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空気の日記

田野倉康一

  • 9月25日(金)

    朝の通勤
    混んでる電車で
    股を開いて座る紳士
    シートにカバンを置く淑女
    隣に座ると
    シートから立つ女
    どこにも掴まらず
    電車が揺れるたびによろける人々がむしろ増えたか
    繰り返し記号が延々と続く朝の巷に
    新しい生活が息も絶え絶えに開かれていく

    痛い詩人の今日も
    条例に定められた協議を欠いた
    行政照会に悩む
    名のある設計事務所に
    一ヶ月かかる協議をするよう伝えなければならない

    昼はまた彩度の低い光に
    ゆっくりとくずおれていく
    事務机のひんやりとした感触が頬をつたい
    サカイトシノリの卓上カレンダーだけがそこに
    あたたかい

    役に立たないひとの
    役に立たない生が
    ゆっくりとくずおれてゆく
    浮き出した胸骨のような
    さざ波だつ日々の
    昨日とちがう夕暮れ

    帰宅する人たちの電車の中で
    朝と同じ光景が
    繰り返される

    その人波みを逆に
    かきわけて銀座の画廊へ向かう
    柴田悦子画廊『言絵絵言Ⅲ』展
    田野倉が参加する詩と美術のコラボ展
    首を吊ってる姿がカワイイ結ちゃん
    が、まとうそらしといろの詩が
    当たり前のように美しい死者を生き生きと生かす

    絵の中へ落ちていくように詩を書いた
    恐怖のひととき
    瓢箪で鯰を捕まえるように
    言葉で絵は語り得るか

    詩が絵を恐怖する
    絵が詩を恐怖する
    その前に他の恐怖は恐怖ではない

    光の中の光
    闇の中の闇

    柴田悦子画廊を後にし
    帰宅する人たちの電車の
    朝と同じ光景のなかに帰る

    ※愚痴のポエジー、なんていうものがあるのかもしれない。みんなこの状況に慣れてきている。それでも通勤の後継は基本的に変わらず、ギャラリー巡りや、アーティストたちとの仕事が今まで以上に自分の救いになっていることを実感する。美術も詩も普及でもなければもちろん不要でもない。

    東京・小平
  • 10月17日(土)

    国勢調査調査書類受付業務
    国勢調査管理指導員としてここにいる

    耳の遠い老人たちの
    甲高い声が響き渡る
    思い出せない昨日
    廃屋
    廃アパート
    廃人
    一軒一軒調査書類を持って
    訪ねた記憶を一歩一歩たどる老人たち
    その記憶の糸という小径を
    僕もいっしょに細々とあるく

    谷の奥の道のきわまり
    谷神はいない
    高層マンションの夥しい窓に
    一様に東京の曇天が映る

    角の部屋
    前から住んでいて
    4年前
    亡くなった篠畑さん
    あ、7号室は首つりのあった部屋で
    さみしいさみしい日月の記憶

    出さなくていい
    それはメモだから
    住んでおられたのは中村さんでしたが
    今は神戸さんの息子さんが…

    あ、引っ越された?
    10年以上前に。天野さんのおばあちゃんが…

    この建物の用途がわからないんです
    書類をまるで書いてこない老人
    ただ、そこにずっといる老人

    一人の方は亡くなってたんですけど
    一軒家ですから
    それ、アパートだったんですね
    三階にはだれも住んでいません
    外から見たんではわかりませんでした

    だからもうねえ…

    集会室の窓も曇天
    一人去るごとに机、イスのアルコール消毒
    筆記具もアルコール消毒
    ついでにあらゆる人生も
    アルコール消毒してしまえ

    ※ご存じ国勢調査は5年に一度行われる。こんな年にあたるとは、とは思いつつも統計調査は比較が命だから延期も中止もありえない。これは調査員が調査した書類を審査しながら受領する業務の後継である。そのほとんどは高齢者で、もともと長くその地域に住み、ご近所との長いお付き合いを生かして引き受けていただいていた。しかし、昔からの住宅は次々と消え、そこに6件からの新しい建売が立ったり、ものすごい勢いでマンションが増殖したりで、お年寄りたちもだいぶ勝手がちがってきている。

