで来て、今日は山本寛斎さんの誕生日で、亡くなって初めての誕生日で、「ユリイカ」で寛斎さんがボウイについて語っている声を聴く。おなじくボウイを手がけられたスタイリストの高橋靖子さんとの対談。
    寛斎さんと高橋さんのボウイをめぐる対談の中で、鋤田さんによるボウイの写真をめぐっての、高橋さんのこんな発言がある(「ユリイカ」2016年4月号)。
    「鋤田さんのお写真で仮縫いしている風景が残っていたりしますけど、本当は三人で写っているのにさ、大抵の場合、端のほうにいたわたしが切られているのよ(笑)。わたし用の写真にしか写っていない(笑)。」
    その見開きに載っている写真には、ちゃんと三人で写っている。
    これを書いているいま、ふと、先日スパイラルで鋤田さんによるボウイの写真展を見たことを思い出して、いつだったかネットで調べてみたら、2014年12月4日~12月9日とあった、つい先日のこととおもったが、まだ生きていたころであった。
    そのウェブページに添えられた「ヒーローズ」のジャケットの写真の手のかたちを真似してみる。
    すると、いつか国立近代美術館で高村光太郎の手の彫刻のかたちを真似してみたときのことをおもいだした。
    その手に、手のかたちにいざなわれるように、わたしはこんどは庭園美術館にいて、有元利夫の絵画を見ている。
    その手を凝視している。
    「有元利夫の絵の手がすきなの。」と言った。
    言ったのではなかった、そうファックスに書いて送って寄こしたのだった。
    「手って、絵のなかで、もっとも描くのがむずかしいの。」
    「有元の手、すごく好き。」
    彼女は耳が聞こえないので手話をつかっている。絵を描いている。
    ふだん手話をつかう、そして絵を描くひとが、手を描くのはむずかしいといい、有元の絵の手が好きだという。
    有元の絵の人たちの、身体にくらべてずいぶんと小さい手が、ぼやけている。
    それは手が能面をつけている、とでもいうようにみえる。
    それを書きつけたファックスの文字もまた、ぼやけてしまった。
    葛原妙子の全歌集が欲しいのだが手に入らない。近くの図書館にあったのでさっき借りてきた。
    おりしも、何か趣味が欲しいとおもっていたところだったので、全歌集掲載の妙子歌を全て写経することを目下の趣味とすることにする。
    予約しておいた「新潮」3月号を丸善に受け取りにいく。「創る人52人の「2020コロナ禍」日記リレー」。永久保存大特集とある。ほかのひとたちがどんな日記を書いているのか参考にしようとおもう。
    「永久」という言葉にいざなわれて、人類が滅びたあとに、どこか暗所にて、二度と頁をめくられることのない「新潮」2021年3月号の姿を想像する。
    ひとの日記を読んでいると、書かれていることよりも書かれていないことによりひかれてしまう。
    また、日記を書いていると、わたしが日記を、ではなくて、日記がわたしを書いているようなきもちになってくる。
    帰りに日本橋髙島屋の画廊で重野克明さんの銅版画の展示を見る。椅子に座っている女の人の手から鳥が飛びたっていく。つかまえていた鳥を放っているように見える。
    その絵は昔、重野さんが高校生だかのころはじめて書いた画をもとにしているという。
    他の絵でも、いくつかおなじモチーフが時を経てリフレインされたりしている。
    見入っていると重野さんと思しき方に声をかけられるが、ひとに話しかけられることにすっかりなまってしまって、とっさにうまく反応ができず、申し訳ないきもちになる。
    そういえば、前回この空気の日記を書いてから今回までの間にスパイラルの向田邦子展を二回訪れたのだが、今日の話ではないので記さない。
    しかしそんなことをいったらさきほど記した有元の手の話もボウイの鋤田さんの話も今日の話ではないので削除しなければいけないのかもしれない。
    禍のせいかあたまのなかで起こることの比重が大きくなっている。
    現在のなかに占める過去が。
    「今日」というのがいったいどこからどこまでなのか、わからなくなっている。

    ※「国内で新たに1216人が感染 大阪では死者1千人超え」(朝日新聞デジタル)

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