    東京・小平
  • 11月8日(日)

    朝から現代詩手帖12月号(現代詩年鑑)の「詩集展望」を書いている
    コメダ珈琲店のカウンターで
    マスクを着けて
    書いている
    詩集はどれも面白いのに
    書くことには30分おきに嫌になっている
    散文を書く才能がない
    でも詩の注文はほとんど来ない
    息をするように詩がかけるやつがうらやましい
    そう見えるやつがうらやましい
    たっぷりサイズのコメダブレンドを飲みながら
    モーニングのAのゆで卵に塩をふり
    食べようとしていきなり評言を思いつく
    そのくりかえしで
    ゆで卵が食べられない

    昨日はムサビのエミュウのテラスで原稿を書いていた
    散文が苦手であることに変わりはないが
    ここで教務補助をやってる画家が
    火曜日にギャラリーで購入した彼女の絵を持ってきてくれたりする
    油絵の研究室に別の助教を訪ねて
    ちょっこっと雑談したりする
    コロナで正門の警備員さんが怖くなった
    学外者はエミュウや食堂、売店を使えなくなった
    昨日は初めて北門から入って
    「ここの元非常勤です」と言って
    「エミュウでここの教員と待ち合わせです」
    と言ったら
    警備員さんは優しかった
    それでも学内の世界堂は使えないから
    吉祥寺のユザワヤまで行かなきゃならない

    コメダのの窓に夕陽が射して
    まだ原稿は書けていない
    締め切りは三日前
    髙木君、ごめん

    ※この後、寒くなって、室内のスペースが閉鎖されているため、本当にムサビで原稿を書くことができなくなった。展覧会には入れてくれるが、「学外者は見たら速やかに退出してください」とある。さみしいが仕方ない。

    東京・小平
  • 11月30日(月)

    僕は保健所の主査だったので
    PCR検査の抑制にはすぐにピンときた
    検査技師が少ないのだ
    検査技師は熟練工と同じで
    かんたんには増やせない
    だから検査数を少なく抑えて精度を維持しようとしたのだろう
    (制度が低ければ陽性者を野に放ち、院性者を隔離して偏見にさらすことになる)
    他人の身になって考えることが苦手な職業だから
    デリカシーのない対応
    思いやりに欠ける物言いはいっぱいあったに違いない
    だからそういう職員に代わって謝るけど
    心身をすり減らしてボロボロになっている保健所職員を
    政府の手先みたいに言ったり
    怠けているみたいに言っているのを聞くのは今も耐え難い
    誰かに当たりたいのはわかる
    悪者を作ってうっぷんを晴らしたいのもわかる
    正義の味方になって
    営業自粛していない飲食店に嫌がらせするのも絶対に認められないけど
    わかる
    世の中がきれいごとですまないことを
    あらゆる場面で知らざるを得ない職業である

    公務員をやっていると
    友達たちの「そういう会話」に入れない
    このまま
    友達がどんどん遠ざかってしまうのではないか
    でも僕は保健所を悪者にすることはできない
    すべてを利権に結びつけてしまうことができない
    「埋蔵金」なんてありえないことを知っていたときのように
    少なくとも保健所の事実を多少は知っているのだから

    渡した原稿が無断でボツになっても
    二度と原稿依頼が来なくなっても
    長年書き溜めた散文が出版できなくても
    そして詩集を出せなくても
    詩人の友達が一人もいなくなっても
    僕は僕でありつづけなければならない

    僕は詩人でありつづけるしかない

    ※見てのとおりである。どんどん寂しくなっていった。コロナの日々は日常の生活から次第に人の内面に入り込んでいるのがわかる。

    東京・小平
  • 12月22日(火)

    新しいアクリル板が配られ
    カウンターに設置された
    今度のやつは背が高く
    下の開いている部分が広い
    台帳や図面を囲んで業者さんとの打ち合わせをするための高さだ
    秋口から不動産がよく動いている
    最初はコロナで手放す人が多いのだろうと思っていた
    しかし、実際には建て替えが目立つ
    相続が多いのはコロナ関連かもしれない
    何を考えるにもコロナを考えている自分がいる

    仕事を早退して
    旧知の若い彫刻家たちのグループ展を見に行く
    コロナだから
    これで最後だ今年の展覧会は

    切れてゆくものを追って
    追いきれない自分がいて
    切れてゆく自分を切り刻む
    ように刻まれた
    モデリングされた
    接着された撮影された
    動かされた
    ものたちの間に
    ただボーッと「彫刻」を見ている
    ボーッと見ている
    何も考えることなく
    何かを見ていることは難しい
    それを可能にする
    永畑智大の彫刻は
    凄い

    永畑さんとマスクごしに語り合い
    ツーショットを撮って

    ほら穴のような孤独のなかへ
    帰ってゆく

    ※「孤独」なんて言葉を当たり前に使うようになるとは思ってもいなかった。「美しい」は意図的に使うけど。このころになると、コロナ下でのアーティストたちのハンパない覚悟が良くみえてくるようになった気がする。もともと覚悟のあった人たちである。その上の覚悟は想像を絶するが、うまく表現できない。

    東京・小平
  • 1月13日(水)

    つり革にも
    握り棒にも
    つかまっていない
    OL
    サラリーマン
    学生
    おばさんもおじさんも
    電車が揺れるたびにあっちへよろよろ
    こっちへよろよろ
    時にうっかり咳でもすれば
    刺すような眼差しがいくつも
    冷たい空気の中を
    束になって貫いてゆく

    振り向くな
    振り向くな
    死んでゆくのは皆他人
    だったはず

    二回目の緊急事態宣言発令後
    役所はいまだフル出勤で
    通勤電車は今日も密
    保健所業務の応援に
    定年退職再任用の職員までも駆り出される
    すなわち僕も駆り出される
    きっとたくさんの感染者、
    感染不安の人たちの
    刺すような視線をあびるのだろう
    検査技師不足はすこしは改善されたか
    感染経路は追えているのか

    杉並区は成人式を挙行した
    4回に分けて、感染対策をして
    それを某プロ野球元監督が上から目線で
    「なぜ成人式を強行するのかと問いたい」と反論できないところから罵る
    だからお前が監督の時にチームは弱かったんだ
    と、思わず呟く
    役人に降り注ぐ
    罵詈雑言には慣れている
    だがキチンと議論しているところは見たことがない
    罵詈雑言の人には議論する気は最初からなく
    謝罪だけを求めるからだ
    一方役人は議論が苦手
    罵詈雑言には答えようがなく
    答えれば火に油を注ぐだけ
    そんな日々が今日も続く

    このごろ増えた
    カウンターでの怒鳴り声
    「課長を出せ!」

    ※久々の愚痴のポエジー。つまり2度目の緊急事態宣言下で、増えてきた役人への罵詈雑言。通勤電車の乗客は一回目の宣言下のようには減っていない。

    東京・小平
  • 2月4日(木)

    光の中の光
    闇の中の闇
    光と闇が等質の
    影の無い時間が透けて見える
    たまには座れるようにもなった通勤電車の中で
    たわわに実っている不信と
    目と目があえば
    素早く逸らす

    PCR検査を故意に抑制し
    感染者数や重症者数や死者数を操作していると
    信じている人たちがいる
    信じたい人たちがいる
    保健所の主査も
    統計も担当した経験からしても
    そんなことはどうやったらできるのかわからない

    保健所業務への応援派遣が決まった
    定年後の再任用職員まで駆り出されそうな事態に驚く
    そこまで逼迫している保健所の職員が
    不信の眼にさらされているのがあまりにもつらい

    派遣はもう少し先だけど
    古巣へ戻ったら光も闇も
    しっかりと見届けてくる

    ※今回の緊急事態宣言では、役所は出勤制限を行っていない。通勤電車の混雑も変わらない。仕事はむしろ増えている。それでも感染者数が減ってるとすれば、やはり会食ということなのだろうか。

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